ミシマオコゼがやってきた2012年12月01日 18時19分14秒

師走初日、快晴。
近所の寺の境内では、澄んだ青空をバックに、最後の紅葉が燃えるような朱色を見せていました。

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ドラマのみならず、現実の世界でも、人と人が運命的な出会いをすることがあります。
同様に、人とモノの間にも「これが運命なのか!」と直覚されるような出会いがあるものです。

今日、必要なものを買いに、久しぶりに名古屋の東急ハンズに行きました。
そしてハンズに行くといつもそうするように、理科学用品コーナーを覗きました。
その一角には、以前から水生動物の剥製コーナーがあって、カニやら海水魚やらカブトガニやらが、人目を引くようにディスプレイされています。今日も子どもたちが「これ本物かなあ?」「違うよー」と言い争っていて、なかなかにぎやかでしたが、しかしあまり購入する人がいないのか、品揃えは前に見た時とあまり変わりないようでした。

しかし―。
いつもの剥製の横に、今日はちょっと見慣れない魚が並んでいました。

(店員さんが上手に梱包してくれたおかげで、無事連れて帰れました。)

商札を見ると、そこには「ミシマオコゼ」の名が。
「あっ!」と思いました。

実は、ハンズに剥製コーナーができて以来、そこにミシマオコゼが並ぶ日が来ないものかと、ひそかに夢想を続けていました。しかし、無数にいる魚類の中で、そうそう都合よくミシマオコゼが剥製になって登場するはずがありません。正直あきらめていたのですが、そのミシマオコゼが今、目の前に!これを運命と言わずして何と言いましょう。

さて、さっきからミシマオコゼ、ミシマオコゼと連呼していますが、なぜミシマオコゼに執着するのか?ミシマオコゼは、ちょっと変わった風貌の魚ですが、とりたてて人の興味を引く魚でもないでしょう。しかし、私にとっては深い思い入れのある魚なのです。

そのわけは、下のページをご覧いただければ一目瞭然。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/02/04/2601473

(常に星を宿すその瞳。彼にとって宇宙とは何なのか?)

この剥製は全長約30センチあります。格別大きなものではないにしろ、今の私の部屋では陳列が難しいサイズ。しかし、これだけは何としても部屋の守り神として祀らねばなりません。

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ちなみに、今日はミシマオコゼだけでなく、製作者・大堀水心氏の紹介文が、新たにショーケースの中に置かれていたので、参考までに転記しておきます。

「海洋生物はく製は多くは釣魚の記録としてつくられ、外観を良くするため、着色がされています。
それに対し、大堀氏のつくるはく製は、「海中での生物の姿を忠実に残したい」
という思いから基本的に無着色で仕上げられています。そのため、標本としての価値が高く、全国の博物館や研究者へ提供されたり、時には宮内庁へ提供したこともあるそうです。
現在は高齢のため、はく製づくりは引退されていますが、地球研究室のために、特別に今までつくったはく製を提供してくださっています。」

うむ、これを読んでは、いっそう買わざるべからず。
ハンズはなかなか商売がうまいですね。

ヒンダンの告白2012年12月02日 19時37分20秒

実は、先月の初めからネットがすこぶる不調です。

その筋では「頻断」というらしいですが、要するにネットが頻繁に切断される現象に悩んでいます。最初は普通にプロバイダにつながるのですが、しばらくすると勝手に切断されてしまい、再接続しようにも出来ないという厄介な事態が、一日に何度も繰り返し起きています。(接続から切断までの時間は数分~10数分と一定しません。)

話を聞いてみると、どうやらその切断がきちんと正規の形で行われていないために、プロバイダ側はまだ接続中の気分でいるらしく、再接続しようとしても、それを「二重接続の試み」と認識して、はじいてしまうというのです。(エラー691「ユーザー名またはパスワード、あるいはその両方が無効なため、このドメインにアクセスできませんでした」というのが出ます)。

数分間じっと待っていると、プロバイダ側もやっと切断に気付いて、再接続を認めてくれるのですが、その間の長いこと。それに、その後も結局同じことの繰り返しで、今ではまともネットを使うこともできません。

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同じ症状に悩む人は多く、ネット上にはその対策がいろいろ書かれていますが、どうも原因は様々なようで、なかなかスッキリ解決しない場合が多いようです。(あれこれやっているうちに、何となく治ったという人が多い印象。)

我が家の場合、もちろん回線の障害を真っ先に疑いましたが、NTTに調べてもらっても、全く異常なしとのことでした。
モデムを再起動したり、システムの復元でOSを正常な頃に戻してみたり、セキュリティソフトを一時止めてみたり、ネットワークアダプタのドライバを更新したり、怪しそうな箇所はいろいろチェックしてみましたが、残念ながら改善のないまま、現在に至っています。プロバイダのサポートデスクでも原因がよく分からず、「しばらく様子を見てください」とのことでした。

中には、何をやってもダメだったが、システムを再セットアップしたら治ったという人もいますが、そこまですると大ごとなので、できればその前に何とか治って欲しいものです。

(今日は頻断までの時間間隔が1分以下になったため、さすがにたまらず告白に及びました。)

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そんなわけで、記事を投稿するのも、コメントにお返事をするのも、メールを送受信するのも、現在は綱渡りのようにして行っています。もし何か失礼の段がありましたら、諸事情ご賢察の上、ご容赦くださるようお願いいたします。

それにしても、ネットが普通に使えるとは何とありがたいことか。あたかも、病気になって初めて健康のありがたさを悟るが如し。

世界最小の星座早見盤(前編)2012年12月04日 13時22分57秒

寒サニモ頻断ニモ負ケズ、記事の更新を続けます。

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以前、我楽多倶楽部製の、小さな小さな星座早見盤を紹介したことがあります。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/07/26/5249861

これは、紙で出来たふつうの星座早見としては、依然世界最小かもしれません。
しかし、紙製という制限を取り払うと、世の中にはさらに小さな早見盤が存在します。しかも、内部に精巧な機構を備え、本物の星空とまったく同じ周期で回転し続けるという、まさにミクロコスモスと呼ぶにふさわしい早見盤。

ただし、それはいわゆる「星座早見盤」として売られているのではなくて、商品としては「時計」に分類されます。

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シチズンが ― というよりも、同社に在籍した上原秀夫氏が、1980年代に前身のコスモサインシリーズを世に送り出して以来、不断の改良と試行錯誤を重ねた末に、2005年に完成させた究極の天体時計、それがASTRODEA(アストロデア)シリーズです。

(「アストロデア」2006年バージョン。アストロアーツさんのサイトより転載。http://www.astroarts.co.jp/news/2006/07/19astrodea/index-j.shtml

と、こんな風に書くと、なんだかメーカーのお先棒をかついで、いたずらに煽っているだけのように思われるかもしれません。しかし、上原氏の開発秘話を読んでいただければ、上のことが単なるセールストークではないことがお分かりいただけるでしょう。

ADTRODEA 開発秘話
 http://www.astrodea.jp/story/index.html

…と書こうとしたら、なんと肝心の「開発秘話」が公開終了しているのを知って愕然。ほんのつい最近まで見られたのに…。ネットの世界もまことに無常迅速。

気を取り直して、以前拝読した内容を以下略記します。

上原氏は、小学生時代の小口径屈折での観望体験から始まり、高校時代には木辺成麿氏の『新版反射望遠鏡の作り方』に学んで、鏡面研磨から組み上げまでの苦労を一通り体験されたという、正統派の(元)天文少年です。
1974年にシチズンに入社されてからも、一貫して天文マニアであり続け、2011年には東亜天文学会賞を受賞されたという、そのご経歴からも、氏の時計開発の背景は想像がつくことでしょう。
さらに氏は、自らの理想の製品を作り上げるために、シチズン本体を離れて、関連会社のシチズン・アクティブ社に移籍。そこで天体時計専門の事業部を設立し、アストロデア・ブランドを育て上げられたというのですから、それが凡百の色物商品とはまったく異なるレベルの製品であることも、お分かりいただけるはずです。

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私には時計趣味がまったくないので(時計のカラクリには興味がありますが、高級時計をコレクションする性癖や資力はありません)、この美しいモノについても、ウォッチコレクター目線ではなしに、あくまでも一個の「機械式早見盤」として、天文古玩的目線で書こうと思います。

(この項つづく)

世界最小の星座早見盤(中編)2012年12月05日 20時28分28秒

昨日の記事の末尾で、「あくまでも一個の『機械式早見盤』として、天文古玩的目線で書」くとか何とか、もっともらしいことを述べましたが、ここでは硬派なメカメカしい話題に踏み込むことなく、もっぱらその外面のみに集中して話を進めます(それこそが天文古玩的目線かも)。

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さて、この「掌中の天体時計」、昨日のアストロアーツさんの商品紹介でも分かるように、ついこの間まで市場に流通していた、現役と言っていい製品です。
私もリアルタイムでそれを見ていたせいで、何だか何時でも買えるような気がして、結局買いそびれてしまいました。(というよりも、その頃はアストロデアの背景も知りませんでしたし、ひたすら古いものに目が向いていたので、あまり食指が動きませんでした。)

しかし、販売終了となった今では、アストロデアはなかなか入手困難です。そうなると、俄然欲が出るのが人情。ただ、出物が少ないし、たまに売りに出ても、プレミア価格が付いて、下手をすると10万円近くするので、ちょっと手を出しかねていました。


そんな中、最近やっと手にしたのが上の品。
なぜ私に買えたかといえば、もちろん安かったからで、それはこのアストロデアがコレクターズ・アイテムとはなり得ないモノだったからです。つまり、元箱も、取説も、盤面を見る専用ルーペも付属しない、本体のみの販売で、しかもこの黒の革バンドは、オリジナルのものではなくて、前の所有者の方が付け替えたもののようです。


しかし、私が興味を集中させているのは、この美麗な時計本体のみなので、上記のような瑕疵があっても、あまり痛痒を感じません。時計マニアでないおかげで、そういうことを全く気にしないで済むのが、門外漢の強みといえば強みです(変な強みですが)。

(闇に沈む極小の星空)

と同時に、これを腕時計として身に着けようという気もまったくないので、いっそのこと挟雑物を取り払い、本体のみをディスプレイしてはどうかと思い立ちました。いわばウォッチのクロック化です。(そういうわけで、いちばん上の写真はすでにバンドの金具が外されています。)

(この項つづく)

世界最小の星座早見盤(後編)2012年12月06日 20時15分56秒



アストロデアを素材にした、ウォッチのクロック化。
そのための専用の置き台を作ることにしました。時計の右側に見えるのがそれです。


ありあわせの木切れ(60ミリ角のキューブを半分に切った三角柱)に、彫刻刀で時計の形のくぼみを作って、色を塗っただけのもの。



ここに時計をはめ込むと、机の脇にもちょこんと置けるクロックになります。


埃よけに、65ミリ角のアクリルケースに入れたら、ピッタリはまりました。

…とは書いてみたものの、こうして見ると、つくづく自分は不器用だなと思います。
頭の中にあったイメージは、もっとスマートなものでしたが、出来上がりは「雑な民芸調」。さすがに恥ずかしいので、今日は画像サイズが小さめです。
ただ、アイデアは悪くないと思います。器用な人が丁寧に仕事をすれば、もっと見栄えのいいものができるのでは。

【付記】

シチズンのコスモサイン登場から、アストロデア出現直前までの、天体モチーフの腕時計をレビューしたページ(by くまやす様)を拝見しました。この世界もなかなか奥が深いようです。そして、時計は時計で又いいものだと考え直しました。(でもやっぱりコレクションはしないでしょう。)

くまこれ:月の時計・星の時計
 http://www.kuma-kore.com/kuma_colle/cosmosign/cosmosign.html

「ジョバンニが見た世界」 アゲイン2012年12月07日 19時45分08秒


(シャルトル大聖堂のステンドグラスに描かれた射手座。1220年頃。
出典:http://www.fotopedia.com/items/flickr-2950383981

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、読者の憧れを誘う、魅力的な天文アイテムの数々が登場します。

例えば、冒頭の「午后の授業」の章。
そこには、巨大な黒い星座掛図や、壮麗な銀河の写真を載せた重厚な本光る砂粒の入った凸レンズ型の銀河模型などが、静かなトーンで描かれています。

あるいは、第4章「ケンタウル祭の夜」に登場する時計屋の店先。
そこには、アスパラガスの葉で飾られた黒い星座早見盤黄金色に輝く望遠鏡色とりどりの宝石を星のように乗せて回る青いガラス盤神話世界そのままの華麗な星座絵が、鮮やかにディスプレイされ、ジョバンニの心をすっかり奪ってしまいます。

そうした涼やかな、あるいは華やかな品々を、この現実世界に探し求めるという天文古玩オリジナルの企画が、「ジョバンニが見た世界」という連載記事でした。

過去の一連の記事は、左のカテゴリ欄から「宮澤賢治」というタブを見ていただければ、そのあちこちに散らばっているはずです(あるいは、「ジョバンニが見た世界」をキーフレーズに、ブログ内検索をかけていただいた方が手っ取り早いかもしれません)。

これまで何度も書きかけては中断を繰り返してきた、この企画。
頓挫の原因は、やはりぴったりのイメージのものを見つけるのが大変だ、ということに尽きると思います。無理やりこじつけてはみたものの、後が続かない、そこで筆が止まってしまう…ということの繰り返しでした。

しかし、今年に入ってから、いくつか「これは!」というものを見つけたので、おずおずと連載を再開します。もちろん、また中断するかもしれませんが、ここまで来たら焦らずに、続けられるところまで続けます。

(以下なんとなくスタート)

ジョバンニが見た世界…ついに見つけた星座の掛図2012年12月08日 18時06分01秒

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、
乳の流れたあとだと云われたりしていた
このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、
みんなに問をかけました。  (「一、午后の授業」より)

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「ジョバンニが見た世界」でまず取り上げたいのは、物語のいちばん最初に登場する星座の掛図です。

思えばこの話題、これまでにもずいぶん取り上げました。
例えば、賢治が子ども時代に目にした掛図はわりと小ぶりだったはずで、ここでいう「大きな」というのは、ある程度留保が必要だろう…とか(LINK)、あるいは、賢治がイメージしたのは、当時、日本天文学会が出した星座掛図らしい…とか(LINK)、はたまた、作品世界にふさわしい品として、19世紀にパリで出た天文掛図ではどうか…とか(LINK)、その他もろもろ。

しかし、肝心の円形星図の掛図(※)というのが、いかにもありそうで無くて、そこで話題は先細りになったのでした。

(※)ジョバンニは、時計屋の店先で星座早見盤を見て、授業で使った掛図を連想しました。裏返せば、授業で使ったのは、早見盤を大きくしたような図であったはずです。

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しかし、思う念力岩をも通す。多年の探索の末に、やっと出会ったのが下の品。


残念ながら、黒くはないです。それに銀河の流れの向きも、上下ではなく左右です。
しかし、作品世界の具象化として、100点満点とは言えないまでも、80点ぐらいは与えてもいいかな…と個人的に思っています。

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この品は、19世紀創業のドイツの老舗教育出版社 Westermann が出した、
H.Hagge(著) 『我が国から見える星空(Sternenhimmel unserer Heimat)』
と題する掛図。

ドイツの学校では長期にわたって使われたらしく、検索してみると1920年代から60年代あたりまで流通していた形跡があります。手元の品に関して、売り手は1930年代頃のものとしていましたが、印刷の加減や、木製ロッド(軸)の感じから、確かにその頃のものと見てよいのかもしれません。

(古びた軸とラベル)


こうして見上げると、確かに大きいです。高さは約120センチ、幅は約95センチ。
これなら教室の後ろからでも、白くけぶった銀河帯がハッキリ見えたことでしょう。


星図のアップ。理科趣味が漂うクールな星座表現。朱を点じたのは変光星です。


この掛図、上では80点を付けましたが、実写版モノクロ映画の小道具としてならば、95点を付けてもいいかもしれませんね。

(なんとなくつづく)

パトリック・ムーア氏、死去2012年12月10日 06時23分59秒

「イギリスの野尻抱影」とも呼ぶべき偉大な天文趣味の鼓吹者、パトリック・ムーア氏(Sir の称号を受けているので、本来はパトリック卿と呼ぶべきかもしれません)が、12月9日、現地時間の午後12時25分、イングランド南部のセルジーの自宅で亡くなられました。享年89歳。

BBC NEWS (動画あり)
 Sir Patrick Moore, astronomer and broadcaster, dies aged 89
 http://www.bbc.co.uk/news/uk-20657939

取り急ぎ第一報。
以下、続きは帰宅後に書きます。

パトリック・ムーア氏のこと2012年12月10日 21時24分08秒

今日は思わぬ初雪。
パトリック・ムーア卿(1923-2012)の訃と重なったのは偶然にしても、窓から見える景色がいつにも増して心に沁みます。

ムーア氏は、元はれっきとした英国空軍将校。


禿頭にトレードマークの片眼鏡をかけて、愛用のオンボロタイプライターをパチパチ叩く晩年の姿は、微笑ましくも一寸怪人めいた雰囲気がありました。しかし、写真で見るかぎり、壮年の頃はスラリとした、まことに男っぷりの良い人だったようです(この点は野尻抱影翁もそうでした)。

(36歳のムーア氏)

1つ前の記事で、ムーア氏を「イギリスの野尻抱影」と書きました。
氏は専門の天文学者ではなく、あくまでもアマチュアの立場で情報発信を続けながら、専門家を含む多くの後進を育てた点でも、野尻抱影とよく似た立ち位置の人だったと思います。(ムーア氏の知名度が日本で今ひとつなのは、まさに抱影翁がいたせいかもしれません。もし抱影翁なかりせば、日本でももっとその訳書が歓迎されたかも…)

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ただ、抱影との大きな違いは、その活躍の場が文筆の世界にとどまらず、テレビにまで広がっていたことです。ムーア氏を語るとき、必ず言われるのが、イギリスBBCの天文番組「The Sky at Night」の司会(※)を、長年にわたって続けられた功績です。イギリスでは、氏の名とこの番組は不即不離であり、「同一番組連続最長司会者」というのが、いつの頃からか、氏を語るときの枕詞になっていました。


手元に、「The Sky at Night」の単行本第4巻(1972)があります。1970~72年に放映された内容を書籍化したものですが、その序文で、BBCのオーブリー・シンガーという人が、こんなことを書いています。

「今やテレビの最長寿シリーズとなった彼の番組、The Sky at Nightは、1957年4月に始まった。ロシア人が、小さいながらも偉大な彼らの衛星・スプートニク1号を打ち上げる半年前のことである。それ以来放映された約275本の番組の中で、パトリック・ムーアは宇宙時代が成し遂げた成果と推論を幅広く取り上げ…」

この一文が書かれてから早40年。まさか40年たっても、依然この番組が続いているとは、シンガー氏も予想だにしなかったでしょう。そして、ムーア氏その人が、司会を続けているとは!

(※)「司会」というよりも、語り手/プレゼンターと呼ぶ方が適切かも。

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残念ながら、私は生前の氏とお会いすることはできませんでした。
以前、日本ハーシェル協会の一員として、英国ハーシェル協会の年会に参加したとき、本当はムーア氏も参加されるはずだったのですが(氏は同協会の名誉会長でした)、体調がすぐれず欠席されました。

ただ、以前も書いたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/04/20/3209982)、ハーシェル協会の用務で、一度だけお手紙を頂戴したことがあります。あの老タイプライターがカタコト打ち出したお手紙を。。。

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ともあれ、天文趣味の1つの時代が終わったのは確かです。
上で氏のことを老怪人のように書きましたが、実際の氏は誰にも腰の低い、真にジェントルな人であったと言います。心からご冥福をお祈りします。

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以下はおまけ。
『The Sky at Night』第4巻は、たまたま日本関連の記事で始まっています。



1969年10月に発見された「多胡-佐藤-小坂彗星」が、もうじき天空に壮麗な姿を見せることを期待する内容(1970年1月12日放映)。
残念ながら、その期待は裏切られたことが、単行本化するにあたって注記されていますが、氏が日本のアマチュア天文家の活動にも注目していたことが分かる記述です。

ジョバンニの冬休み2012年12月11日 20時31分04秒

「ジョバンニが見た世界」は、次のテーマを決めて、これから記事を書こうとしているところですが、いかんせん寒さで腰痛が出たので、今日はもう休みます。