天球儀メダル(おまけ)2013年04月01日 21時04分48秒



昨日の天球儀メダルには、実は兄弟がいて、こうしてみるとほとんど区別がつかないくらいですが、ただし頭に城壁を模した王冠をかぶっているのが一寸違います。
で、これも小学校の卒業記念メダルなのかなあ…と思って裏面を見ると、何やらいろいろ書いてあります。


いちばん下にある「VERVIER ヴェルヴィエ」はベルギー東部の町。
その町で1882年に作文コンクールか何かがあって、このメダルはその受賞記念か参加賞かなんかだろうと思うのですが、どうもよくわかりません。

仮に上の想像が当たっているとしたら、そもそも望遠鏡もレトルトも、それにアーミラリースフィアだって、あまり賞とは関係なさそうだし、同じフランス語を話すからといって、ベルギーの人がフランスで使われているメダルのデザインに義理立てする必要もなかろうと思うのですが、うーん、なんだか謎が謎を呼びます。
もし、その辺の事情をお分かりになる方がいらっしゃったら、ぜひご教示ください。


ちなみに、ベルギー版の大きさは直径5センチと、フランス版よりずっと大きいので、一方が他方から型を取って模鋳したわけでもなさそうです。

いろいろ謎は多いですが、ともあれ、あまり関係なさそうなところまで顔を出すぐらい、アーミラリーはかの国の人々に愛されていたのは確かだろうと思います。

東大発ヴンダーの過去・現在・未来2013年04月02日 06時18分26秒

ヴンダー好きの人、特に理科室系ヴンダー好きの人にとって、東大総合研究博物館の小石川分館は、まさに聖地と呼ぶべき場所でした。それはひとえに、同館で2006年から常設展として開催されていた「驚異の部屋-Chamber of Curiosities」展の力によります。この展示空間が日本のヴンダー好きに与えた影響は、いくら強調しても強調しすぎということはないでしょう。

私が小石川を訪れたのはいつも雨の日でした。
静謐で、冷やかで、それでいて華やかなモノたちの祝宴。
このまま何ひとつ変わることなく、未来永劫続くかと思われた同展も、残念ながら昨年9月をもってついに終了となりました。

それを知って、ヴンダー好きのひとりとして、実に空虚な感じ、寄る辺ない感じを味わったのですが、さすがは東大、さすがは西野嘉章館長。新たなヴンダーの種は首都のど真ん中に早々とまかれており、それが先月ついに芽を吹きました。東京駅前のJPタワー(旧東京中央郵便局)に、3月21日にオープンした「学術文化総合ミュージアム インターメディアテク」がそれです。


インターメディアテク公式サイト
 
http://www.intermediatheque.jp/

上記サイトによれば、その内部空間は

「レトロモダンの雰囲気を醸し出す空間演出をデザインの基調とし〔…〕21世紀の感受性に働きかける折衷主義的様式美——仮称「レトロ・フュチュリズム」——の実現を企図」

しており、そこに展示されるのは、

「総合研究博物館の研究部ならびに資料部17部門の管理下にある自然史・文化史の学術標本群である。ミンククジラ、キリン、オキゴンドウ、アカシカ、アシカの現生動物、さらには幻の絶滅巨鳥エピオルニス(通称象鳥)などの大型骨格については、本展示が最初のお披露目の場となる。また、(旧)医学部旧蔵の動物骨格標本と教育用掛図も、本格的な公開は今回が初めてとなる。〔…〕

また、学外の機関・団体からのコレクションの寄託ないし貸与もいくつか実現した。主なものとして、財団法人山階鳥類研究所の所蔵する本剥製標本(多くは昭和天皇旧蔵品)、江上波夫収集の西アジア考古資料コレクション、岐阜の老田野鳥館旧蔵の鳥類・動物標本、江田茂コレクションの大型昆虫標本、仲威雄収集の古代貨幣コレクション、奄美の原野農芸博物館旧蔵の上記マチカネワニを挙げることができる。」


…とあって、本郷本館と小石川分館でこれまで行われてきた展覧会の精髄を結集した、実に豪華な展示であるようです。

ただし、その分きゅうくつな部分も増えて、小石川ではバンバン写真も撮り放題でしたが、今度はそういうわけにはいかず、ネット上での露出度も低かったのですが、以下の記事を見て、ようやく館内の様子がほの見えてきました。

JDN Station:学術文化施設「インターメディアテク」オープン
 http://www.japandesign.ne.jp/station/articles/view/178

元郵便局の集配業務に使われていた、長さ66メートル、幅12メートルの細長いフロアに、装飾的な木製キャビネットを作り付け、骨あり、蟲あり、剥製あり、人工物ありの、奇態なモノ尽くしの空間を作り上げている模様です。

長大な単一空間は、博物館としては使いづらいと思いますが、見ようによっては昔の王宮の間のようでもあり、これぞヴンダーカンマーならぬ、新たな「ヴンダーパラスト(驚異宮)」なのかもしれません。

何はともあれ交通至便の場所ですし、こんど東京に行く際は、真っ先に訪ねてみようと思います。

春爛漫なれど2013年04月04日 20時41分34秒

桜も盛りを過ぎ、季節は仲春から晩春へと移行しつつあります。
自然の息吹を感じる好時節到来ですが、私事ながら、家族の容体の関係で、しばし記事をお休みします。

『星の文化史事典』 を読む2013年04月06日 21時54分09秒

家族の身体にメスが入るということで心配しましたが、幸い無事に終わりました。
経過も悪くなさそうです。
そんなわけで、今はエビスビールを開けて、一寸くつろいでいます。

   ★

病院での落ち着かない時間、無理にでも気を紛らすために、最近買った本↓を持っていきました。人間、切羽詰まると、半ば無意識のうちに何か悠遠なものにすがりたい気になるせいでしょう。

出雲晶子(編著) 『星の文化史事典』、白水社、2012

(表紙を飾るのはコーネルの箱作品、「Cassiopeia #1」)

   ★

思い起こせば、今は成人した息子がまだ幼いころ、流行り病で生死の境をさまよっていた時も、私は病室で星の本を読んでいました。
目を閉じた息子の顔と、眼下の街の灯り、その上に広がる夜空、そして星の本を交互に見ながら夜を明かしたあの時。空が紺から透明な青に、そして白々と明けていく様子を、ある種の感動をもって眺めたのを覚えています。あの時自分が何を感じたのか、今となっては正確に思い出せません。絶望・希望・祈り、そういったもので心がいっぱいになりながら、でも窓外の景色をやっぱり美しいと感じていたように思います。
ひょっとして、私はあの時ほど宇宙と向き合ったことはないかもしれません。

   ★

『星の文化史事典』に話を戻します。
こういうときは、頭を使うものや、ストーリーのあるものよりも、どこから読み始めてもよい、軽いエッセイ風のものの方が心に叶うので、この事典はまさにうってつけでした。

この本の性格については、著者の出雲さん自身が「まえがき」で、「星の文化なんでも雑学事典」であり、「本書を〔天文学、文化人類学、民俗学、あるいは文化史の〕どの棚に並べるのかは本屋の店員さん次第」と書かれているように、これは既存の学問の枠に収まらない、非常にユニークな本です。そもそも、版元が文学色の濃い白水社だというのも、星の本としては異例でしょう。

なぜこういう本が編まれたかといえば、これまた「まえがき」にあるように、「〔…〕星の文化については、全体像がよくわかっていない。個々のジャンル別には詳しく研究されているのだが、それが全部合わさるとどういう横のつながり、勢力図になっているかがピンとこない。それを概観だけでも見てみてはどうかと考え、雑多な星に関連した文化を分野の垣根を越えて集めてみた」というのが、主な動機づけになっています。

ですから、本書は特定の調べ事のツールとして使うよりも、ボンヤリ眺めているうちに、ふと何か新しいことに気づく…というのが「正しい読み方」なのかもしれません。

   ★

本書の見出しは、純粋な五十音順になっています。
しかし、なかなか名詞一語で表現しがたい文化事象も多いので、中にはちょっと強引と思える項目もあります。でも、それがかえって面白い効果を生んでいます。

たとえば、「つ」の項には、月に関する見出しがずらりと並んでいます。
「月犬とランプ」、「月かあさんと太陽かあさん」、「月が夜しか出ない理由」、「月とカエル女房」、「月にいる狼とノロ鹿」などなど。それぞれ、ミャンマー、スーダン、中国、カナダ、ロシアの民話の題です。読み比べてみると、月に寄せる各地の人々の思いが伝わってくるようです。

あるいは、月とウサギの結びつき。これは日本だけでなく、中国にも、インドにも、ミャンマーにもそういう伝承があって、まあそれだけだと、仏教説話とともに伝播したのかなあ…とも思いますが、実はアジアばかりでなく、ロシアにも、アフリカにも、中米のマヤやアステカにもそういう話があることを、本書は教えてくれます。これは単純に月の模様がウサギに似ているからなのか?それとも、もっと何か深い理由があるのか?…考え出すと、にわかにいろいろ興味が湧いてきます。さらに、宇佐神宮の神官・宇佐氏は月読命(つくよみのみこと)の子孫であり、そのためウサギにちなんで「宇佐」を名乗っているのだ…なんていうことも、私は本書で初めて知りました。

あるいは、怠け者の7人の娘が星になったという伝承が、アイヌ民族にもネイティブアメリカンにもあると聞くと、ちょっと偶然とは思いにくいですが、でも前者は北斗七星で、後者はプレアデスだと知ってみると、やっぱり偶然なのかなあ…と思ってみたり。

とにかく縦に読んだり、横に読んだりすると、いろいろ発見のある本です。

アメシストに浮かぶ光と影2013年04月07日 19時53分09秒

なんだか今日は心が絶えず揺れ動いています。
そのせいで、世界の見え方が短時間でころころ変わります。
いちどきに沢山のことが起こると、得てしてそういうことになるのでしょう。

   ★

机の隅に置かれた、握りこぶし大の紫水晶の単結晶。
その透明なラベンダー色を見るたびに、いつも綺麗だなと思います。


窓からさす朝日の下で見る姿がいちばんですが、こうしてスタンドの灯りに照らされた姿もなかなか美しい。


でも、今日はその鮮やかすぎる紫が、むしろ疎ましく感じられます。
いっそ灯りを消して、夕暮れどきの暗い光に沈む色合いの方が、ずっと心にしっくり来ます。

もちろん石そのものは何も変わらないはずで、すべてはそれを眺める人間の心の問題ですが、でも、そうやって石に心を託せるということ自体うれしいことだし、ほっと救われるような気がします。

二廃人、カレーを談ず2013年04月09日 21時39分43秒

「よお、どうしたい。万緑萌える季節だってのに、冬ざれのような顔をして。」
「やあ、キミか。余計なお世話…と言いたいところだけど、キミなりの心遣い、痛み入るよ。」

「まあ、俺が来るときは、たいていお前さんが煮詰まってるときだからな。今日もきっとそうなんだろう?」
「うん、ぐつぐつよく煮えてるよ。」
「何が煮えた?」
「カレー…かな。どうもね、近頃自分のブログがカレーのように思えてね。」
「おや、カレーと来たか。俺は嫌いじゃないぜ。一杯ご馳走してくれんか。」

「まあ、まじめに聞いて欲しいんだが、最近何を書いても、変わり映えしない気がしてね。要するにマンネリというか。」
「ネタ切れか。」
「いや、そうじゃない。ネタはいくらでもあるんだ。でも味付けがね…。世の中に食材と名の付くものは無限にあるけど、それをカレーにぶち込んだか らといってさ、別の料理になるわけじゃないだろう?たとえば豆ひとつとったって、ひよこ豆、レンズ豆、インゲン豆、えんどう豆…といろいろあるけど、じゃあ、ひよこ豆カレーや、レンズ豆カレーをズラリと並べて、「メニューの豊富な店でござい」と威張るわけにもいかないじゃないか。そもそも、そういうのをヴァリエーションとは言わないだろうし。」

「うーん、それを言っちまうと、世間に数あるカレーの専門店はどうなるんだ?」
「ボクだって、そういう立派なシェフの腕前があれば、こんなふうに悩まないよ。でも、現実はそうじゃない。キミの奥さんの腕前を疑うわけじゃないけどさ、もし奥方が、今日からカレー以外のものを一切作りませんと宣言したら、キミだって、いささか鼻白むんじゃないか?」
「あははは。まあ食べる方は辛いだろうな。でも、お前さんがさっき言ってたのは、作る側の苦労だろ?カレー専門で押し通せるなら、ブログの管理人として、こんな楽なことはないじゃないか。」
「いやいや、これは楽して稼ごうとか、そういう話じゃないんだ。『書く楽しみ』を無視してもらっちゃ困るよ。毎日毎日、旨くもないカレーを作り続けるのもシンドイものさ。しかも、他の料理を作りたくても、その方法を知らないときている。」

「なるほど、お前さんが何を言いたいのか、だいたいは分かった。でも、ちっとおかしくないか?」
「え、どこが?」
「さっき、ネタはいくらでもあると言ったろう。」
「うん、言った。」
「食材がいくらでもあるなら、なんでそんなに煮詰まる必要があるんだ?」
「だから、それは何をカレーに入れたって、所詮カレーだって…」
「そこが変なのさ。俺に言わせればだ、カレーに入れるからカレーになっちまうんだ。もっと大らかな昔に立ち返ってみろよ。昔の調理なんて、煮るか、焼くか、蒸すか、要するにちょいと火を通してガブリと喰う、それだけだったわけだ。何も難しいことはない。なまじ料理らしくしようとして、カレー粉に頼るからダメなんだ。思い切ってカレー粉なんぞ捨てちまえよ。」

「なるほど、シンプル料理に徹すれば、毎日カレー鍋を前にげんなりする必要もないわけか。」
「そうさ。ひとつガブリといこうぜ、ガブリと。」
「ありがとう。やはり持つべきものは友だな。カレーを作らなくてもいいと思ったら、今度は急にカレーもいいと思えてきた。」
「いいぞ、その意気だ。よし、今度とびきり辛いのを喰いにいくか。」
「うん、いいね。キンキンに冷えた地ビールの出る店がいいな…」

謎の化学カード(第1夜)2013年04月11日 20時48分15秒



私がその家の門口まで来ると、小倉の袴を着けた書生風の若い男が、先客数人を家のうちに案内しようとしているところだった。私が目で挨拶すると、男もすぐに察したのか、列に加わるよう慇懃に述べ、先頭に立って歩き始めた。
私たちは式台付きの玄関を上がり、磨きこまれた廊下を通って、奥の座敷に通され、互いに無言のまま、この家の主人が現れるのを落ち着かない気分で待った。

ややあって、右手の襖がすっと開くと、背中を丸めた老人が、それでもしっかりした足取りで入ってきた。
「いや、みなさんにはご足労をおかけしまして…老人のわがままに、こうしてお付き合いいただき、まことに恐縮の至りで…」
老人は、型通りの挨拶を述べると、つるりと顔を撫でた。

「さて、本日お呼び立てしたのは、ほかでもない。実はある『謎』を解いていただきたいと思った次第でして。本日おいでいただいた皆さんは、お互い初対面の方もいらっしゃいましょうが、それぞれ理科趣味に深い志のある方ばかり。そのお知恵を拝借して、その謎が解ければこの老人にとって重畳至極、また皆さんにとっても、春の宵の無聊を慰めるひと時になるのではと思いましてな。」

老人の奇矯な言い分に驚きつつ、私は老人の言う「謎」にひどく興味を覚えた。

「まあ、これをご覧くださいまし。」
老人はエジプトの星月夜をデザインした、一風変わったトランプのようなものを取り出した。



「昔ながらの石版刷りで、大正頃のものでもありましょうか。父が買ったのか、兄が買ったのか、いずれにしても私が子供のころには、すでに当家にありましたもので、幼心にこの異国風の絵柄がひどく気に入ったのを覚えております。」
「さて、問題はこの裏面…いやおもて面でしょうか、その中身でして。」


「ご覧のように、表には何やら物質の名称が絵入りで書かれております。また化学式らしきものが書かれたカードもあります。しかし、このカードが総体として何を表しているのか、また本来どのようにしてゲームを進めたものか、今では説明書も残されておりませんし、私も家族から聞いた覚えがありませんので、皆目わかりませんのです。」

「謎と申し上げたのは、このことでございます。どうでしょう、ひとつみなさんの推理をお聞かせ下さいませんでしょうか。隣の部屋に、あらかじめカードを一通り並べてありますので、そちらに座を移して、どうぞじっくりとご検分ください。」

老人がここまで言うと、先ほどの書生風の男が、隣室に通じる襖をさっと開けた。

   ★

あまり意味はありませんが、何となく推理仕立てにしてみました。
老人とともに私からも皆様のお知恵を拝借したく、どうぞよろしくお願いいたします。
なお、すでに答をご存知の方は、しばらく口チャックでお願いします。そして最後まで謎が解けなかったら、どうぞ助け舟をお出してください。

それでは第2夜につづきます。

謎の化学カード(第2夜)2013年04月13日 08時18分17秒

隣室には古風な行灯の下、老人のいう「謎」が行儀よく並んでいた。


「このカードを思い出せてくれたのは、石津…あの男でして。」

石津と呼ばれた例の書生風の男が、老人の言葉を引き取って説明を始めた。
「私は大先生から常々珍奇な品を探す役目を仰せつかっているのですが、先日ネットオークションで不思議なカードを見つけ、これはと思い、すぐお知らせしたのです。しかし、大先生は私の説明を聞かれて、それならばもう持っておると…見比べたら確かに同じものでした。」

「さよう。しかし、同じようでいて、少し違うところもありましてな。当家のカードは、ご覧のように50枚から成っております。何の手違いか、同じカードが1枚重複しているので、枚数は全部で51枚ありますが、本来は50枚で一揃いなのでしょう。しかし、石津が見たのは97枚だったそうで。」

「はい、売りに出ていたのは全部で97枚でした。でも、そこには同じカードが2枚ずつ含まれていましたから、元は50種類のカードが1ペアずつの計100枚セットだったように思います。出品者も『カードが全部揃っている保証は無い』と言っていましたから、おそらくは…。」

「そんなわけで、50枚で遊ぶ場合もあれば、100枚で遊ぶ場合もあったのかもしれず、ひとつその点も念頭において、お考えいただきとう存じます。」

カードはざっと種類別になっていた。


絵入りカードには、老人が述べたように物質名が印刷されていた。
「水素と水…、元素もあれば、化合物もある。」
私の傍らで、1人の男が声を出した。


「ClとOは『塩素』、『酸素』ではなく、『塩化』、『酸化』と書かれていますね。」
と別の女がつぶやいた。


私も思いつきで言葉を発した。
「このアルゴンは1894年に発見された新元素で、電球への封入に応用されたのは、それから20年ばかり後のはずです。このカードはその新技術を誇らしげに表現しているのでしょう。ご亭主の言われる通り、この品は大正頃のものと見てよいのではないでしょうか。」

老人はそれらの言葉にいちいち頷きながら、さらに先を促した。
「そしてこちらが化学式で…」

(↑2段目左端と最下段、CH2のカードが重複)

「ここまでは、何とはなしに意味が分かるのですが、こちらの数字とプラス・マイナスのカードは、はて何でしょうな?」


   ★

正直、化学の素養がないので、私には皆目わかりません。
ぜひ謎を解いてくださいませ。重ねてどうぞよろしくお願いいたします。

謎の化学カード(第3夜)2013年04月14日 17時32分26秒

(エヂプトの秘宝を狙う二十面相と、波島進演じる明智小五郎の知略を尽くした戦い。『透明怪人』、昭和33年公開)


老人は座を見渡して、もじゃもじゃの髪をしきりにかき回しながら、静かに微笑んでいる男に向かって声をかけた。
「明智さんは何かお気づきかな?」

明智と呼ばれた男は、さもうれしそうに答えた。
「これは、なかなか面白い謎ですね。しかし、天然自然の謎に比べれば、人間の作った謎は存外単純なことが多いものですよ。
私は化学に詳しくはありませんが、このカードを見ていて、いくつか特徴的な点を指摘することができます。まず、カードの裏面がすべてピラミッドとスフィンクスのデザインになっていますね。これは、トランプと同じように、カードを裏向きに配ったこと、そして各プレーヤーは互いに手札を見せないようにゲームを進めたことを意味しているのでしょう。そして、絵カードも、化学式カードも、裏面は全部共通のデザインで、特に区別されていません。それは区別する必要がなかったからです。つまり、このゲームは全てのカードをシャッフルして、ランダムにプレーヤーに配ったに違いありません。」

それを聞いて、私も以前から見知りのU博士が言葉をはさんだ。
「なるほど、絵カードと化学式カードを混ぜて使ったというのは、その通りに違いない。たとえば、メチル基CH 3 は化学式カードにあるのに、水酸基OHは絵カードにしかない。絵カードと化学式カードを混ぜちゃいかんというなら、エタノールは化学式カード同士でCH3 CH2 OHが作れるのに、メタノールは作れんことになってしまう。それはいかにも不合理ですからな。」

明智はU博士の言葉に力を得たのか、先を続けた。
「このゲームで各プレーヤーが目指すものは何か、それは手札を組み合わせて「役」を作ることであり、「役」とは皆さんご想像の通り、各種の化合物なのでしょう。通常のゲームから類推すれば、ゲームはできるだけ早く手札を無くした者か、点数の高い「役」を作った者か、あるいはできるだけ沢山の「役」を作った者が勝ち…というルールだったと思います。」

「しかし、絵カードと化学式カードが同等の役を果たすなら、なぜ2種類の表現が混在しているのでしょう?いかにも無駄だと思いますが…」
と、女が眼鏡に手をやって明智を見た。

「ボクにも本当のことはわかりませんよ。ただ、このゲームの考案者の立場で考えてみてください。このゲームは、遊びを通じて化学の初歩を教えることを目的に作られたのでしょうが、子供たちの興味を惹くには、色刷りの絵も入れたいし、学問の手ほどきのためには、化学式も入れたい。その妥協の産物が、こうした表現になったんじゃないでしょうかね。」

明智は一同の顔を探るように見ながら、さらに言葉をつづけた。
「ところで、皆さんはこの中で1つだけ異質なカードがあるのにお気づきですか?」
「アルゴンだ!」U博士が叫んだ。
「そうです。これは不活性ガスですから、他のカードと組み合わせても化合物にはなりません。トランプでいえば『ババ』ですね。『ババ』の存在は、ゲームの進め方を推理する上で大きなヒントです。『ババ』があるということは、すなわちゲームの中に、プレーヤー同士が互いのカードを交換する手順が含まれていたことを意味します。でなければ、『ババ』を手にした時点で、そのプレーヤーの負けが決まってしまい、ゲームとしてつまりませんから。」

老人が遠くを見ながら語りだした。
「ふーむ、幼いころのことをボンヤリ思い出しましたぞ。父がカードを兄や姉に配り、皆が真剣な顔つきで…あれはこのカードであったのか…。」

私は明智に向かって性急に問いかけた。
「何となくゲームの手順は分かってきましたが、肝心のルール、カードをどう組み合わせるかについてはどうなんです?いや、もちろんカード同士で化合物を作るというのは分かるんですが、しかし化学のイロハもおぼつかない子供たちが、はたして自由に化合物を作れたものかどうか、そこがどうも腑に落ちなくて。」

「もっともな疑問ですね。そもそも、それだけの知識があれば、わざわざこんなカードで化学の初歩を学ぶ必要はないでしょうしね。…おそらく組み合わせのルールは、カード自体に内在しているはずです。分厚い化学の教科書を傍らに置かないとゲームができないなんてことはないでしょう。どうです、各カードの肩に書かれたローマ数字と色を見て、何か気づきませんか?」

U博士が間髪入れず答えた。
「数字は原子価、いわゆる『手の数』というやつだ。つまり、その原子が他の原子何個と結合するかを表す数だろう。」

   ★

知ったかぶりをして書きましたが、依然ルールについては何も分からないので、どうぞ明智の推理を補完してやってください。

*文中、特別出演していただいたS.U氏にSpecial Thanksです*

もう一人のジョバンニ2013年04月16日 06時18分34秒

銀河鉄道の夜にちなみ、「ジョバンニが見た世界」を考証していて、何かイタリアにちなむ天文アイテムが欲しいと思いました。それは午後の授業の教室の壁にぶら下がっていてもよく、また時計屋のショーウィンドウに飾られてもいいのですが、とにかく物語の舞台を暗示するために、そういうものがあってもいいかなと思ったのです。

   ★

しかし、改めて考えると、どうもイタリアでは天文学が振るわず、少なくとも近代以降は天文後進国だったことは否めません(これは科学技術全般について言えることかもしれません)。

もちろん、あのガリレオはいます。
しかし、ガリレオがあまりにも偉大すぎて、あたかもイタリアの天文エキスをすべて吸い取ってしまったかのように、その後は英・独・仏のはるか後塵を拝する状態が続きました。

それはガリレオ騒動のときもそうでしたが、やはり教会権力によって、自由な学問研究が抑圧されがちであったという風土も影響しているのでしょう。

(夜のサンピエトロ寺院)

ガリレオ以後、イタリアで名のある天文学者といえば、最初の小惑星(ケレス)を発見したジュゼッペ・ピアッツィ(Gòuseppe Piazzi 1746-1826)や、恒星の分光学的研究をリードした、アンジェロ・セッキ(Angelo Secchi 1818-1878) ぐらいでしょうが、彼らはいずれもカトリックの僧で、そういう立場だったからこそ、活動が許容された面もあると思います。(とはいえ、セッキ神父もイエズス会とバチカンとの確執から、一時はローマ追放の憂き目を見ました。19世紀になってからも、イタリアはそんなことが起こりうる国だったのです。)

あるいは、ちょっと変わったところでは、ガリレオの同時代人に、ニッコロ・ズッキ(Niccolo Zucchi 1586-1670)という人がいます。この人も神父さんで、「金星の方が水星よりも太陽に近い。なぜなら金星の方が美しいから」という奇説を唱えた、天文学者としてはちょっとどうかと思える人ですが(でも素敵な説です)、彼は1640年に自作の望遠鏡で火星面の模様を観測し、それがカッシーニによる火星の自転周期の決定に役立った…というエピソードを残しています。

それから200年あまり後、イタリアのもう一人の天文家が、火星の観測で一大センセーションを巻き起こしました。その名もジョバンニ、すなわちジョヴァンニ・スキャパレリ(Giovanni Virginio Schiaparelli 1835-1910)です。

この人は僧侶ではなく俗人ですが、ミラノのブレラ天文台長職を長く務め、流星群と彗星の関係を明らかにするなど、実際には本格派のまじめな天文学者です。でも、今ではもっぱら「火星の運河を(誤って)発見した人」という、不名誉な記憶のされ方をしているのではないでしょうか。

もちろん、天文学史に多少とも通じた人は、それこそスキャパレリにとって濡れ衣で、彼は火星表面に自然地形としての溝(カナリ/カナル)を見たと報告したに過ぎず、それが「運河(キャナル)」と英語圏に誤伝され、大騒動になったことをご存知でしょう。
ともあれ、彼の名は今や火星の運河と固く結びついてしまっています。
(でも、彼の見たカナリも多分に迷妄の産物でしたから、100%濡れ衣とも言い切れないような…)

   ★


そのスキャパレリの絵図を見つけました。


ブレラ天文台の主力機材、口径20インチの屈折望遠鏡で観測に励むスキャパレリを描いた絵で(元は写真かもしれません)、『イタリア絵入り新聞 L'illustrazione Italiana』1898年の紙面を飾ったものです。
紙面はA3サイズで、上の挿絵自体は約 20.5 × 31cm の大きさがあります。
これ1枚単独で売っていたので、ダイソーで買った安い額に入れてみました。

(ひげが立派)

“銀河鉄道の旅から戻ったジョバンニは、後に猛勉強して天文学者になった。彼の姓はスキャパレリ…”というようなオチはどうでしょう?
ちょっと時代が整合しないのが残念ですが。