「ヘンリ・ライクロフトの植物記」(6)2018年06月22日 21時09分23秒

『ヘンリ・ライクロフトの私記』には、他にも植物に寄せる思いを美しく綴った章がいろいろあるのですが、あんまり引用ばかりでもどうかと思うので、最後に氏の園芸観を述べたくだりを引用して、この項を終えたいと思います。

<夏 第24章>

 わが家の庭の手入れにくる正直ものの男が、私の風変わりなやり口にいささか面くらっている様子である。私をみるその目に、いぶかしげな表情があるのを私は何度も気がついた。それは、私が普通のしきたり通りに花壇を作らせようとせず、家の前の狭い地面をいかにも小じんまりした装飾風な庭にさせないのが原因である。初めは私のしみったれのせいにしたが、今では、それはそうではないということが分かったらしい。田舎家に住む人でも恥ずかしくなるような、貧弱で飾り気のない庭を心から私が好んでいるということを彼は信じようにも信じられないのである。そしてもちろん私もずいぶん前から、自分の意見を説明するのをあきらめてしまっている。この人のいい男は、私があまり本を読みすぎ、独りぼっちでいたため、やや彼のいわゆる「正気」を失ったとでも思っているらしいのである。

 私の好きな唯一の庭園用の草花は、古風かもしれないが昔ながらのバラであり、ヒマワリであり、タチアオイであり、ユリその他である。そして、これらの花かできるだけ野生然として茂っているのをみるのか好きなのだ。きちんとしたシンメトリカルな花壇ほど嫌いなものはない。その中に植えられた花の多くは――グロテスクな名前をもった雑種は―たとえば「ジョウンジア」とか「スヌークシア」といった――みるのも嫌である。しかし他方では、庭はなんといっても庭なのであるから、小道や野原で私の目を慰めてくれる野草の類を庭にもち込もうとは思わない。たとえば「ジギタリス」――この草花が庭に移植されているのをみたら心がいたむ思いであろう。

 なぜ「ジギタリス」のことを思いだしたかというと、今がちょうどその花盛りであるからだ。毎年、今頃になると私がでかけることにしている小道に、昨日もでかけでみた。その小道というのはくぼんだ、車のわだちの跡のついた道で、その左右は「しだ」の大きな葉でおおわれ、上の方には「にれ」「はしばみ」の枝が生い茂っている土堤になっている。その土堤の間をだらだらと降ってゆくと、ひんやりした草一面の一角にでるのだが、そこにこの気高い花がほとんど私くらいの丈の茎をつけて咲いているのである。こんなに美事な「ジギタリス」は他所では見られないと思う。幼い頃の思い出がまつわりついているので、この花がかくも私の心を喜ばせてくれるのかもしれない。子供にとってはこの花が野生の花の中では一番印象に残る花だからである。私が水際に咲いている「えぞみそはぎ」やよどんだ深みに浮かんでいる白いスイレンの光り輝くばかりの花の姿をみるさいはもちろんだが、「ジギタリス」の美しい群生をみるためならいつだってなんマイル歩いても遠しとせずいってみるのである。

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バラ Rose

(野生然と茂ったバラ。「Peggy Martin climbing roses」)
 
ヒマワリ Sunflower

(青空を背景に咲くヒマワリ。「Sunflower (Sunfola variety) against a blue sky. Taken in Victoria, Australia」)

タチアオイ Hollyhock

(Alcea rosea (common hollyhock))

ユリ Lily

(Lilium candidum)

「ジョウンジア」 Jonesia
(注)属名としてのJonesiaは、Saracaの異名(シノニム)。ライクロフト氏の言うように「雑種(hybrid)」ではありません。

(Saraca asoca)

「スヌークシア」 Snooksia 
※検索にかからず未詳

「ジギタリス」 Foxglove

(Digitalis purpurea(Common foxglove))

「しだ」 Polypodium

(Polypodium vulgare(Common Polypody))

「にれ」 Wych-elm

(Ulmus glabra(Wych-elm))

「はしばみ」 Hazel

(Corylus avellana(Common hazel))

「えぞみそはぎ」 Loosestrife

(Lythrum salicaria)

スイレン Lily
(注)「よどんだ深みに浮かんでいる白いスイレン」、原文では「white lilies floating upon the still depth」。ここに出てくる“lily”は、文脈から“water lily”(スイレン)を指していると読めます。

(Nymphaea alba(European white water lily))

   ★

ライクロフト氏の趣味がよく出ている文章です。
そしてまた、大いに共感を覚えます。私もこういう懐かしい「庭の千草」的庭が好きです。
(ただ現実には、さりげない庭をさりげない状態に保つのも、なかなか労力を要することで、ちょっと気を抜くとすぐ「単に乱雑な庭」になってしまいます。その実例がまさに目の前にありますが、これは日英の気象条件の差もあるので、いかんともしがたい面もあります。)

ときに、「フランスでは伝統的にシンメトリカルな整形庭園を好み、イギリスでは野趣あふれる自然な庭を好む」…みたいな、図式的理解が自分の中に何となくありましたが、庭師というのは職業柄、自分の腕の振るいどころを求めるのか、やっぱりイギリスでも装飾的な庭をこしらえたがるもののようですね。

ここで改めて、ウィキペディアの「イギリス式庭園」の項を見たら、上記の「イギリス式庭園 vs.フランス式庭園」の対立は、主に大規模な邸宅についての話で、しかもイギリスにフランス式庭園を代表する名園があるかと思えば、フランスにもイギリス式庭園を代表する名園がある…という具合で、話はそう単純ではないようです。

そしてまた、いわゆる「イングリッシュガーデン」というのは、この「イギリス式庭園」と全く無縁ではないにしろ、ちょっと別の流れにあるもので、英米では「コテージガーデン」と呼ばれ、19世紀以降に流行りだしたものということも分かりました。となると、ライクロフト家に出入りしていた庭師は、19世紀末にあって、いささか古風な庭園観を持った人だったのかもしれません。

(この項おわり)