計算する骨2018年06月10日 07時15分27秒

スコットランドは、今はイギリスの一部ですが、「ランド」というぐらいですから、昔は独立した国で、イングランドと合併したのは1707年のことです。

その昔のスコットランド王国の貴族で、レオナルド的万能の科学者にして、オカルティズムの大家でもあった人に、ジョン・ネイピア(John Napier,、1550-1617)という人物がいます。(当時はこういう怪人的学者が多くて、イングランドにはジョン・ディー(1527-1609)という大物がいましたし、東に目を向ければ、奇想の皇帝・ルドルフ2世(1552-1612)のプラハ宮廷にも、何だかよく分からない人物が大勢出入りしていました。)

(ネイピアが住んだマーキストン城。右上はネイピアの部屋。19世紀の版画より。リンク先掲載の図を一部トリミング)

さて、そのネイピア。この才人の業績の中でも顕著なのは、数学分野におけるそれで、特に「対数」の発案者として、その名は不朽のものとなっています(とエラそうに書いていますが、この辺のことは他人の受け売りです)。あるいは、「対数」と聞くと身構える人(私もその一人)でも、彼が小数点の考案者だと聞けば、なるほど偉い人だと思うでしょう。

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そして、彼の発明でもう1つ有名なのが、「ネイピアの骨(Napier's bones)」と呼ばれるものです。

(アメリカのArmstrong Metal Craft社製の現代の「ネイピアの骨」と解説書。表紙を飾るのはジョン・ネイピアの肖像)


洒落たオークの箱に、銀白色のステンレスに刻まれた数字が並んでいます。


中身は一枚板ではなくて、バラバラの四角い棒。


そして、箱の左側に彫られた1から9までの数字。

一体これは何か?

これはネイピアが発明した計算装置です。これさえあれば、桁数の多い掛け算を効率的に行うことができ、さらにそれを応用して、割り算や平方数、平方根まで計算できるという優れもの。(ちなみに、なぜ「骨」かといえば、昔は象牙を削った棒を使い、いかにも骨っぽい外観だったからです。)

なぜそんなことができるのか?

小学校時代に戻って、掛け算を筆算で行う場面を思い出してください。あそこで我々が行っていた作業は、結局「九九」と「足し算」だけです(よーく思い出してください)。ですから、たとえ九九を暗記していなくても、九九を教えてくれる補助装置さえあれば、足し算だけで、多桁の掛け算をこなせます。そして、ネイピアの骨とは、九九を教えてくれる補助装置に他なりません。


例えば、いちばん上を見ると、「4678539」と並んでいます。で、一番左の4の棒を下に見ていくと「4、8、12、16…」、その隣の6の棒は「6、12、18、24…」と数字が彫られています。言うまでもなく九九の答です。

この「4678539」というのは、実はウィキペディアの「ネイピアの骨」の項目に挙がっている計算例と同じ数字で、そこでは「4678539×7」を計算するやり方が、下の図とともに解説されています。

(左図の上から7段目(×7を意味します)に注目。それを拡大したのが右図)

実際に「4678539×7」を筆算で解く場面を想像しながら、この図を眺めると、ネイピアの骨の原理がお分かりいただけるでしょう。

さらに、「4678539×792」のような「多桁×多桁」の掛け算も同じことです。
1の位(上の例では2)、10の位(同じく9)、100の位(同じく7)…の順に、上のやり方で積を求め、それを一ケタずつずらして書き並べ、最後に足し算すれば答に到達できます(これまた筆算と同じ手順です)。

割り算のときは、「九九」と足し算に加えて、さらに引き算も必要になりますが、原理はそう変わりません。

(4678539÷96431の計算例)

ここでさらに平方数や平方根の計算も説明できるといいのですが、この辺になると、私の理解が胡乱(うろん)になってくるので、興味のある方は、上記のウィキペディアの解説を参照していただければと思います。

(平方数や平方根の計算には、通常の棒に加えて特別の棒を使います。左下に見える幅広の棒が、平方数計算用。似たような形をした平方根計算用の棒もあります。)

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ネイピアのアイデアは、さらに歯車式のからくりと結びついて、世界初のメカニカル計算機を生み出しました。1623年に、ドイツのヴィルヘルム・シッカート(Wilhelm Schickard,1592-1635)が発明したのがそれです。

(6ケタ×1ケタの掛け算を自動でこなすシッカートの計算機(復元)。ウィキぺディア「ヴィルヘルム・シッカート」の項より)

シッカートは自らの計算機を、天文計算に使用することを想定し、それをケプラーに手紙で知らせていたそうですから、これは天文古玩的にも興味を覚える話です。

そして、ここから計算機の歴史は始まり、19世紀になると実用性を備えた多くの機械式計算機が製作され、社会の変化を加速しました。さらに、プログラムの考えが生まれ、機械式パーツが電子デバイスに置き換わり、今の社会があるわけです。

(ネイピアの骨の子孫たち。Armstrong Metal Craft社の解説書エピローグより)

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ネイピアの骨は、数の世界の抽象美を具象美に変えて見せてくれているようです。



コメント

_ S.U ― 2018年06月10日 10時20分58秒

おぉ、ネイピアの骨!
 私は、生涯をかけて実用的な計算方法を工夫した数学者をいたく尊敬しておりまして、その双璧がオイラーとこのネイピアです。さすがに、天文計算を対数で行った経験はありません。掛け算は対数を習う以前にそろばんか手回し計算機で出来ました。でも、対数が「大発明」(「発見」ではなく)であったことは、天文計算の先達の手引き書によって理解できました。

 ネイピアの骨については、手元の文献で興味深い記述があったので、掲載の内容と一部かぶりますが、引用させていただきます。

 ネーピアの骨は、・・・(中略)・・・、普通は木製のものが多いが、ネーピアは貴族なので象牙で作らせたらしい。(中略) 当時は、貴族でも計算が苦手で、九九を暗記している人は少なかったため、上流階級でちょっとしたブームになったようだ。ネーピア自身が解説した本はイタリア語とドイツ語にまで翻訳されたし、ネーピアの骨は中国でも製造されたことが確認されている。
 (中略)学者の間に科学計算をするときに使われた程度で、庶民の多くはそろばんを使っていた。ネーピアの骨も実用的な計算道具というわけではなく、上流階級のパーティで遊ばれる玩具のひとつといった側面が強かったようだ。
  (牧野武文「レトロ・ハッカーズ」「そろばん、計算尺、機械式計算機」より引用)
 
 「骨」というと無骨なものですが、学者や貴族向けの計算道具であった、しかし玩具に留まらず後世に向けて発展した、というところは注目すべきことと思います。

_ パリの暇人 ― 2018年06月11日 09時34分21秒

Napier's bonesの"bones"を 骨と訳すのには違和感がないでしょうか? boneには拍子木とか骨質の物(象牙など)の意味もありますので 見た目そのまま"Napierの棒"でいいのではないかと思うのですが...。 ちなみに仏語ではos(骨) de Napier ではなく bâtons(棒) de Napierといいます。 以前から気になっていたことですのでここに書かせていただきました。

_ 玉青 ― 2018年06月12日 05時53分56秒

〇S.Uさま

気合いの入ったコメント、ありがとうございます。(^J^)
ネイピアの骨は、同時代にあっては、玩具としても受容されていたのですね。そうすると、ますます例のお猿との類似性が感じられます。ともあれ、人は数を操作するだけでも愉悦を感じるという事実は、数が昔から人間の良き友であった証拠なのでしょう。(今でもナンクロにはまる人とか、大勢いますよね。私の場合ちょっとウマが合わなかったようで残念ですが、まあ現実の人間関係でも往々にしてあることですから、止むを得ません。)

〇パリの暇人さま

確かに「ネイピアの骨」と聞くと、何だかネイピア先生の遺骨のようで、微妙な感じを受けますね。漢語圏には「骨牌」という語もあるので、せめて「ネイピアの骨牌」とでもすれば、字面と字義が一致したかもしれませんね。

なお、文中でも触れた製品解説書によれば、「Napier's bones」という表記の初出は、William Leybourneの1667年の著作『The art of numbering by speaking rods: vulgarly termed Napier’s bones』だそうで、vulgarlyと言うぐらいですから、どうも最初から幾分荒っぽい言い回しではあったようです。

_ S.U ― 2018年06月12日 07時38分57秒

 パリの暇人様、玉青様のコメントを拝見して、ネイピアの骨の発明、流行、それが"bones"と呼ばれるようになった経緯について気になりました。ウィキペディアによるとネイピアの骨は、1617年に Rabdologiæ  という名で発表されたとあります。これは「棒」の意味だそうですから、この時点で確かに「棒」だったのでしょう。

 ここで、ネイピアこの1617年に没しています。つまり、ネイピアが「御骨」になった年に「ネイピアの棒」が出たわけです。(当時は火葬ではなかったしょうから正確には御骨にはならなかったでしょうが) ただし、牧野氏の上記書を見ると、貴族サロンで流行したのは彼の存命中のようにも読めるので、1617年というのは論文の刊本付きで出された年で、それ以前に手作り的なものがある程度出回っていたのかもしれません。流行についての出典を調べたいと思いましたが、簡単には見つかりませんでした。最初の流行時にどう呼ばれていたかが気になりますが、初出が1667年なら、"bones"と呼ばれるようになったのは、ネイピア先生が"bones"になられただいぶ後なのかもしれません。

 ネイピアの対数表は天文計算を格段にスピードアップさせ、ラプラスをして「天文学者の寿命を倍にした」と言わしめたほどだったので、17~20世紀の300年以上にわたり、天文学者にとってネイピアは神様仏様のようなもので、私は御遺骨があれば舎利塔に入れて世界の天文台に配ることを提案したいくらいに思いますが、天文学者は九九を覚えているでしょうから計算道具のネイピアの骨のお世話にはならず、いっぽう天文学者の計算の苦労は世間人の関知することではないでしょうから、遺骨崇拝についてはもちろん冗談です。

_ 玉青 ― 2018年06月15日 07時09分06秒

天文学の驚異の発展を支えたものとして、よく<写真術>と<分光学>が挙げられますが、それ以前に、<観測術>と<計算術>を挙げねばなりませんね。ネイピア先生は、天文学の「御本尊」ではないにしろ、「大恩人」ではあることは論を俟ちませんから、天文学徒たる者、ゆめその大恩を忘るるなかれ…といったところですね。

_ S.U ― 2018年06月17日 11時07分35秒

「ネイピアの骨」の名称と流行についてもう少し知りたいと思いましたが、パラパラ検索ではわからず、幸いネットで読める伝記本 Brian Rice他著"The Life and Works of John Napier"があったので、それにあたることにしました。

 The term “Napier’s Bones”の文献での初出は、1617年に書かれた Thomas Bretnor の"[a new almanacke] and prognostication for 1618"
(no publisher and unpaginated) だそうです。Thomas Bretnor は年鑑出版業ということなので、これは著書というより新聞のようなものかもしれません。

 また、世間での流行については、あまり明瞭な記述は見つかりませんが、著書 "Descriptio"出版時(1614)にはポピュラーであったとされ、広く使われたとされているので、彼の晩年に、初期形?が世間に出回っていて利用されていたというようです。そして、亡くなった年に「骨」の(記録に残る記載の)初出があったことになります。
 上流階級のパーティでネイピアの骨が流行った件については見つけられませんでした。当時、これだけの桁数の掛け算の実用があったかどうか疑問なので、上流階級の玩具としての広がりが「ポピュラー」ということなのかもしれません。天文学者は対数の恩恵で多数桁の掛け算はしなくて良くなったわけですし、多数桁の掛け算を本業にしている人がいたにしても、棒を並べる暇に九九を覚えたほうが早いでしょうから、プロの実用としてポピュラーになったとはあまり思えません。趣味としての数学計算の研究用途が大きかったと推定します。

_ S.U ― 2018年06月17日 11時32分28秒

[付記]
 ウィキペディア英語版に写真が出ている マドリードの博物館の超豪華盤発展型ネイピアの骨のの精細画像のページを見つけましたので、ご参考のため引用いたします。こんなもん誰が使うのでしょうか。

https://artsandculture.google.com/asset/napier%E2%80%99s-bones-or-rabdology/ywHT2PcC61wadQ

_ 玉青 ― 2018年06月18日 12時10分20秒

ネイピアの骨の続報、ありがとうございます。
「骨」の初出にはあいまいな点もあるようですが、いずれにしてもネイピア生前から、その存在は世間に知られていたわけですね。マドリードの作例は、明らかに実用を離れた、貴族の賞玩物として作られたもののように見えるので、上流階級の玩具云々の話も何かしら根拠はあるのでしょう。(それにしても、これは一寸ほしい気がします。)

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