豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(8)2012年06月01日 21時37分47秒

平均的な子供は、植物よりも、動物に興味を持つのではないでしょうか(男の子は特に?)。そのせいで、飼育委員(飼育班)というのは、クラスや学校では、一種の「花形職種」だった記憶があります。

しかし、あれも当然、理科教育に資するためのものですから、「飼育を単なる動物園づくりや動物の見せものに終わらさないためには、飼育の特質をふまえ、周到な計画のもとに実施しなければならない」(『手引』p.77)のは当然です。

飼育の学習目標とは何か―?
これまた『手引』から引くと、

・動物の生きる姿に触れる活動ができる。
・動物の生命をまもりつつ成長をはかるために、継続的な世話の必要性を知ることができる。
・愛情をもって、動物の生活をみつめて観察をし、ひろく動物に親しむことができる。
・個体が系統発生する事実にふれ感動する。
・自然と人間との関係について理解が深まる。
・身近な動物の生態と形態を認識できる。
・環境と動物のくらしの関係は握ができる。
・飼育は単なる実験、観察的な方便としてではなく、生きた教育の場としてはたらく。

といった項目が並んでいます。動物を知り、引いては人間を知る…という点に眼目があったということでしょうか。

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さて、さっそく豊郷小の飼育設備を見に行きますが、これがすごいのです。

まずは「水きん舎」。漢字で書けば「水禽」、要は水鳥の飼育舎です。


左手に子供が立っていますが、比較すると、その大きさが分かります。
詳細を言うと、高さは3m、面積は35平米(たて4.8m、よこ7.3m)。内部に池を作って、ガチョウ、アヒル、オシドリ、カモが飼育されていました。

こうした大型の飼育舎は、当然「設置する土地にゆとりがあり、水きんの遊び場や水浴び場が、飼育数に応じて、つごうよくつくれることが条件」(『手引』p.81)でしたが、豊郷小の場合は、余裕でクリアです。

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この水きん舎の担当は、おそらく高学年の生徒で、低学年からは尊敬の目で見られたことでしょう。しかし、低学年には低学年で(と決めつけてはいけませんが)、かわいらしい「小鳥小屋」がありました。


「日当たりのよい飼育場に建っている単独の小屋である。周囲から観察できるように金網にしてあり、高さも子どもに適した程度にさげてあり、中には止り木と巣箱が設置してある。防寒のために、各窓におおいがつけてある。」(『手引』p.83)

豊郷小では、こういう小屋飼いと並行して、生徒がいつでも自由に観察できるように、廊下で「かご飼い」も行っていました。


素朴きわまりない小学生の表情がいいですね。

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水きん、小鳥と来て、豊郷小には鳩も飼われていました。いわゆる「鳩舎(きゅうしゃ)」です。


そして、『手引』では、むしろ鳩の飼育を、低学年向けとして推奨しています。
「ハトは、ほかの小鳥にくらべて、からだが大きくて運動が観察しやすい上に、子どもになじまれやすい特性をもっている。低学年が給餌の世話をする動物としてふさわしいであろう。繁殖力をもち、卵から育てることも理解しやすいものであるから、成長をみとどける対象としても適当といえよう。」(p.86)

鳩(伝書鳩)というのは、一時ずいぶん流行った気がします。
最初は大人の趣味でしたが、それが子どもの世界にまで広まって、その余波は『レース鳩0777(アラシ)』という、動物漫画の佳作を生むに至りました(飯森広一作、1978~81にかけて少年チャンピオンで連載)。あるいは、これはシートン動物記に、「伝書鳩アルノー」というのが入っていた影響もあるかもしれません。

ちょっと話題が飛びますが、鳩に限らず、当時(昭和中期)は鳥を飼うのが流行っていて、どの町にも必ず「小鳥と金魚の店」というのがありました。(今のペットショップよりもひなびた感じの、独特の臭いのする店です。)
品揃えは、琉金、和金、出目金にキャラコ。ジュウシマツに文鳥、カナリア、セキセイインコ。夏ともなれば、店先にホテイアオイとミドリガメが並び、窓辺ではエアーポンプにつながれた陶製の水車小屋やカバが、眠そうにブクブク泡を立てているような店。あれもまあ、一種の昭和情緒だったといえるかもしれません。

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これだけ飼えば十分という気もしますが、豊郷小では、まだほかに2種類大物を飼っていました。ニワトリとウサギです。


向って左が鶏舎、右がウサギ小屋(その手前は魚の飼育池でしょう)。

ニワトリは、4年生の正式な単元となっていたため、多くの学校で飼われていました。(それに対して、鳩は「ぜひ飼育しなければならないというものではない」と、『手引』は述べています。それをあえて飼っていた豊郷小は、やはり飼育に力を入れていたのでしょう。)

いっぽうのウサギは、その効用・目的が詳しく書かれていませんが、まあ哺乳類代表という役柄なのでしょう。豊郷小では、上のような箱飼いと並んで、下のような放し飼いもしていました。こうすれば、ウサギ本来の穴を掘って生活する習性も観察することができます。


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それにしても、これだけ沢山の動物の世話をするのは、さぞ大変だったことでしょう。
児童数の多い時代ですから、世話役には事欠かなかったでしょうが、それを指導する先生の苦労は一通りではなかったはず。昔の先生はそれだけ時間に余裕があったのでしょうか。今の忙しい先生にはとても無理…という気がしなくもありません。

(この項さらにつづく。次回は天文・気象・地学編)

街角の標本美2012年06月02日 09時19分36秒

豊郷小の話題は一服して、この前ちょっと気になった朝日新聞の記事について書きます。

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同紙の夕刊には「美の履歴書」という美術作品紹介のコーナーがあって、今週5月30日に掲載されたのは、写真家・大辻清司氏(1923-2001)の作品でした。
タイトルは「陳列窓」。


「???」と首をひねりつつも、そのシュールな味わいに、思わず見入ってしまう作品です。朝日の記者、西岡一正氏は、そこに「異世界」を感得しました。以下、記事から引用させていただきます。

 「異世界がのぞくわけ」

 写真は現実をそのまま写し撮る装置だ。でも、現実は人によって違う見え方をしているかもしれない。それを伝えられるとすれば、それはどんな様相の世界なのだろうか―。そんな思索を深め、実験を続けた写真家。それが大辻清司(きよじ)だった。

 「陳列窓」シリーズは初期の代表作。はくせいのペンギンがひっそりとたたずむ。標本類を扱う店舗のショーウィンドーとみられるが、行き交う人々にとってはありふれた眺めに過ぎなかっただろう。だが、ガラスで隔てられた空間が、さらに四角いフレームで切り取られて写真になると、思いがけない異世界が浮かび上がってくる。〔…〕 



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写真家は所与のものを、独自の美意識で切り取り、作品として発表する。
それは間違いありません。

しかし、この作品のもう一人の作者は、間違いなくこのショーウィンドーを作り上げた、標本商の店主氏です。ガラスドームと大小の標本壜の配列。そこにそびえ立つ1羽のペンギン。ガラスの透明感と、埃臭い剥製の質感の対立。無造作な白布の背景の陰影。

そのコンポジションに美を捉えた大辻氏の慧眼も素晴らしいですが、店頭に不思議な標本美の世界を現出せしめた、店主氏の美意識にも膝を屈しないわけにはいきません。改めて見ると、ここには商札も何もありません。店主氏は、純粋に「モノ」としてこれらを並べ、それによって何かを「表現」しようとしたのだと思います。

上記の朝日の記事には、「大辻は元科学少年。手前に並ぶ標本類にも目を引きつけられたと思われる」という解説が付されています。この写真は、「標本美」という特殊な美を仲立ちにして、元科学少年・大辻清司と、ひと癖ある標本商のふたりが、精神の火花を散らした記念の1枚である…そんなふうにも見えます。

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この作品が発表されたのは、昭和31年(1956)です。
私の生まれる前ですが、埃っぽく明るい当時の街路の様はなんとなく想像がつきます。

そこから、私の連想は、戦前に発表された乱歩の傑作、「白昼夢」へと飛びます。
むし暑い晩春の午後、主人公の「私」が、陽炎の立つ場末町で見かけた、ひどく現実感を喪失した光景。それは、屍蝋化した妻の遺体を、人体模型と称して店頭に並べる薬局店主の狂気と、それを嗤って真に受けない群衆の奇妙なやりとりでした。

大辻氏の作品には、なんだかそんなドラマも通奏低音として響いているようです。
標本商という存在に、どこか怪しい空気を私が感じているせいかもしれません。

豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(9)2012年06月03日 16時30分37秒

以前書いたように、天文教具の類は、他校のモノと併せて、別項で取り上げようと思うので、ここでは屋外に設置された、豊郷小の天文・気象・地学系の施設を見てみます。

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今、改めて『手引』を読んでみて、当時の天文の学習が、非常にアンビバレントなものだったことに気付きました。先生は相当苦労を感じていたようです。
なんとなれば、当時はまさに「宇宙ブーム」の真っ只中でしたから、子どもたちの(そして先生たちの)宇宙への関心は高く、教育者としてそれに応えたい思いが当然あったわけですが、小学校のカリキュラムは、それとはかけ離れていたからです。

『手引』の記述(以下、pp.96-97より引用)から引くと

天体学習の意義をまとめると
・太陽、月、星の運行のそぼくな観察にはじまり、天体の秩序ある動きに
 気づかせ、しだいに時間、空間の概念を拡充していく。
ことにあるといえよう。

したがって、

天体に関する学習は、このような時間、空間の意識の発達に沿って漸進的に指導することがたいせつであり、ひとっとびに、「月や火星に生物が住んでいるか」などを考えさせるのは、子どもの興味は高いが天体学習の本質的なねらいではない。

と言わざるを得ません。しかし、

子どもの知的な角度から見ると、天体ほど神秘的なものはなく、疑問調査などをすると、この傾向が特に強くあらわれる。このように子どもの天体についての知的な要求が高いにもかかわらず、現実に学習をしようとするとき、子どもの能力にあった実証的手段が少なく、扱いにくい教材とされている。

要するに、ニーズと現実との間に、大きなギャップがあったわけです。
マスコミからの情報で耳年増になった子どもたちの声にどう応えるか。先生たちの熱い努力は、後ほど「天文教具・屋内編」で、たっぷり見るつもりですが、本項で取り上げる屋外施設は、どちらかというと「そぼくな観察」のためのものが主です。(だから、あまり人気はなかったんじゃないかなあ…とひそかに想像します。)

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グランドの隅に設置された「日の出の観測板」。


遠くの山並みと、季節ごとの日の出の位置が図示され、その季節変化を体感するためのものです。6年生用。(とはいえ、実際に日の出を観測するために、早朝登校をする習慣があったとも思えず、これは「観測板」というよりは、単なる「説明板」ではないでしょうか。)

さらに太陽の運行を細かく知るために、「日時計」というツールも、しばしば導入されました。これは今でも各地の学校にあるでしょう。
豊郷小の場合は、豪華に、水平日時計、垂直日時計、こま型日時計という3種の日時計をならべて設置していました。


水平日時計は、水平な円盤の中央に三角板を立てたタイプで、日本ではいちばんポピュラーなもの。垂直日時計は、ヨーロッパの古い町並みにあるような(建物の壁に取り付けてあります)、目盛りを刻んだ台板の方を垂直にして、そこからヌッと棒が突き出ているタイプ。そして、最後のこま型日時計は、円盤の中央に棒を立てて、棒の先が天の北極を向くように(つまり棒が地軸と平行になるように)、円盤を斜めに傾けたタイプです。

日時計をいっぱい作るのは、なんだか無駄なような気もしますが、『手引』には、「予算が許せば、できるだけ多くの日時計を同一場所に設置し、それぞれ同一の時刻を示すことや三角板、または棒が北極星の方向をさしていることを学ばせるとよい」と、これを奨励しています。見かけは様々でも、そこには統一的な原理があることを学ばせる意図があったのかもしれません。ともあれ、一事が万事、豊郷小の予算が潤沢だったことがよく分かります。

豊郷小の日時計のそばには、さらに下のような「時差表示板」が立っていました。


目を凝らすと、以下のような説明が書かれています。

「日時計で時刻のあてっこをしましょう。
 日時計は季節によって下のグラフのようなちがいができます。
 このちがいをさしひきして考えなさい。黒線-ひく 赤線-たす」 

なぜこういう操作が必要なのか?このグラフをにらんで、はたと気づく子どもがいたら素晴らしいですね。

正解には至らぬまでも、
「太陽が動くのは、地球が自転しているからだと本には書いてあったぞ。
 だけど、日時計はしょっちゅう進んだり、遅れたりする…。
 うーん、地球の自転は、季節によって速くなったり、遅くなったりするのかな?
 変だなあ、先生は地球はちょうど24時間で1回転すると言ってたのに??」
…という疑問を、自ら抱くような子供が育てば、小学校の天文教育としては万々歳ですが、実際はどんなものでしょうか。

(書いているうちに妙に長文になったので、気象編は次回にまわします)

虚弱なり2012年06月04日 21時58分39秒

書きたいことがたまっていますが、持病の腰痛が出たので、用心して今日はデスクワークを控えます。明日も若干怪しいです。
それにしても、虚弱なり。(老い支度を急がねば…)

豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(10)2012年06月06日 20時57分05秒

今日は金星の太陽面通過。

見た目の面白さもさることながら、太陽までの距離を決定するため、過去、多くの天文家が必死になって観測を続けてきたという、その歴史に興味を惹かれる天体ショーでもありました。当方はと言えば、同僚に日食グラスを借りてみたものの、私の視力ではまったく金星を捉えられず、例によって心眼で味わうのみで終わりました。

そんな風で、とりあえず腰をさすりながら仕事には行っています。

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さて、記事を先に進めて、今日は豊郷小の理科施設・「気象編」です。

気象といえばもちろん百葉箱。
これは大抵の学校にある(あった)でしょう。百葉箱は、温度と湿度を計るためのもので、乾湿計、最高・最低温度計、自記温度計、自記湿度計が内部の標準装備です。

しかし、皆さんの学校では、百葉箱はいったいどんな扱いを受けていたでしょうか。なんとなく日蔭者扱いをされていなかったでしょうか。中には、まったく活用されることなく、朽ちかけていた学校もあるかもしれません。

しかし、少なくとも昭和30年代の豊郷小の百葉箱は、恵まれていました。
写真で見る「彼」は、白い柵で囲まれた素敵な「露場(ろじょう;気象観測用の機器を設置した外庭)」に、いかにも明るい表情で立っています。よく見ると、この露場には、他にも雨量計や地中温度計が設置されていたようです。


同小には、それ以外にも風力・風速を観測するための観測塔↓や、


自記雨量計↓が置かれていました。


自記雨量計というのは、降った雨水をてっぺんの受水器から内部のタンクにためて、その水量変化を浮子(うき)で感知し、それを円筒時計に巻き付けた記録紙に記録する装置です。

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さて、こうして集めた各種の気象データをどう活用するか。

 「その日の観測結果は、単に記録をとって保存するだけでなく掲示板に展示して学習の資料にする。
 掲示板には天気図、風向、風速、風力、気温、地温、湿度、気圧、雲量、前日の気温、雨量などのうち、その校種、児童、生徒の能力に応じて必要なものを選択して掲示するとよい。
 豊郷小学校の掲示板には、天気予報板、天気時計、リボン温度計、折線グラフ、扇形グラフがあり、その月の気象の変化、当日の気温、風向、風速、雲量が示される。掲示板を露場の近くに立て記録をしておくと、気象観測に対する関心も高まる。」
 (『手引』p.113)

(よく見たら、写真が天地逆になっていたので、逆転して転載しました。)

(この項つづく)

豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(11)2012年06月08日 17時42分25秒

昨夜は急な仕事で、街から少し離れた場所に出向きました。
目的地に着いたら、久しぶりにちゃんと星が見えて、いっとき疲れを忘れました。
まあ、それにしたって中等度の光害地にすぎないのですが、いつも市街地の貧弱な空しか見ていない者の特権で、ちょっと空の状態がいいと、ものすごく感動できます。
(何という、さみしい特権でしょうか…)

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さて、豊郷小の理科教育空間めぐりも、そろそろ終わりに近づいてきました。

これまで見てきたのは、私自身大なり小なり見知っている存在ですが、今日取り上げるのは、まったく未知の施設です。その名は「岩石園」。
火成岩、堆積岩、変成岩…各種の岩石を屋外に展示した施設です。

『手引』には、「現在のところ岩石園をまだ設けていない学校が相当見受けられる」とあって、これは当時にあってもレアな施設だったようです(p.116)。

最初その存在を知った時、なんで岩石を屋外に陳列する必要があるのか、その理由が分かりませんでした。産地で実地観察するならともかく、岩のかけらを屋外に並べて、苔がむすのに任せるぐらいなら、屋内で岩石標本を観察する方がよっぽどいいじゃないか…と思ったからです。

しかし、先生たちはあえて屋外で観察させたかったようです。

「色、沢〔たく〕、面の粗滑などの外観については、やむを得ないときは、小形標本を回覧して観察させることで、一応その目的を達することができるとしても〔…〕これらの岩石を大観して、外観、性状はもとより、産状、成因、有機界との相関性や地史的考察にまで学習を広め、深めていくためには、どうしても標本にだけ依存することはゆるされない。」(同上)

なんとなれば、「岩石は、他の部門のように個別の精細な観察や実験の対象であると同時に、自然を大観する立場で学習しなければならない」からです(同上)。

その意気やよし。しかし、「自然を大観する」という掛け声のわりに、各地の岩石園はどうもチマチマしています。結局のところ、何をどうすれば「自然を大観」できるのか、誰も答を持っていなかったからだと思います。あきらかに企画倒れという気がします。

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結果的に、出来上がったものは、枯泉水風のスペースに岩石の名札を立てただけのものになりがちでした。以下は豊郷小以外の岩石園の例です。



『手引』もその点は認めており、「やむを得ず、すくない種類の岩石を羅列したり、庭園式に布石するにしても、一方に理科学習の本道に立った科学的根拠をうしなわないと同時に、美的環境の創作という一役も背おうようにしたいものである」と書いています。なんとなくどっち付かずの態度です。

かんじんの豊郷小の場合は、「岩石や鉱石をある区域にまとめて展列した方式」の例として紹介されています。


一見、盆栽・盆石の即売場のような雰囲気ですが、「石庭」よりは、このほうがまだ科学的だと先生は考えたのかもしれません。

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豊郷小では、岩石園のほかに「地形パノラマ」というのも設置されていました。

「地質関係屋外施設として、地形パノラマ、地質断面模型、流水景観園などがあるが、これらを総合させて、岩石園とは別に設けている例がある。
〔…〕とくに学校所在地域の地層、地形を例にしてつくることは効果的で、滋賀県犬上郡豊郷小学校、西宮市立甲東小学校などにこれがみられる。豊郷小学校では流水エネルギーの利用面として水力発電の模型も配している。
 (p.120)

どうやらダムの模型などをあしらった、箱庭チックな展示のようです。しかし、これについては写真がないので、実態は不明。

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あとは、屋内に置かれた天文教具を、他校の分も合わせて拡大版で紹介すれば、このシリーズは完結です。しかし、その前にリアル豊郷小を訪問することが急きょ決まったので、そちらの話題が先になるかもしれません。

重要なお知らせ2012年06月15日 20時08分31秒

豊郷小の理科室訪問記についてですが、諸事情により、万やむを得ず公開中止とします。

非公開にすると、記事にいただいたコメントまで非表示になってしまうので、コメントを頂戴した方には本当に申し訳なく思いますが、私自身呆然としておりますので、何卒ご寛恕くださいますようお願いいたします。

当方の不手際を各位にお詫び申し上げます。

新天文対話…昭和30年代の天文教育のすがた(1)2012年06月16日 20時47分26秒

豊郷小の問題は、過去の記事をネットで拾い読みすると、いろいろ過激な文字が飛び交っていて、改めて人間の心の闇を見る思いがします。

「豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間」の話題、屋内の天文教具については、他校の様子も含めて、独立した記事にまとめる予定でしたが、今は豊郷小について語る心境にはとてもなれませんので、純粋に他校のみに絞って記事にします。

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ここで改めて天文趣味について。

動物や植物や鉱物は手で触れることができます。
しかし、天体は(一部の例外を除き)純粋に眺めることしかできません。
人の世をはるかに超えた世界への憧れ。そこに天文趣味は成り立つのでしょう。

しかし、人類はいつか宇宙を旅して、彼方の星にすっくと降り立つかもしれません。
未来への想像がふくらむ遥かな宇宙ロマン。それも天文趣味の一側面です。

しかし、我々は既に光の粒を介して、遠くの星と直接触れ合っているとも言えます。
見ることは共にあること。 存在をめぐる思索と観照。
そこにこそ、天文趣味の奥深さはあると思います。

天文趣味とは、人間のそうした言わば<素の感情・精神>に根ざすものですから、あまり難しく考えずに、上のようなことを自由に語って、子どもたちの目が、広大な宇宙へと向いてくれれば、それで十分だといえます。


しかし、学校の勉強ともなれば、趣味の涵養とはちがって、「知識」の伝達がメインですから、何をどう配列すればいいのか、現場の先生も、中央のエライ先生も、ひどく悩むことになります。その一端は、すでに6月3日の記事でも書きました。

月、太陽、星座のめぐりを実際に観測して、そこから宇宙の体系を理解させる…そんな天文学史の歩みをなぞるカリキュラムを、本気で志向したら大変です。

「天体・気象領域で学習効果を高めるためには、継続観察を怠ってはならない。〔…〕天体・気象領域での変化は、生物の変化のように単純ではなく、長期の、しかも観察から観察までに長い間隔をおき時間をかけなくては現象の変化をつかめない。」

「このように長期の観察を要するが継続観察に対する反省として、
○小学校の観測は何のためにするのか、ともすると気象台、
 天文台のまねごとに終わりやすく、そのねらいが不明確である。
○毎日の観測には非常な根気がいる。根気強くやりとげる態度が、
 この領域のねらいなのか。
○小、中学校で同じような観測をしているのではないか。
 などが問題点になっている。
 (いずれも『手引』 p.97より)

往々にして、継続して観測すること自体が目的化して、何のために観測しているのか途中で分からなくなる…という指摘です。なんだか滑稽なようですが、笑えない話です。

とはいえ、当時の先生たちは、そう筋論で凝り固まっていたわけでもなく、もっと自由に、あの手この手で、子どもたちに宇宙について語って聞かせようと、奮闘していました。何といっても「宇宙ブーム」の最中ですから、先生たちもそうせねば気が済まなかったのでしょう。

(と前置きしつつ、この項つづく)

新天文対話…昭和30年代の天文教育のすがた(2)2012年06月17日 15時36分40秒

何はさておき、星空の美を見せようと、小学校でも可愛らしい「プラネタリウム」の上映会が行われました。



ただし、『手引』によれば、これらはあくまでも「天体投影器」であり、プラネタリウムと混同してはいけないと注意しています。

プラネタリウムを簡素化したものが、天体投影器のように一般には考えられているが、原理的には同一であっても、機械的にはかなりのちがいがある。だから、天体投影器でプラネタリウムと同様の説明ができると考えてはいけない。」「この程度の機械では、プラネタリウムのような演出効果を望まない方がよい。」
 (『手引』pp.98-99.)

実際そうなんでしょうが、でも子どもたちの目には、これも立派なプラネタリウムに劣らず魅力的な装置に映ったと思います。上の写真でも、みなドームに目が釘付けです。

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ドームとプラネタリウム(投影器)がない場合は、「星座投影幻燈機」という簡便な装置も使われました。


↑は「江上式星座撮影機」。スライドを入れ替えることで、季節の星空や星座の伝説を教室の壁やスクリーンに投影することができました。


使用時の様子。暗い教室で息をひそめている子供たちの気配が感じられます。

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市販の機械ばかりに頼らず、先生たちの力作もあちこちで大活躍です。


天井に取り付けて、季節ごとの星座を示すための「全天星座板」。
写真では仕組みがよく分かりませんが、要は大型の星座早見盤式のもので、電飾装置も組み込まれていたらしく、まさに先生の入魂作です。


参考として、別の本(井上友治『新設改造 理科施設・設備図説』、昭和37)からも類例を挙げておきます↑。こちらは長崎の島原市立第三小学校の「点滅式全天星座板」。


こちらは各季節の代表的な星座を描いた「四季別星座板」。
これも天井に取り付けて、電球で星が光る仕組みのようです(写真が天地逆だったので、正しい位置に直しました)。


階段脇に掲示されたロマンチックな星座絵。
先生の絵ごころがほとばしっています。
それに応えて、女の子もじっと見入っていますが、このまま歩くと一寸危ないですね。

「小学校では星座の形になじむことが学習の効果を高めたり、夜空への関心を高めるために有効である。代表的な星座を示し、星座の伝説などもわかりやすく解説しておき、電気の点滅で自分の調べようと思う星座と、解説が同時に発見できるようにしておくと、効果的である。」 (『手引』p.102)

星座はともかく、星座神話については、理科学習とは本来無関係のはずで、学習指導要領でも言及されていないと思うのですが、山本一清や野尻抱影らの影響によって、日本では星について語ろうと思ったら、まず星座神話から入るという「型」ができていたため、学校現場もそれに引きずられたのでしょう。

(この項つづく)

新天文対話…昭和30年代の天文教育のすがた(3)2012年06月18日 21時41分56秒

先生の星ごころが爆発すると、自作教具がとめどもなく量産されて、それだけで独立したコーナーが作られる場合もありました。


↑は滋賀県のある小学校に作られた「子ども天文科学館」の入口。
内部の様子が気になりますが、残念ながら不明です。でも、なんとなく昨日のミニプラネタリウム(天体投影器)が設置されていそうな予感。

下は小学校ではなくて、京都市教委が設置した科学教室の光景です。


月旅行の想像画や、日食観測表、大型の電飾星図など、もう何でもありです。もはや何を伝えたいのか、よく分からないぐらいですが、情熱だけはたっぷり伝わります。

それに、『手引』によれば、これはこれで良いらしく、とにかく子どもたちの興味を引きつければ、それで良いのだとする傾向も見られました。

 「天体教材の指導は困難であり、特に常置した科学室が必要である。空室を利用したり、廊下のすみ、階段の踊り場を改造して、天体に関するサイエンス・コーナーをつくり、天体に関する資料観測用具を集めて展示したりして、いつでも学習に利用できるようにしておくとよい。
 天文科学室には星座板を窓や、壁間や天井にとりつけたり、月の観察板、自作模型をとりつけ、スイッチなどの点滅装置をつけておくと印象的で子どもの興味を高めるのにも役立つ。」 
(『手引』p.98)


↑は兵庫県の小学校の一室ですが、どうも、当時はこういう光景があちこちで見られたようです。PCとプロジェクター一つで、どんなリアルな映像でも簡単に見せられる現代からすると、これはちょっと想像しにくい情熱かもしれません。ともあれ、先生たちの奮闘ぶりがよく分かります。

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先生ばかりでなく、生徒も手作りに燃えていました。


神戸市の小学生理科作品展に出品された天球儀。
金属でかご状の天球を作り、表面に星座を取り付けてあります。市販品にも似たものがあったので、それを参考にしたのかもしれません。まあアイデアはともかく、手先の器用さに関しては、昔日の小学生の方がやはり長けていた気がします。

(この項つづく)