近況など2014年04月06日 20時24分58秒

ご無沙汰をしています。
身辺が落ち着かない中、何とか日を送っています。
コメントにもお返事できぬまま時日が経過し、もはや時機を逸した感があるので、返信の方はどうぞご容赦ください。

今日は久しぶりの休日。何はともあれ、散らかり放題だった部屋を片付けようと思い、書棚を少し整理しました。そして今回初めて古本屋さんの出張買取というのをお願いしました。おかげで部屋は片付くし、お金はもらえるしでホクホクですが、考えてみたら自分はこれまでその何十倍ものお金を払って部屋を窮屈にしていたわけですから、ずいぶんご苦労な話ではあります。

もちろん今回処分したのは実務的な本ばかりで、天文や博物学関連の本には手を付けていません。結果的に部屋の中の雰囲気が、より純化した感じです。しかも実際には本が減ったはずなのに、見た目はいっそう本が増えたように見えます。きっと平積みの本が減って、本の形作る垂直線が強調されたせいでしょう。ともあれ、久しぶりに床面が見える部屋の中に座り、ホッとしています。

そういえば、この前ドイツに注文した本がカナダに上陸し、そのまま行方不明になった件について触れましたが、先週やっとモノが届きました。ドイツを発ってからちょうど2か月です。結局、カナダから誤配扱いで日本に船便で転送され、その間トラッキング情報が絶えていたようです。国際宅配便(DHL)を利用した意味が全然ありませんが、まあ終わり良ければすべて良し…ということにしましょう。

そんなこんなで、「天文古玩」も少しずつ再開できそうなムードになってきました。

廃天文台2014年04月08日 22時06分29秒

先日届いたイギリスのSHA(天文史学会)のニューズレターに、廃天文台を紹介するWEBページの紹介記事があって、いろいろ感じるところがありました。


Web Urbanist “Watch Out: 15 Eerie Abandoned Observatories”
 http://weburbanist.com/2012/07/08/watch-out-10-eerie-abandoned-observatories/
 
アメリカ、ロシア、カザフスタン、ポルトガル…世界のあちこちに眠る廃天文台。
戦争の惨害、資金難、政策の変更、光害の影響等、天文台が放棄される理由は様々ですが、いずれもかつては天に最も近かった場所が、その鋭眼を喪い、黙然と空の下にたたずんでいる光景は胸に迫ります。

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そういえば、以前廃墟ブームというのがありました。写真集もいろいろ出て、私も結構買いました。今でも廃墟のたたずまいに惹かれる人は少なくないでしょう。

そもそも、廃墟好きというのは、いったいどういう心理によるのか。
改めて考えてみると、一種の怖いもの見たさもあるでしょうが、それ以上に安らぎを覚えるということがあるんじゃないでしょうか。

廃墟に立つと、そこに大勢の人が忙しく立ち働き、活気に満ちていた頃の光景が思い浮かびます。それは懐かしく、心温まるイメージには違いありません。しかし、人間の営みはすべからくそうですが、そうした活気は一時的なものであり、幻に過ぎないとも言えます。土地や建物の賑わいもそうですし、人生や時代の華やぎもそうです。人はみな心のうちでそれを知っているから、いっときの賑わいに酔いつつも、無意識に不安を覚え、痛みや悲しみを心に刻むのでしょう。

しかし、ひとたび廃墟になってしまえば、もはやそうした不安とは無縁です。廃墟は未来永劫廃墟であり、凋落を恐れる必要もなく、勝ち目のない努力を強いられることもありません。そこには静かな安らぎがあるのみです。

そう思って、廃天文台の写真を見ると、また違った感じも受けますが、しかし一抹の寂しさはぬぐいようがありません。

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件のSHAのニューズレターに再び目をやると、活動レポートに写っている会員諸氏はみな頭の白い人ばかりで、今号は「追悼文特集号」だというのですから、これまた何と言っていいのか…

廃プラネタリウム2014年04月09日 21時38分50秒

廃天文台に続き、廃プラネタリウムの話題。

これも他人様の記事の丸写しで恐縮ですが、先週の朝日新聞(4月5日)に、縣秀彦氏の投稿が掲載されていました。60年代にできたオールド・プラネタリウムはもちろん、バブル期に続々とできた瀟洒なプラネタリウムも、遠からず老朽化で廃館の危機を迎えることを憂える内容です。

朝日新聞 「私の視点」欄 (2014年4月5日)
国立天文台准教授  縣 秀彦
「プラネタリウム 地域での活用、広げよう」


縣氏は主に科学リテラシーの涵養という点から、プラネタリウム存続を訴えています。
私はといえば、この件をあまり大所高所から論じる備えはなくて、ただ子供たちがプラネタリウム体験に胸を弾ませる機会が失われ、プラネタリムという独特の空間が身近から消えていくのを情緒的に悲しむばかりです。

大きく倒したシートに身を横たえ、ドームの内面が徐々に暗くなっていくときの気持ち…
感傷だけでプラネタリウムの存続が図られるとは思いませんが、感傷がなければ存続は覚束ないとも思います。

プラネタリウムの名脇役2014年04月11日 06時53分41秒

そういえば…
プラネタリウムで懐かしく思い出すものといえば、スカイラインも名脇役。
ドームに足を踏み入れ、ドームの裾をぐるりと取り囲む、ちっちゃな黒い街並みを見渡すときの気分は、一種独特のものがありました。

(ニューヨーク、ヘイデンプラネタリウム)

(東京、東日天文館)

上の絵葉書はいずれも戦前のもの。
片や摩天楼、片や帝国議会議事堂。
日米のモダン都市の相貌に、当時の子供たちもちょっと誇らしい気持ちを抱いたことでしょう。そして星たちの物語にいっそう気分は高揚し…

スカイラインがあることによって、天と地の対比が生まれ、日常を超えた無窮の世界の存在が印象付けられるわけですから、やっぱりこれは名脇役と言ってよいと思います。

神秘の星空2014年04月12日 19時53分48秒

手持ちの古いプラネタリウム絵葉書から。


カリフォルニアのサンノゼにある「薔薇十字プラネタリウム」。
見るからに怪しげな外観ですが、これでも(と言うと失礼ですが)全米で5番目にできた由緒あるプラネタリウムだそうです。

さて、気になるその名称。
説明を聞いても今ひとつよく分からないんですが、何でも薔薇十字団の流れを汲む人(Harvey Spencer Lewis, 1883-1939)が、神秘学に関わる文物を古代エジプトに求め、それらを展観する場として1920年代に開設されたのが「薔薇十字エジプト博物館」で、その付属施設として作られたのが、このプラネタリウムらしいです。

公式サイト Rosicrucian Egyptian Museum & Planetarium
 http://www.egyptianmuseum.org/

このプラネタリウムは今も健在。
写真で見ると、丸屋根は鮮やかなグリーンをしています。

現行のプログラムは、星の一生や宇宙の進化、太陽の素顔などをドラマチックな画像で見せるものらしいですが、以前はどうだったんでしょうね。
神秘主義的な人は、得てして最新の科学成果を切り張りするのが好きなので、当時から意外に「まとも」な、でもそこに一寸奇妙なテイストがまぶされた類のものだったのかなあ…とか、いろいろ想像が浮かびます。

オリエントの天文世界2014年04月13日 10時21分25秒



薔薇十字プラネタリウムに対抗して、エジプトのお隣、メソポタミアの天文遺物を見てみます。


この分野に関して日本語で手軽に読める文献としては、近藤二郎氏の『わかってきた星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』(誠文堂新光社、2010)が唯一のものではないでしょうか。近藤氏は本来エジプト学がご専門で、姉妹書に『わかってきた星座神話の起源―エジプト・ナイルの星座』もあります。

一緒に写っているのは、紀元前8世紀のアッシリアの古星図断片。
楔形文字で暦月の呼び名と主要星名・位置が記されています。


有翼の蛇に乗る獅子。その先に輝くのは木星。
この<獅子プラス蛇>のイメージはエジプトにも伝搬し、プトレマイオス朝末期に作られた有名な「デンデラの天体図」にも「蛇に乗る獅子」が描かれています。獅子はもちろん獅子座であり、蛇は後の海蛇座に当たるのではないかと言われます(近藤氏前掲書参照)。


紀元前200年、セレウコス朝期の天文暦の一部。

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以上、すべて現代作のレプリカですが、天文学の悠遠な歴史を思いやるには恰好の品。書棚にちょっと飾るといい雰囲気なんですが、今のところスペースがないので、抽斗の中にしまいっぱなしです。

ある神父さんの夢の天文台2014年04月15日 06時37分03秒

エジプトをイメージした薔薇十字プラネタリウムもそうでしたが、天文台にもオリエンタリズムの横溢した作例があります。

(1910年頃の絵葉書)

フランス中部の町、ブールジュに立つ不思議な建築。
天文台としての固有名詞はなくて、絵葉書でも「モルー神父の天文台 Observatoire d’Astronomie de l’Abbe Moreux」という呼び方をしています。

モルー神父(Théophile Moreux, 1867-1954)は、僧籍にあるいっぽう、数学教師で、天文家で、多くの科学啓蒙書を書いた著述家でもあるという多彩な顔を持つ人。天文に関しては例のフラマリオンの弟子に当たります。

(モルー神父。フランスのフリー百科Berrypédiaより)

彼は最初の天文台を火事で失った後、新たにムーア様式(北西アフリカのイスラム圏で生まれた建築様式)を取り入れた新天文台の建設に取り組み、1909年に完成しました。

神父さんのくせにイスラム建築にはまるというのも変ですが、そこには1905年の皆既日食観測遠征でチュニジアまで出かけた経験が反映していると言われます。とはいえ、チュニジアに行った人がみなムーア建築のとりこになるわけでもないので、やはりモルー神父本来の趣味もあるのでしょう。なつめやしの葉ずれ、砂漠に上る新月…そんなイメージに、ロマンチックな憧れがあったのかもしれません。

それがムーア様式であるかどうかはさておき、自分の夢を思う存分形にできたモルー神父は、たいそう幸せな人であったと思います。

この天文台、今ではドームが失われていますが、建物自体は健在で、下の参考ページでその姿を見ることができます。

【参考ページ】
■Observatoire de l'abbé Moreux à Bourges 
 http://www.ac-orleans-tours.fr/fileadmin/user_upload/daac/document/hida/observatoiremoreux.pdf

ガラス、鉱物、祈り2014年04月16日 21時12分44秒

神父は天文ドームから星を仰ぎ見て神の御業を讃え、
修道女はガラスドームの裡で静かに祈りをこらす―。

今日はドームつながりの話題です。

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昨年、素敵な博物趣味にあふれるブログとして、「時計草の庭通信」をご紹介しました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/07/13)。

時計草の庭通信 http://zabiena.exblog.jp/

ブログ主のzabienaさんは、その後、透明なガラスドームやガラス壜の中に、きらめく鉱物と鉄道模型用の極小フィギュアを配した作品を次々に発表され、今後は「時計荘」の屋号で販売もされる予定と伺っています。

その不思議な世界の統一テーマは、「明け方の夢で見たような気のする風景」。
現実世界から透明なガラスの壁を一枚隔てた向こうに広がる、「ここではないどこか」。

私は元々閉ざされたガラスドームの中に漂う異世界感が好きで、そのことは過去の記事でも何度か書いたと思いますが、そんな下地があるので、zabienaさんの作品には以前から並々ならぬ興味を抱いていました。

そんな折、zabienaさんご本人から思わぬ作品ご恵贈のお申し出があり、驚き喜びながら、そのご厚意に甘えることにしました(本当にありがとうございました)。


お送りいただいたのは、当方のリクエストによる黒衣の修道女と水晶の登場する作品。


左側は本物の電球(!)を使用した作品、「祈りの庭」。
右側は親指サイズのガラスドームの中にそびえる「歯車修道院」。
いずれも鉱物の出自を示す標本ラベルが付属している点がまことに心憎い。

次回はさらに作品のディテールを眺めつつ、その異世界感を味わってみます。

(この項つづく)

ガラス、鉱物、祈り(2)2014年04月18日 07時00分42秒



作品名、「歯車修道院」。
この歯車は腕時計や懐中時計用のものらしいので、そもそも小さいです。それが巨大に見えることから、逆にこの修道女の小ささがお分かりいただけるでしょう。


こちらは「祈りの庭」。
目をこらさないと、シスターの存在が分からないぐらいですが、この広々とした空間が小さな電球の中に造形されているのですから、まったく驚きです。
よく見ると修道女のポーズも違っていて、こちらは両手で持った祈りの書にじっと目を落とし、周囲の風の音も彼女の耳には届いていないようです。

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鉱物と祈り。
鉱物に象徴される永劫不変性(現実の鉱物は我々同様、永劫でも不変でもないにしろ)、結晶構造が体現する世界の法則性、そして水晶が備える清澄な純粋性。いずれも「理」に通じる属性でしょう。
かたや祈りは、赦し、平安、救済…すなわち「慈」に通じる行いであり、結局、両々あいまって、ここには人の心が希求して止まぬ世界が表現されているのだと思います。
賢治と足穂がいずれもこの2つを作品テーマにしたことも、故なしとしません。

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大きな大きな物語を小さな小さなガラス空間に封じ込めたzabienaさんの作品。そっと覗き込めば、「壺中の天地」という言葉が自ずと浮かんできます。

小さな鉱物コレクション2014年04月19日 17時37分37秒

ガラスと鉱物といえば、半年ぐらい前、古いガラス壜に入った鉱物コレクションを見つけました。扱っていたのはイギリスの業者ですが、ラベルはドイツ語表記になっており、おそらく出所はドイツ。


よく見ると壜のサイズもばらばらですが、大きい壜で長さ約6センチ、小さい壜で約3センチ(コルク栓を除く)、そして付属の紙箱はちょうど文庫本ぐらいの大きさです。

ここには時代を示す手がかりはありませんが、業者の見立てでは1900年頃のもの。コルクの煤け具合や、ガラス壜の大らかな作りからいって、それぐらいは十分ありそうです。



ペン書きのラベルを読むと、トルマリン、キャッツアイ、アクアマリン、オパール、ラピスラズリ、ルビー、ガーネット、クリソプレーズ…etc. とあって、これらの鉱物はいずれも宝石や貴石の類です。


小さなビーズのようなルビー。



赤、白、緑、青…色とりどりの鉱物が、古びたガラス壜の中に収まっている様は、小なりといえど、なかなか博物趣味に富んだ眺め。このセットが誰によって、どんな目的で作られたのか少なからず気になりますが、いずれにしてもこれを作った人は、博物趣味の何たるかをよく解した人であることは間違いないでしょう。

ガラス壜に入れる、コルクで栓をする、ラベルを貼る、そして並べる。
それによって、鉱物たちは裸のままよりもいっそう魅力が増して見えるというのは、考えてみると不思議なことですが、この現象については、いずれ改めて考えをまとめようと思います。