晩秋の海2013年11月02日 06時33分15秒

いよいよ11月、霜月です。


写真はフランスの学校で使われた地形模型。台座の幅は24cm。


台座にはマルセル・ピエロン社のネームプレートが付いています。
石膏モデルに彩色したもので、時代的には1920年代頃でしょうか。


この模型は、波の浸食によって作られた海食崖を表現したもので、日本にも同種の模型はあるでしょうが、ここで大いに心惹かれるのは、静かに寄せる波の表現と淡い海の色です。




海嘯、寄せる波、無人の崖。
そこに深い詩情を感じるか、サスペンスドラマの1シーンを連想するかは人にもよるでしょうが、私の場合は、昔見たルパン三世のエンディングをふと思い出しました。

ファーブルのキノコ本2013年11月03日 09時33分43秒



■Claude Caussanel(監修)、Claude Causanel・Yves Delange他(著)
 本郷次雄(日本語版監修)、Toshie, Daniel Guez(訳)
 『ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ―221点の水彩画と解説―』
 同朋舎出版、1993

昆虫学者のファーブルはキノコにも関心があり、大量のスケッチを残しています。その作業は1870年代から90年代まで、かなり長いこと続きましたが、中でも1880年代後半から90年代前半、すなわち彼が60代の頃に最も精力的に行われたようです。
その中から200点余りを選び、詳細な解説を施したのが本書で、原著は1991年にフランスで出版されました。


(解説ページ)

これはわりと有名なキノコ本だと思います。
何といっても定価は7万円という堂々たる本です。
外箱の高さは40センチ。大きくて、そしてずしりと重いです。

しかし、その存在感のいっぽう、何か不可解な事情により、この本は出版後間もなく、新品のまま古本屋でたたき売りされる運命に遭遇しました(いわゆるゾッキ本というやつです)。この本が有名になったのは、その価格差も1つの原因でしょう。神田あたりでは実売価格が1万円を切っていた時期もあったと記憶します(今はちょっと古書価が出て、1万5千円から2万円ぐらい)。


だからと言って、これは決して軽んじられてよい本ではありません。
奥付によれば、この日本語版も印刷はフランスで行われており、印刷の品質はフランス語版と同等です。そして、そのフランス語版の古書価は、現在も邦貨で6万~10万円ほどするので、日本の読者はたいそう恵まれていることになります。


   ★

まあ、あまりお金のことを言うのも興ざめですね。
とにもかくにも、ファーブル先生が必死に絵筆を走らせたキノコたちを、こうして大判の図版で楽しむことができることを素直に喜びたいです。


お知らせ2013年11月04日 05時40分19秒

本業やら何やら、もろもろ用務が重なってきたので、しばらく記事の間隔が開きます。

真鍮立体2013年11月09日 09時53分56秒

苦闘が続いています。
たぶん今月いっぱいは続くんじゃないでしょうか。
働けど働けど…


じっと手を見る。
たなごころに照らし見るのは、一個の真鍮の立方体。

―と思いきや、真上から見れば…


そして斜めから見れば…


というわけで、この「立方体」は実は菱型十二面体であり、物事は見る角度によって違う顔を見せることの好例です。
おそらく今の苦闘も、見方によっては幸せなことなのかもしれません(無理やりですね)。

   ★

このコロンとしたペーパーウェイトは、銅器と鋳物の町、富山県高岡市のメーカーが売り出したもので、デザインはプロダクトデザイナーの大治将典氏。
正八面体、立方八面体のものと一緒に、下の楽天ショップで買いました。
http://item.rakuten.co.jp/auc-designshop/2175000001956/


実用の具というよりも、抽象的なオブジェとして身辺に置いています。

   ★

引き続き、記事の方はしばらく間遠になります。

晩秋のテルリオン2013年11月16日 13時43分19秒

久しぶりにのんびり過ごす休日。快晴。
季節の足取りは実に達者なもので、晴れとはいえ、今日はストーブをつけました。

現在、記事が間遠になっているので、普段あまり記事にならないモノに改めて注目してみようと思います。たとえば、すぐ目につくところに置いてあるのに、なかなかこのブログに登場しないモノたち。(あまりにも日常に溶け込んでいるため、わざわざ記事を書く気にならないせいかもしれません。)

   ★


上はトリッペンシー社(米)のテルリオン。太陽、内惑星、地球、月の位置関係を示す、日本語で云うところの「四球儀」です。これをぐるぐる回せば、季節の推移も一目瞭然という頼もしい教具。

(古びた台座。四季と黄道12宮、月名が対照されています。アメリカでは9月の途中から12月の途中までが秋と考えられているようです。)

この形に見覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんが、以前、これの新しいバージョンが記事に登場しています。

■天文古玩・再考(7)…オーラリーと天球儀(1)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/04/30

戦後に作られた新バージョンは、ベークライトのアームにプラスチックの太陽でしたが、こちらは木製のアームに真鍮の太陽で、いっそうアンティークなムードが漂います。作られたのは20世紀初頭にさかのぼるので、文字通りアンティークと呼んでも差し支えないのでしょう。

(プレートには、カナダのパテントを取得した1908年の日付が入っています)

19世紀の古雅なテルリオンは、ウン十万円以上するので、私の手には届きません。しかし、このトリッペンシー社のものはわりと数が残っていて、eBayでもちょくちょく目にします。お値段もそれなりということで、5年前にいささか無理な算段をして、どうにか買い入れました。

ネブラスカ在住の売り手によれば、彼はさらにその4年前、地域の学校を統廃合する際のオークションでこれを入手した由。農牧地の広がるアメリカの片隅で、これまで幾多の生徒がこの教具に触れたはず…と思うと、なんとなく愛しい気がします。

(すすけた地球儀)

(素朴な仕組みですが、これぞ天体の動きを制御する心臓部)

   ★

今回この品を「テルリオン Tellurion」と呼びました。以前の記事では「テルリアン Tellurian」や「テルリウム Tellurium」と書いた記憶もあります(トリッペンシー社自身は「プラネタリウム」と称しています)。

今、英語版のWikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Tellurion)を見たら、見出し語としては「テルリオン」が採用されていて、「テルリアン、テルリウムとも書く。別名ロクソコズム(loxocosm)」とあったので、それに倣った形です。

テルリアンはSF等で「地球人」の意味で使われ、またテルリウムは元素テルル(Te)の英名と同じスペルになるので、誤解を避けるためにも、この種の天文教具はテルリオンと呼ぶのが穏当かもしれません。

以下、余談。
上の一連の単語は、いずれもラテン語の「tellus(大地、地球)」に由来しますが、ラテン語には同じ意味で、もう1つ「terra」という語があります。この2つは何か関係があるのかな? ひょっとしてローマの人も r と l の区別が苦手で、混用が起きたのかな?…と思ったら、同じ疑問がすでにYahoo知恵袋に投稿されていました。

紛らわしいですが、両者はまったく別の語根に発する単語のようです。

鉱石都市2013年11月17日 09時52分48秒

フジイキョウコさんの『鉱物見タテ図鑑』に「天空都市」という作品が登場します。
立方体の結晶が重なり合った蛍石の表面を、異世界の街並みに見立てた幻想的な作品ですが、それに魅了されて、私も同じ産地(メキシコ)の蛍石を買いました。


要はフジイさんの二番煎じに過ぎませんが、この際ですから、何でも記事にすることにします。


不思議なフォルムは、透明な光を宿した遠い未来の都市のようでもあり、


中世の堅固な山塞のようでもあります。


薄板界への入り口。


鉱石都市を染める青い夕焼け(ブラックライト照射)。



透き通った夜―。

   ★

この微細な都市の相貌は、本当に見飽きることがありません。
月並みな感想ですが、自然の造形の何と玄妙なことか。

耳寄り情報2013年11月20日 19時44分11秒

zabienaさんの「時計草の庭通信」(http://zabiena.exblog.jp/20882516/)で、思わず目をむく情報に接しました。

フジイキョウコさんの鉱物イベント「地球の欠片 -鉱物アソビの贈物展-」が、クリスマスを前にした12月13日から華やかに開催されるというお知らせと、理系アンティークに力を入れてきたトロワ・ブロカントさんが、「メルキュール骨董店」と屋号を改め、ついに実店舗をオープンされたという見逃せないニュースです。

詳細はzabienaさんのページからリンクをたどっていただきたいですが、2013年の年の瀬はまことに豊かな気分で過ごせそうです(私の場合、本当に気分だけなのが残念です)。

それにしてもメルキュール骨董店。サイトのトップページに写っている不思議なたたずまいといい、信州小諸という旅情あふれるロケーションといい、何だかかつて夢の世界で訪れた店のような気がします。

土の思い出2013年11月21日 21時10分15秒



ふだん記事に登場しない品といえば、これなんかその最たるものかもしれません。
いつもは先日のテルリオンと並んで、本棚のてっぺんで所在無げにしています。

これは何か?といえば、もちろん化学実験用の漏斗(ろうと)台なんですが、その上に置かれた、調理用の漏斗とざるはいったい…?


ここに写っているモノの正体は、「ツルグレン装置」、すなわち土壌動物を採集するための道具です。このざるの上に落ち葉や土を載せ、上から白熱灯で照らしてやると、土壌中の小動物が熱や乾燥を嫌って下へ下へと逃げてゆき、ついには漏斗の下に置かれた水入りの小壜(ここには写ってません)にポチャン…という仕掛け。

   ★

これを最後に使ったのはずいぶん昔のことです。
使いもしない道具がいつまでも手元に置かれているわけは、私がものぐさなせいもありますが、それ以上に一つの時代を懐かしむ気持ちがあるからです。
まだ自分が若く、将来のことが遠くかすんで見えた頃。
あの頃なぜ土壌動物に強く惹かれたのか、今となってはよく思い出せません。

当時は陽の当たらない存在、暗く陰鬱なもの、それでいて何か命の根源に関わるようなものに心を奪われていました。何によらず死をテーマにした作品が好きでしたし、葬送と墓制の歴史なんかに夢中になっていました。
逆説的なようですが、若くて、元気が良く、死と遠い場所にいたからこそ、かえってそうしたものに惹かれたのかもしれません。

きっと土壌動物熱もその延長線上にあるのでしょう。
結局のところ、地上の生物は死ねばすべて土になるのです。その物質循環の主役にして偉大なる分解者が土壌動物群であり、彼らが時に「地上のプランクトン」と呼ばれるのも、その故です。

もちろん、ツルグレン装置一つで土壌動物のすべてが分かるわけではありませんが、これはその道における最もポピュラーな道具ですから、わが人生における「土壌動物時代」の記憶を伝える遺物として、何となくシンボル的に置かれています。

大きな水色の天球儀2013年11月22日 20時48分19秒

唐突に天球儀の登場です。
我が家でいちばん大きな天球儀(全体の高さは約60cm)。


木製の架台に載った姿は、なかなか堂々としています。
フランスで作られたもので、星座の名前もすべてフランス語(星座の名前はラテン語表示が正式という通念があるので、これは必ずしも当たり前のことではありません)。


星座の境界が曲線で描かれていることから、国際天文学連合(IAU)が星座の境界を確定した、1928年以前の品であることが分かります。おそらくは世紀の変わり目ごろのものでしょう。

天球儀の仲間には、美麗な星座絵を描き込んだものも多いですが、これは簡単な線画のみで星座を表現しています。もっぱら実用的な教育目的の品のように思われ、そのシンプルな表現と、スッキリした水色の地色が、理科室備品として至極相応しいように思います。


メーカーの Forest については、以下に記述があります。19世紀後半から20世紀前半にかけて、主に学校や一般家庭向けの球儀を販売していたメーカーのようです。
http://www.georgeglazer.com/globes/globeref/globemakers.html#forest

   ★

ここまでは大いに結構な話なんですが…
大宇宙に歴史あり。その似姿である天球儀もまた然り。
この天球儀には仄暗い歴史があって、私はいたましい思いなしにこれを眺めることができません。

喜び勇んで開梱したものの、架台が大破しているのを知ったときの衝撃。延々と続く憂鬱な補償交渉。意図したものかどうかは分かりませんが、その後露見した重大な売り手側の瑕疵(天球儀本体にも大きな補修痕が!)。
思い描いていた夢が、シュー…と音を立ててしぼんでいくのを感じました。

   ★

とはいえ、よくよく考えてみれば、ガラクタばかりの我が家に、ガラクタがもう1個増えたからと言って、今さら動揺するには及ばないのでした。
それに、天球儀自身には本来何の罪もない話ですし、人間界のいざこざを押し付けられて、天球儀もさぞ迷惑でしょう。

…と気を取り直して、この明るい水色の宇宙と、今一度向き合うことに決めました。

水色天球儀の秘密2013年11月23日 16時16分14秒

さあ、水色の天球儀と向き合うぞ…と思い立ったところで、折よくコメント欄でS.Uさんに大切なご指摘をいただいたので、触発されて記事を書いてみます。

   ★

天球儀になじんだ方には周知のことですが、天球儀に描かれた星座と、実際の星空の最大の違いは、星座の向きが左右反転していることです。

たとえば身近なオリオン座とおうし座。
夜空に浮かぶオリオンは、棍棒を振り上げ、右手から突進してくる雄牛と睨みあっています。すなわちオリオンは右向き、雄牛は左向き。オリオンの後に続く星座は、おおいぬ、こいぬ、いっかくじゅう、しし、うみへびなど、たいてい頭を右にしています。星の日周運動を考えると、ちょうど頭を前に、右へ右へと前進する形になるので、自然にそういう見立てになったのでしょう。

(見慣れたオリオン。出典:恒星社厚生閣版『フラムスチード天球図譜』)

ところが、天球儀ではそれがすべて逆になります。
すなわち、オリオンが左向きで、雄牛は右向き。おおいぬ以下も、皆オリオンにならって左向きです。頭の向きだけでなしに、星座の配列もすべて左右逆。要するに、天球儀では東西の向きが地上から見るのと反対になっているわけです。(ですから、この場合、星座たちは頭を前に左へ左へと前進する形になり、決してバックするわけではありません。)

この逆転現象は、「天球」をどこから見るのか、球の内部から見るのか、外から見るのかの違いによります。地上の我々は、本来球の中心にいて、天球を内部から見上げているわけですが、天球儀は、天球の外(宇宙の外!)から、天球を見下ろすように描かれています。いわば神の視点。そのせいで、天球儀に描かれたオリオンは、ふだん決して見ることのできない背中を見せて描かれています。

(天球儀上のオリオン。メルカトル天球儀(1551)のレプリカ)

   ★

さて、ここまでは常識的な話ですが、S.Uさんが挙げられた、この水色天球儀の第一の特徴、それは「星座が反転していない」ことです。

(オリオン(左)とおうし(右)の位置関係に注目。見慣れた配置になっています。)

そのメリットは明らかです。実際に空に見える星座と向きが同じなので、初学者にも対照が容易だからに違いありません。しかし、その割に類例が乏しく、これはかなりレアな作例のようです。

実は、最初パッと類例を挙げられそうな気がしたんですが、改めて探したら見つかりませんでした。辛うじて引っかかったのは、下のようなポケットグローブです。18世紀頃に流行ったもので、ミニチュアの地球儀を収めるケースの内面に天球図が描かれています。いわば「逆さ天球儀」。

(1715年後頃。ニュルンベルグのJohan Baptist Homann作。出典:Elly Dekker & Peter van der Krogt, GLOBES FROM THE WESTERN WORLD, 1993)

これは実際の天球と同じ凹面に描かれているため、星座を反転させる必要がないので(反転させた例もあります)、天球儀とはちょっと事情が違います。でも、これを見ているうちに、「この凹を凸に置き換えたら、分かりやすい天球儀ができるんじゃないか?」と思いついた知恵者がいて、そこから「非反転天球儀」()が生まれたのかなあ…とも想像します。

   ★

この非反転天球儀、水色天球儀に先行する例が、きっとどこかにあるはずですが、いずれにしてもあまり流行らなかったのは、この球体の存在論的不可解さというか、“結局この球は何を意味しているのか?”と問われたときに、妙に居心地の悪い感じがするからではないでしょうか。

「宇宙を外から見る」というのも大胆ですが、「宇宙をクルッとひっくり返す」というのは、いっそう大胆です。普通の天球儀ならば、「この球の中心には、地球があるんだよ」と言えば済みますが、非反転天球儀の場合、この球の中心に何があるのか即答できますか?そして、この球体を満たしている空間が何を意味するのか?

   ★

…というわけで、この水色天球儀は、なかなか含蓄に富んだ、真に向き合うに足る存在だったのです。そのことに注意を向けていただいたS.Uさんに、改めて感謝申し上げます。

)たぶん英語だと、celestial globe depicted by geocentric orientation といった表現になると思いますが、定訳を知りません。(ちなみに通常の天球儀は external orientation。)