爽やかな星空、爽やかな日食2014年05月30日 06時54分24秒

エライ目にあいました。
メールソフトがうまく動かないなら、データのバックアップを取って、アンインストール→再インストールで楽勝…と思ったのですが、そのための作業がいちいち難渋して、万策尽きました。

しかし、XPからwindows8に乗り換えて以来、とんとご無沙汰だった「システムの復元」にふと思いが至りました。さっそく試みると、その過程でCドライブ上にデータの破損箇所があることが判明。どうやら、不調の根本原因はそれだったようです。その修復もした上で、システムを復元したところ無事復調。杖の一振りで万事もとに戻せる魔法使いになった気分です。

   ★

さて、前々回のつづき。
天文古書に関して、美しい本や愛らしい本はいろいろ思い浮かびますが、「爽やかな本」となると、すぐには出てきません。でも、下の本はまさにそう呼ぶのがふさわしい気がします。


H. J. E.Beth
  Van Zon Maan en Sterren 『太陽・月・星』
  Almero., W.HIlarius Wzn. ca. 1930.
  16mo, 38p.

ちょうど日本の新書版サイズの、表紙からして実に可愛らしい本。


オランダ語なので内容は想像するしかありませんが、この本に爽やかな印象を与えているのは、その明るい色使いです。


かつて、これほど爽やかな日食の光景があったでしょうか。
もちろんこの画工は日食をじかに見たことがなかったはずですが、作者もこの絵にあえて文句を付けなかったところを見ると、この絵が気に入っていたのでしょう。
あくまでも青い空に、白いコロナをまとった黒い太陽。緑は鮮やかに濃く、辺りは光にあふれ、静かで穏やかで…。




星図も、月の満ち欠けも、妙にきっぱりとした色使いで、そこにはおよそ迷いというものが感じられません。


草原の上でパッとはじける火球。


淡い菫色の空を照らしだす、この黄道光の絵も実に爽やかな印象です。

   ★

この本が描くのは一切の苦しみがない世界であり、これは一種の浄土絵なのかもしれません。

コメント

_ S.U ― 2014年05月30日 23時05分44秒

PC復活おめでとうございます。「システムの復元」やってみるもんですな。
Windowsのバージョンが上がってきて、最近、実効がでるようになったみたいですね。XPのころは時間の無駄だったような気がします。(サポート終了したので、もう何を書いても良い・・・)

 それはさておき、このオランダの本の屈託のない明るさは何なのでしょうね。ゴッホの絵の明るさと関係するのでしょうか(正しくは、ホッホでしたね)。
 ドイツやベルギーの作家の絵本にはこのような傾向のものがしばしばあったかもしれません。子ども向けには、くっきりと爽やかな絵でないといけないとか、そういう考え方があるのでしょうか。

_ 玉青 ― 2014年05月31日 12時42分26秒

この明るくきっぱりした色使い、ホッホさんの名前が出たのでふと連想したのは、日本の浮世絵です。西洋絵画の色彩表現に浮世絵が与えた影響は、日本人が思う以上のものがあったらしく、あるいはこの本の背後にも、「ヒロシゲ・ブルー」の影響があるかもしれませんね。

_ S.U ― 2014年05月31日 20時31分20秒

>「ヒロシゲ・ブルー」
 なるほど、広重ですか。それは、くっきり明瞭ですね。
 ベロ藍自体は、ベルリン藍ですからドイツが本場ですかね。そうすると、北斎や広重がベロ藍を使い始めたのは1830年頃だそうですから、この年代と、オランダのこの底抜けに明るい絵画の登場とどちらが早いかの問題になると思います。

_ 玉青 ― 2014年06月01日 12時13分34秒

ベロ藍の青さにこちらが驚けば、その大胆な色使いにあちらが驚き…
文化の影響関係とは面白いものですね。まさに攻守所を換え、の感があります。

時代的先後の考証はしばし脇に置いて(あまり知識の備えがないので、あえて置かせてください・笑)、色彩感覚に関して印象で語ると、源内、江漢、秋田蘭画、あるいは幕末の泥絵なんかもそうかもしれませんが、江戸時代の洋風絵画は、おしなべて濁った暗い色調が目立ちますね。当時の人は、あの暗く濁った感じこそ西洋の色使いだと思って、必死でその模倣に努めたのでしょう。そのことを彼我逆転して眺めると、西洋の人が錦絵の澄んだ明るい色使いに驚きの目を向けた気分が、何となく分かる気がします。

_ ねこぱんち ― 2014年06月01日 13時00分23秒

聞いた話によりますと、オランダやベルギーの有名な画家が明るさや光を重視したのはあの辺りが曇り空が多く、一年を通して晴れ間が少ないからなのだそうです。ゴッホが南仏に行って衝撃を受けたのもその土地の明るさだったはずです。(彼は黄色を好みましたね)
20世紀のシュルレアリスム絵画の巨匠、ポール・デルヴォーとルネ・マグリットの二人もベルギー人です。この二人、同じシュルに分類されますが片方は夜を描き、片方は昼を描いた点で好対照です。シュルの運動自体が少年的なものなので、故事付けかもしれませんが、この二人の作風はとても理科趣味に満ちている風に見えます。両者とも同一のモチーフをオブジェとして扱っている点がそうなのですが、片や都市、廃墟、磁器の肌を持った女性といった内向きのベクトル、片や青空、動物、窓といった外向きのベクトル…端的に言ってしまえば、デルヴォーは「集めたい・所有したい」という欲求、マグリットは「眺めたい・観察したい」という欲求なのではないでしょうか。これこそ理科趣味と言わずに何と言えばいいでしょう!

_ S.U ― 2014年06月01日 20時02分12秒

 オランダ人は、日本人絵師は明るい国で爽やかに絵を描いていると思っていたのかもしれませんね。

 その実、北斎なんぞは、うす汚い廃屋みたいなところで(いよいよ汚くなったら引っ越したそうですが)、ゴミに囲まれて這いつくばって世界に名作を発信していたわけですから、西洋人が知ったらさぞ驚いたでしょう。

_ 玉青 ― 2014年06月02日 06時21分11秒

○おふたりさま

たしかに、何でも「西洋」の一語で片づけてはいけませんね。ヨーロッパも北と南では、まるで光も空気も違うでしょうから。

風土と絵画の関係は、カラリとしたところでは明るい絵が、じめっとしたところでは暗い絵が、というのがセオリーなのでしょうが、そうすると「じゃあ、浮世絵はどうなんだ」という話になって、自分でも少なからず混乱してしまいます。この点も、本当は単に「明るい絵」vs.「暗い絵」の対立ばかりでなく、明度、彩度、色相という風に細かく分けて考えた方がいいのかもしれません。

まあ、大雑把にいえば、日本も本来「じめっと派」なのでしょうが、そうした中にあって、浮世絵は一種の「差し色」といいますか、全体に暗く渋い生活の中で、パッと明るいものを欲する庶民の心が浮世絵を歓迎したということかなあ…とも思います。
白と黒の街並みの中で、粋筋だけ派手な紅殻格子だったり、着物の裏地に凝ったりというのと、共通の心性があったんじゃないでしょうか。

○ねこぱんちさま

デルヴォーとマグリットに理科趣味を感じる…というのは分かる気がします。一種の透徹した感じといいますか。ええ、私も昔から大好きです。
シュールレアリスム運動は、文字通り現実を超えた現実、現実の背後にひそむ見えない真理を解き明かしたいという欲求/指向性において、科学的探究と共通するものがあったかもしれません。さらに彼らは、当時隆盛を誇った精神分析学から多くの影響を受けており、精神分析は今でこそちょっとあれですが、当時は立派な科学と主張されたので、そういう意味でも科学的相貌を帯びて感じられます。
まあ、そうしたことは脇に置いても、デルヴォーとマグリットは素直にいいですね。そして彼らは、やっぱりある種の真理に触れていたのだと感じます。

_ S.U ― 2014年06月03日 07時19分18秒

>浮世絵は一種の「差し色」
 確かに、浮世絵の明るい色は、粋に「たまにぁ、ぱーっとやろうぜ」という散財の色なんでしょうね。

 それで、幕末には退廃芸術にもなりましたし、現代の漫画やアニメにもつながっていると考えると、平明な線と明るい色で表現する手法が本質的に「現代」の描写に向いているのかもしれません。

_ 玉青 ― 2014年06月03日 23時23分47秒

浮世絵とアニメの類似性を考えると、いっそ浮世絵をアニメ化してみよう…という人が現れるのは必然かもしれませんね。
http://www.youtube.com/watch?v=EVGBMRhWx-E

_ S.U ― 2014年06月04日 07時39分06秒

>浮世絵をアニメ化
  これは面白いですね。この映像に類するのが先日のNHK-Eテレの「日曜美術館」(「北斎漫画」)で出ていたのをたまたま見ました。この北斎描く浅草本願寺の鬼瓦が歩き出すのがシュール過ぎてよくわかりません(笑)。

 ここまで来ますと、いっそ歴史上の名人絵師に蘇ってもらって、現代の脚本による本格アニメドラマを制作してもらうのはどうでしょうか。候補はけっこうあると思います。
 鈴木春信 作画 スタジオジブリ制作 青春悲恋物語
 葛飾北斎 作画 ハリウッド共同制作 宇宙人来襲スペクタクル
 渓斎英泉 作画 東宝制作       美人探偵事件簿
 歌川広重 作画 NHK制作       新日本ふるさと物語
 歌川国芳 作画 東映制作       都市伝説・妖怪大戦争

_ 玉青 ― 2014年06月05日 05時59分23秒

お見事!
という声が、江戸と平成の両方から聞こえてきましたよ。(笑)

名人絵師といえば、「キャラクタデザイン 東洲斎写楽」なんていうのも、ものすごくキャラ立ちしそうですね。(でも全然ストーリーが思い浮かびません。「監督 押井守」とか無理やり持ってくると、イメージだけは鬼気迫るものが感じられますが…)

_ S.U ― 2014年06月05日 07時31分54秒

>「キャラクタデザイン 東洲斎写楽」~キャラ立ち~「監督 押井守」
 あっ、写楽は、はずせませんでしたね。
もとが歌舞伎なので、赤穂浪士、白波五人男、真田十勇士、八犬伝など時代劇にはいくらでもありますが、確かに、現代劇の「キャラ立ち▲人男」などというストーリー物は、ぱっとしないかもしれません。

 苦し紛れに、一つ思いついたのは、
 東洲斎写楽 作画 『プロレススーパースター列伝』
  (押井守 監督、梶原一騎 原作、日テレ・報知共同制作)
これなら成立しませんかね。 (原作は、小学館-テレ朝-新日本プロレスあたりの制作だったと思いますが、私の趣味で移籍させてみました)

_ 玉青 ― 2014年06月05日 23時08分35秒

まさに異貌の作品となりそうですね。(笑)

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