眠り男2016年10月03日 20時37分00秒



今回はよほど疲れていたのでしょう。
トイレに起きたり、飲食したりの時間を除いて、こんこんと眠り続けていました。途中熱が出てきて、汗をどっとかいて、それが収まったら、ちょっと楽になりました。でも、まだぼーっとしています。

記事のほうは、もうしばらく休んでから再開します。

目覚め男2016年10月08日 15時44分08秒

さて、そろそろ目覚めなければなりません。
でも目覚めてみれば、世はさらに乱脈を極め、何だかすぐにまた眠りにつきたくなるありさまです。

ここでふと、「このごろ都に流行るもの 夜討 強盗 にせ綸旨…」で始まる、二条河原の落書を想起するのですが、一つの秩序が倒れんとするとき、そこに佞臣・奸賊・梟雄・無頼漢が湧いて出るのは、常に変わらぬ人の世の習いかもしれません。

現今の世相も、まさにエセ、ウソ、虚飾が大手を振ってまかり通る、浅薄にして醜怪な世となっていますが、それを嘆くばかりでなく、今こそ人間社会の「深い真」を学ぶ絶好の機会なのですから、心ある人は肉眼と心眼を見開いて、世の転変を見つめようではありませんか。

このあと、混乱を経て新たな秩序が生まれるのか、混乱がさらに大乱となるのか、いずれにしても、我々は大きな歴史の実験場に立ち会っていることは間違いありません。

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…と、ちょっと大きく出ましたが、この「天文古玩」自体は、「歴史の実験場」とは縁遠い、ごくささやかな愉しみを開陳する場に過ぎません。世間の荒っぽい動きと対照するとき、こういう小市民的な試みが、ちょっと馬鹿っぽく見えるかもしれませんが、しかし、こういう愉しみが否定されねばならないとすれば、それは世の中の方がおかしいのです。

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1903年に出たリービッヒ・カードの「星座シリーズ」、全6枚のうちの3枚。
(リービッヒ・カードというのは、リービッヒ社のスープの素に付いてきた、昔のオマケカードです)。


星空の美しさは、はるかな昔と少しも変わることがありません。


そして、それを見上げる平穏な地上の暮らしもまた無類に貴いものです。
そしてさらに、こういうチマチマしたカードを集める小市民的な愉しみだって、その貴さの1ピースなのですから、大いに大切にされなければ嘘だ…と思うのです。

ヒヨコ星2016年10月09日 10時57分34秒

ところで、昨日のリービッヒカードを見て、気になったことがあります。

(画像再掲)

上の真ん中のカードに注目してください。


長いパイプを手に、星界の秘密を語る老天文学者と、思わず身を乗り出す髭の紳士。「あらあら、ふたりとも熱心だこと。さあ、冷たいパンチを召し上がれ」という、奥方の華やかな声が聞こえてきそうなシーンですが、問題はその下の雌鶏とヒヨコの絵です。

このカードはプレアデスを描いたもので、脇の説明文には、
「プレアデスは、『Poussinière』と呼ばれる」とあります。
Poussinière(プシニエール)とは、「卵を抱く雌鶏」や、「ヒヨコを育てる保育箱」の意味だそうで、日本語だと一語で表現しにくいですが、強いて言えば「雛守り(ひなもり)」といったところでしょう。

西洋では(他の多くの地域でも)、プレアデスを七姉妹に喩えるのが普通ですが、フランスではヒヨコに見立てる…というのは初耳でした。

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さっそくフランス語版のwikipediaで、プレアデスの項を見たら、果たしていちばん下の方に、「フランスの田舎では、晩夏の晴れた空に見える〔星の〕一団を「雛守り」と呼んだ。 Dans les campagnes françaises, l'amas bien visible dans le ciel pur des nuits de fin d'été était appelé "la poussinière"」という記述がありました。

ただし、その出典として挙がっているのは、19世紀フランスの作家、アルフォンス・ドーデーの『風車小屋だより』で、ドーデーはたぶん何か根拠があって書いたのだと思いますが、彼の創作が混じり込んでない保証はありません。また、こうした呼び名が、彼の住んだ南仏プロヴァンスを超えて、どこまで広がりを持つのかも不明です。
(『風車小屋だより』はプロヴァンスを舞台にした短編小説集で、その中の「星」という作品に、若い羊飼いのセリフとして、「雛守り」の件が出てきます。岩波文庫では「雛籠」と訳しています。)

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これだけだと、「へえ、なるほどね」で終わってしまいますが、妙に気になったのは、この件を調べる過程で、出雲晶子さんの『星の文化史事典』 (http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/04/06/6770289)を開いたら、「七羽のひよこ星」という項目があったことです。

「お、これこれ」と思って読んだら、たしかにそれはプレアデスを7羽のヒヨコに喩えた伝承に関するものでしたが、それは案に相違して、フランスではなくタイの仏教説話でした。以下、短文ですので、全体を引用させていただきます。

「仏教への信仰が厚い老夫婦は一羽のにわとりと七羽のひよこを飼っていた。そこに一人の旅人が来たが出す食料がなく仕方なくそのにわとりを食べようということになった。そのことを知ったにわとりは子供たちに仲良く暮らすよう言い残したが、七羽のひよこたちも母親が煮られている鍋に飛び込んだ。旅人は実はお釈迦さまで、老夫婦に感謝し、七羽のひよこは空にあげて昴とした。」 
(出雲晶子・編著、『星の文化史事典』、p.291)

母鶏のその後が気になりますが、たぶん原型は「一羽の鶏と六羽のヒヨコ」で、全員仲良く空に上って星になった…のではないでしょうか。

   ★

フランスの羊飼いとタイの仏教徒に接点はないでしょう(ないはずです)。
それでもこういう一致が生じるのは、不思議なことです。
それを偶然と見るか、必然と見るか。必然とすれば、それはいかなる必然なのか。

答は有って無いようなものですが、すばるにヒヨコの愛らしさや、母子の情愛を読み取った異国の人の心根に、しみじみ胸を打たれます。その胸を打たれるところが、フランスの羊飼いと、タイの仏教徒と、日本の勤め人に共有されていることが、こうした伝承が世界のあちこちで生まれたベースにあるのは確かだと思います。

遊歩する者2016年10月10日 10時41分33秒



Flâneur(フラヌール)、遊歩者。
子羊舎のまちだまことさんが中心になって発行されている雑誌のタイトルです。
上は先日出たばかりの、記念すべき第1号。

創刊号の特集は「蒐集」で、極小の雛道具(川内由美子さん)や、セルロイド玩具(野口知子さん)のコレクション紹介と並んで、まちださんご自身の「擬人化された月」を中心とする天体ものコレクションの紹介があって、素敵だなと思いました。


このブログでも、折々そうした色合いのモノが登場しますが、それも元をたどれば、まちださんに端を発しているものが多いのです。
(上の写真で、右の方で大きな顔をしているのは、ブルガリア煙草の「Luna」。1960年代のパッケージ。)

まちださんとも細く長いお付き合いが続いていますが、単純な理科趣味の徒だった私に、さらにその奥にある妖しさや、エフェメラルなものの美しさ、さらに曰く言い難い世界を教えてくださったのがまちださんで、これはいくら感謝しても感謝しすぎということはありません。

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日常と非日常は紙一重。
その境界を遊歩する人のための『Flâneur』の入手法は、以下のFBサイトをご覧ください。

遊歩者 Flâneur Magasin
 https://www.facebook.com/flaneurmagasin/


真夜中色2016年10月11日 06時48分47秒

そういえば、この土星の青い缶も、最初まちださんのところで見たのではなかったか…

(背景は雑誌『Flâneur』 裏表紙)

カーター社のタイプライター用インクリボン。
ブランド名は『ミッドナイト』。


この缶は数が残っているので、わりとよく見かけますが、中のリボンも完品なのは比較的珍しいと思います(リボンは所詮消耗品なので)。

気になる「真夜中色」はどんな色かというと…


この藍染のような色が、深夜の空を染め抜く色なのです。


真夜中に、真夜中色の文字が綴る、真夜中の物語。
まあ実際には、散文的なビジネスレターなんかに使われることが多かったでしょうが、遊歩者流に想像すると、そこにいろいろなドラマが浮かびます。

天文学史のススメ2016年10月13日 20時06分05秒

そういえば…と思い出すのですが、今年の夏、池袋の三省堂で開かれたイベント「博物蒐集家の応接間」(同イベントは装いを改めて、現在も継続中)に、手元の品をいくつか並べていただいた際、私は意識して2冊の本を混ぜておきました。

それは他の古書や古物とは異質の、ごく最近の本です。

天文系のアンティークが、何となくイメージ先行の「キラキラと綺麗なもの」としてばかり受容される傾向(これは客観的事実というよりも、私の単なる僻目かもしれません)を良しとしない自分がいて、そうすることが、あたかも自分のアイデンティティのような気が――少なくともその時は――したのでした。

その2冊とは、いずれも19世紀以降の天文学の発展を扱った本で、1冊はこれまで何度か言及した、アラン・チャップマン著の『ビクトリア時代のアマチュア天文家』(産業図書、2006)で、もう1冊が下に述べる小暮智一氏の『現代天文学史』です。

美しく且つ興味深い天文アンティークを愛でるとき、その学問的な背景や、時代相を知っておくことは、無駄にならないどころか、その滋味を大いに豊かならしめるものと私は信じています(←かなり力が入っています)。

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(帯の惹句は「アマチュアの革新から巨大科学へ。星を視る眼を変えた200年」)

■小暮智一(著)
 『現代天文学史―天体物理学の源流と開拓者たち』
 京都大学学術出版会、2015

600頁を超える分厚い本です。とはいえ、現代天文学の通史という大きなテーマを考えれば、コンパクトにまとめられた本とも言えます。

ここでいう「現代」の範囲は、副題にもあるように、もっぱら天体物理学の誕生(19世紀)以降を指し、その叙述は20世紀の末まで及びます(ただし、18世紀に属するものとして、ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)による、宇宙構造の解明に向けた研究も、チラッと顔を出しています)。

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天体物理学というのは、それ以前の位置天文学に対する言葉です。
大雑把に言うと、専門の学者を含め、18世紀以前の人々の意識の中で、恒星は単なる「点」であり、その位置と運動のみに関心が向けられていました。当時、観測技術の向上とは、より厳密な位置測定とイコールだったのです。

しかし、その後の学問の進展によって、人々は星を「面」であり、「立体構造を備えたもの」として、さらには独自の個性を備えた「世界」として認識するに至りました。もちろん、それは一挙に成し遂げられたわけではなく、世紀をスパンとする長い経過の中で徐々に成し遂げられたことです。

(目次の一部)

「天体物理学」という呼称は、ちょっと意味が取りにくいのですが、私流に言い換えれば、それは「星の生物学」とでも呼ぶべきものです。

それは星を対象にした解剖学(=星の内部構造論)であり、生理学(=光と熱を生むメカニズムの研究)であり、あるいは発生学生活史の解明(=星の誕生と進化の研究)であり、さらに生態学(=星たちの相互作用と集団営巣の観察、すなわち銀河や宇宙の大規模構造の解明)なども包み込む学問です。

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本書は、19世紀~20世紀にかけて成し遂げられた、この天文学の一大発展と、それを成し遂げた天文家たちの横顔を紹介した大変な労作です。

現代を生きる我々は、現在進行形の研究テーマを除けば、天文学をすでに確立された学問体系として考えがちです(いわゆる教科書的記述)。しかし、学問の進展は、言うまでもなく「現在進行形の積み重ね」であり、そこには迷いもあれば誤りもあり、当事者たちも自信があったりなかったり、自信があっても間違えたり、その逆だったり、人間らしいドラマが多々あるわけです。

それを順序を追って記したのが本書です。

もとは「天文教育普及研究会」の機関誌、『天文教育』誌に連載されたもので、全体に平易な叙述で一貫しています(その学理までもが分かりやすいというわけではありませんが、とっつきにくさを感じさせないという意味で)。

著者の小暮氏は、京都大学で銀河物理学を講じられた方で、退官後は岡山の美星町立美星天文台長も務められました。生年は1926年(大正15)だそうですから、今年で卒寿を迎えられます。

本書の元となった連載が「天文教育」誌で始まったのは2009年で、その時点ですでに氏は80歳をとうに超えておられたのですが、記事を書かれるに際しては、ほぼすべて原著や一次資料にあたって書かれています。ただもう尊敬と驚嘆しかありません。

文句なしの良著です。

月下の天文台2016年10月14日 21時39分46秒

今宵は丸い月が明るく眺められます。

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月に照らされた天文ドーム。


1879年に完成した、壮麗なウィーン天文台の雄姿です。
まるでいにしえの宮殿のようですが、これぞモダニズム建築が開花する以前、歴史主義全盛期に生まれた建築様式なのでしょう。

中央の大ドームに据付けられた、英国グラブ社製68cm径屈折望遠鏡は、当時、屈折式としては世界最大を誇りました。


1898年の消印が押された切手の主は、ウィーン天文台の開所式を自ら執り行った、時のオーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世です。

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ちなみに、当時の台長はエドムント・ヴァイスで、彼は天文古書ファンにはおなじみの、あの『星界の絵地図』(1892)の著者であり、その表紙を飾ったのが、ウィーン天文台とその巨大望遠鏡です。


Day and Night2016年10月15日 09時18分48秒

天文台の絵葉書は、一時期けっこう集めました。
今でもときどき買います。

でも、整理不十分でゴチャゴチャなので、ちょっと頓珍漢なこと――「発見」と言ってもいいです――が、まま起こります。

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アルバムを見ていたら、昨日のウィーン天文台の絵葉書と同じものがありました。
片方は手描きの月を加えた「夜景」、他方は明るい日差しを浴びた「昼景」という違いはありますが、元画像はまったく同じです。(版元もウィーンの「Ledermann Jr.商会」で一緒です。)


それに気づかず買い足したのは、ちょっと注意力散漫。でも、「夜の天文台」は、天文台絵葉書を集める中でも、1つのサブテーマになっているので、これはたとえ同じと知っていても買ったでしょう。

(昼間の絵葉書に合せて色味を調整したら、夜景の方は濃い水色に。昨日の画像とかなり違って見えますが、この辺が人間の眼の不思議なところです。)

月夜のほうは、1898年の9月17日付けの投函でしたが、昼間のほうは同年10月14日付け、すなわち昨日の投函で、帝国領内のアグラム(…というのは今のクロアチアの首都・ザグレブのこと)に住む、 Adéle Laný 嬢の元に届いたのは、118年前の今日でした。これまたちょっとした偶然であり、発見です。

小石川とインターメディアテク2016年10月16日 12時11分49秒



昔…といっても、まだ10年も経ちませんが、東大総合研究博物館の小石川分館で常設展示されていた「驚異の部屋展」を、この時期になると懐かしく思い出します(私の中では、小石川は秋のイメージと結びついています)。

文明開化の息吹を伝える、明治の擬洋風建築(旧医学館)の床をギシギシ、コトコト言わせて、古い標本や教具の間をゆっくり見て回るのは、とても豊かなひとときでした。あそこはいつ訪ねても人気(ひとけ)がなく、窓の外の植物園には、ときに冷たい雨が、ときに柔らかな日差しが降り注ぎ、自分はそれを眺めながら、昔のことや今のことをぼんやり考えたのでした。

   ★

あそこに並んでいたモノの多くは、今も丸の内のインターメディアテク(IMT)で目にすることができます。でも、それはかつての小石川の経験と等質ではありません。

別にIMTが悪いというわけではありません。

…と言いつつ、やっぱり悪口になってしまいますが、今のIMTに見られる「物量主義」と「豪華珍品主義」は、結局のところ、20年以上昔に『芸術新潮』が「東京大学のコレクションは凄いぞ!」という特集を組んだ際(1995年11月号)の、「お宝バンザイ」的なノリと何ら変わりません。あえていえば、それは「アカデミックな成金趣味」そのもので、あの展示を見ていると、「どうだ、恐れ入ったか!」と、驚嘆することを強いられているような、妙な疲労感を覚えることがあります。

   ★

あれ、キミらしくないね。物量と珍品こそヴンダーカンマーの本質だろ?何でそれがいかんの?

いやあ、齢のせいかな。この頃、焼肉よりお茶漬けを好むようになってね。

はは、なるほど。でも、別にIMTの物量に圧倒される必要はないよ。ありゃあ大時代な“帝国主義的博物館”の一種のパロディというか、モノを展示しているように見せて、実は“博物館的空間”を展示している、巨大なインスタレーション作品なんだから。そこに西野館長の狡猾な――もとい緻密な計算があるわけさ。

え、本当かい?そんなもんかなあ…

ああ、間違いない。あのあざとい壁の色を見れば分かる。

まあ、それなら得心がいくけど。

IMTに侘び茶の風情を求めるのはお門違いさ。IMTに行ったら、IMTそのものを楽しまなくちゃ。

うーん…でも強いて望むなら、IMTにはもっと静寂と、木々の緑と、大らかさが欲しいね。その点は、昔の小石川のほうが遥かに良かったよ。それでこそ、空間そのものをもっと楽しめる気がする。

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…と、上の赤い人は無責任な感想を述べていますが、「あれで入館無料」という東大の太っ腹には、私も大いに敬意を払っていますし、これからも度々足を運ぶことでしょう。

そして、これは100%確実な予想ですが、もしIMTが将来閉館したら、「あんな素晴らしい、夢のような空間はなかった」と、私はしみじみ述懐するはずです。私は追憶の中でしか生きられないのかもしれません。

蚤(ピュス)ゲーム 再考2016年10月19日 07時05分59秒

唐突ですが、懐古&回顧モードで、長野まゆみさんのことに話題を横滑りさせます。

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以前、長野氏の『天体議会』を取り上げ、作中に出てくるモノを考察するという、我ながら閑雅な試みをしましたが、そこに「蚤(ピュス)ゲーム」というのが登場しました。

天体議会の世界…蚤〔ピュス〕ゲーム(1)(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/20/6952680
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954016

記事で取り上げたのは、フランス製のピュスゲームで、チップをはじいてボード上の「上がり」を目指す遊びでしたが、その遊び方とゲーム史をめぐって、コメント欄では長大なやりとりがあったのでした。

ただし、ピュスゲームには、もっと単純な遊び方――すなわち、チップをはじいてカップインさせるというのもあります。そちらはあまり触れませんでしたが、『天体議会』のメインキャラである水蓮が遊んでいたのも、カップインさせるタイプですから、それについても一瞥しておきます。

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ふと、そんなことを思いついたのは、下のようなゲームを最近手にしたからです。

(箱の大きさは、タテ横約8.5cm×12cm)

石版刷りの箱絵からして時代を感じますが、おそらく1910年代の品。
タイトルにはTidley Winks とあって、ピュスとはうたってませんが、これは英語とフランス語の違いで、遊びとしては同じものです。(Tidley Winksとは「おはじき」の意。直訳すれば「ほろ酔いのウィンク」?)

これは英米向けの輸出仕様なので、英語表記になっていますが、メーカーはドイツ・バヴァリア地方を本拠とするSpear社で、バヴァリアと聞けば、足穂チックな連想も働きますし、そんなところも『天体議会』の世界と親和性が高い気がしました。


箱を開けると、ボール紙製のカップと、白・黒・赤・黄・緑の5色のセルロイド製チップが入っています。各色とも、大きいチップ(20ミリ径)は1個、小さいチップ(15ミリ径)は3個あって、プレイヤーは箱絵のように、大きいチップで小さいチップをパチンとはじき飛ばして、カップに入れる技を競う…というのが、ゲームの狙いです。


説明書を読むと、プレイヤーはめいめい好きな色のチップを選びなさい、そしてチップがよく飛ぶようテーブルにはクロスを掛けなさい…という指示に続いて、2種類の遊び方が紹介されています。

すなわち、各プレイヤーが順番にチップをはじいて、最もたくさんカップインした人が勝ちというのと、丸テーブルを囲んだプレイヤーが一斉にチップをはじいて、最初にカップインした人が勝ちというのと、2つのルールがあったようです。

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水蓮が一人で遊んでいたのは、「白磁のチップを容器めがけて指ではじき、チップの色や形で点を数える」というもので、チップを指ではじくところも、点取りの仕方も、上の2つの遊び方とはまたちょっと違うので、この件はさらに考究を続けねばなりませんが、ピュスゲームの外延は少しずつ見えてきた気がします。

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蚤の慣用句を検索したら、まっさきに「蚤の息も天に上がる」というのが出てきました。
蚤のような取るに足りないものでも、一心に努力すれば何事もなしとげることができるたとえ」だそうです。蚤もなかなか馬鹿にはできません。