『鳥類写生図譜』の世界(3)2016年04月04日 06時09分30秒

博物図譜の出来映えを左右するのは、絵師の腕前であり、印刷の仕上がりです。

(大鳥篇よりイソシギ)

絵師については、前述のespritlibreさんの記事中に、共著者である小泉勝爾(こいずみかつじ、1883-1945)と、土岡春郊 (つちおかしゅんこう、1891-1958)の伝が引かれているので、ご参照ください。

■『鳥類写生図譜』の著者について
 http://furukawa.exblog.jp/6827999/

それによると、二人はともに東京美術学校(東京芸大の前身)で、本書の監修者である結城素明(ゆうきそめい、1875-1957)に師事しています。そして春郊は、兄弟子である小泉にもついて学んでいるので、結局、本書は師弟関係で結ばれた彼ら3人の合作ということになるのですが、実態としては春郊の単著だったようです(鳥類写生図譜』の著者とその周辺 http://furukawa.exblog.jp/7247494/)。

春郊の伝のうち、鳥に関わる箇所を、espritlibreさんの記事から孫引きさせていただきます。

 「大正5年、同校〔東京美術学校〕卒業後、花鳥画家を志し、多くの鳥類を自ら飼育し、つぶさに観察、写生を続けるとともに広く愛鳥家とも交友、約10年鳥類の研究と花鳥画の制作を続けた。昭和2年、恩師結城画伯、当時の日本鳥の会の会長鷹司信輔氏らの推奨もあり、『鳥類写生図譜』の刊行に着手、昭和6年には鳥の会主催の展覧会で名誉賞を受賞、関係各会からの資金援助もあり昭和13年に完成。」

彼は画家であると同時に、根っからの鳥好きだったのですね。
春郊の名は、今ではほぼこの『鳥類写生図譜』によってのみ知られると思いますが、このMagnum opus (代表作、金字塔)の存在によって、「鳥の画家・春郊」の名は、いっそう人々の心に深く刻まれるのではないでしょうか。

(小鳥篇よりヨシキリ(オオヨシキリ)。周辺をトリミング)

   ★

今、手元にこの図譜を紹介するパンフレットがあります。


最後の第4期刊行に先立ち、予約購読者を募る目的で、昭和8年6月に作られたものです。これを読むと、本図譜の出版にかける春郊の思いが、いっそうよく伝わるので、その一部を引いておきます(太字は原文における強調箇所)。


本写生図譜の特色 〔…〕写生の厳密  画家が自ら二十年に亘り鳥類の飼育上から得た経験と知識とを以て、厳密に生鳥より直接写生せる図譜であって、かの粉本剥製から来た標本図、又在来の絵画化された画帖の類とは全く質を異にしてゐます。」

既存の図譜に対する、強烈なプロテストと自負ですね。

実大と実色  本図譜の最大特色として誇るべきは、鳥類植物昆虫が凡て実物色で、特殊大鳥を除く外は実物大なる点で、淡彩略図に非ざることは勿論、更に雌雄羽毛の異なるものや幼鳥も亦精到に描写してゐます。 本図と附図  各鳥毎に本図附図に分ち本図は各鳥の最も自然な姿態を美術的に描き、これに其鳥と密接の関係ある花卉草木虫類を配せる高雅優美な花鳥図譜であります。附図は一チ一チ羽毛、翼、脚等を部分的に描写し、姿態の種々なる変化を、叮嚀親切に写してゐます。」

(大鳥篇よりオナガ附図)

(同部分。この訂正文に春郊の精確描写への意気込みが現れています)

春郊はさらに上の引用箇所に続けて、

「これは本図譜の尤も特色とするところで、美術、工芸、図案家又は刺繍編物等には、絶好の参考資料となり、別に添付せる鳥、植物、虫の解説は学術上の説明、飼養の経験は勿論、更には文学上のあらゆる伝説、詩歌、俳句を蒐めて興味多い読物であります。」

と書いています。
espritlibreさんは、本図譜の想定読者には鳥類愛好者以外に、着物デザインに関わる染色関係者がいたのではないか…と推測されていますが(鳥類写生図譜』の精緻・巧妙・優雅(2) http://furukawa.exblog.jp/6824437/)、その推測を裏付ける記述です。

なお、大鳥・小鳥篇の出版にあたり、図譜以外に別冊で解説篇も作られたはずですが、今手元にはありません。案内パンフレットにその見本が載っているので、参考として下に掲げておきます。



(この項さらにつづく。次回は本書の印刷について)

コメント

_ S.U ― 2016年04月04日 18時53分07秒

これらの鳥の画は秀逸ですね。すばらしい出来ばえです。

 そこで、私がかつて読んだ本に、(江戸時代の)日本人が描いた動物画では鳥がいちばん巧い、とあったのを思い出して文献を探してみました。

 乏しい蔵書ですから簡単に見つかって、朝日新聞社編『江戸の動植物図』(1988)の解説の記事を見ますと、小西正泰氏という方(昆虫学者)が、

 各種図譜の絵図の出来ばえについて、被写体別に平均点で評価すると、うまい順に鳥、魚、貝、昆虫、獣となる。同時代の西欧の動物図と比べても、鳥、魚および貝はほとんど遜色がない。

と書いています。また、また、同氏を含む対談では、毛筆やら印刷法を交えて検討をされています。柿沢亮三氏という山階鳥類研究所の方が、鳥の画は毛筆が合うというコメントをしています。

 脱線しますが、確かに獣の画は総じてヘタです。でも、武者画や合戦図に出てくる馬、応挙の犬、国芳の猫などは、巧いヘタとは違う次元軸があるように感じられます。応挙の鯉と小犬を比べると同じ人が描いたとは思えません。図鑑ではなく芸術なのですから、技術だけではないのでしょうけど、何か被写体ごとに思い入れというか意気込みの違いがあるように思います。

_ 玉青 ― 2016年04月05日 07時08分18秒

http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/13/7007231
おや、S.Uさんもコメントされている…というのは脇に置き(^J^)、獣と鳥で思い出すことがあります。

それは写真を見て人の顔を描くときに、絵の苦手な人でも割と上手に描く方法があるよ…という話題です。その方法とは、写真を上下反対にして描くことで(絵も上下反対になります)、それによって、「人の顔」という全体として意味を担った刺激が、目・鼻・口のパーツ及びその配置という、より即物的な―ある意味、より低次の―刺激に還元されて、かえってマネしやすくなるのだとか。

人間はどうも「ひと目で分かるもの」は、かえって記述(絵でも文章でも)しにくいという特性があるようです(分析的視点を取りにくいからでしょう)。

人間が、自分に近いはずの獣類の絵を、かえって描きにくいというのも、実は自分に近い存在だからこそパターン認識しやすく、そして「パッと見て理解できる」がゆえに描きにくい…という事情があるのかもしれません。

_ S.U ― 2016年04月05日 18時16分19秒

>人間はどうも「ひと目で分かるもの」は、かえって記述(絵でも文章でも)しにくい

 おぉ、これは知りませんでした。いったん、無知を装うことが大事なのですね。今度、有名俳優の写真で試してみたいと思います。まったく知らないと話になりませんが、知りすぎてもいけない、これはよくわかります。科学・技術にも通じる重要な点であるように思います。

 実験で測定をしたり、顧客に頼まれた器具等を設計・製造する際には、あまり職人的な勘や独自の手際に頼ったりするのはよくないとされています。実験解析、プログラミング、大工仕事など、あるていど不器用、無骨なほうがよいとさえ聞きます。万人に客観的に通用するデータを安定して提供するためには、個人的な勘の世界に入っていってはいけないということでしょう。(もちろん、鑑賞に供する一点限りの芸術作品の場合はおのずと別ですが)

 このような図鑑は、やはり芸術作品というよりは真を写すものなので、被写体にヘタに親しまないほうがよろしいのでしょうか。かつての花鳥画の絵師はどういう心がけで向かっていたのか、聞いてみたい気がします。

_ S.U ― 2016年04月05日 18時58分32秒

おっと、2013年10月のほうがありましたね。
 
 こちら即ち、当該文献が天文古玩さんで既出であったこと、私がそれにコメントを書きながら忘れていることは、いずれも想定内の織り込み済みですので、コメント無しでご容赦を・・・ (-”-;A

_ 玉青 ― 2016年04月06日 21時54分22秒

鳥の画家たる者、もちろん鳥に対する愛情は不可欠でしょうが、いざスケッチをする段になったら、対象と心理的な距離が取れないと、うまく描くことはできないような気がします。あるいは没頭しつつも、どこか冷めた目を持つといいますか。世阿弥言うところの「離見の見」に通じることであり、学問の世界にも広く当てはまることかもしれませんね。

_ S.U ― 2016年04月07日 07時01分06秒

>世阿弥言うところの「離見の見」
 いずれにしても、手馴れの業に熟達していないことが必ずしも学問諸芸の妨げにならないことは、道を志す若年者、何年やってもやはり不器用な人たちにとって、この上ない幸運であったと思います。
 また、芸術家においても、不器用な人は老境に至るまで工夫で技が成長を続けるでしょうから、老練独特の味を見せるという利点もあるかもしれません。

 ところで、顔を逆にしてのスケッチ、ある男性タレントで試してみました。確かに、かっちりと整った男前には描けるのですが、本人のイメージに似せるのは難しいですね。似せ絵にするには、何らかの主観とか思い入れのようなものが必要なのかもしれません。

_ 玉青 ― 2016年04月07日 21時10分40秒

おお、お試し下さいましたか。
似顔絵となるとまた別のスキルが必要になるのでしょうが、それでもイザという時(?)の備えとしてどうぞご活用ください。

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