フェルスマンに会う2019年06月06日 07時02分37秒

フェルスマンに会うために私がしたこと。それは、彼の生前に出た、彼の本を手にすることです。「なあんだ」と思われるかもしれませんが、私はそうすることで、彼の肉声に触れ、その体温をじかに感じられるような気がしたのです。

そこで見つけたのが、Занимательная Минералогия(おもしろい鉱物学)』という大判の本です(1937、モスクワ)。


…といって、体温はともかく、肉声の方はなかなか難しいです。
題名からして、このキリル文字をラテン文字に置き換えると、「Zanimatel'naya Mineralogiya」となると、Googleは教えてくれますが、「ミネラロギヤ」はともかく、最初の単語は何度読み上げてもらっても聞き取れないし、ましてや発音できません。


そんな次第なので、せっかくのフェルスマン博士の本も、ときどき挟まっているカラー図版を楽しみに「めくる」ことしかできず、きっと滋味あふれることが書かれているのだろうなあ…と想像するばかりです。でも、これはたとえ本物のフェルスマンに会うことができても、彼の母国語を理解できないので、同じことでしょう。


   ★

この本のことは、『石の思い出』にも出てきます。

その最終章(「第19章 石にたずさわる人々」)で、フェルスマンは自著に対する少年少女の感想を並べ、これからも多くの素晴らしい人々が、鉱物学の発展に力を尽くしてくれるだろうと期待しつつ、筆をおいています。(以下、〔…〕は引用者による略。引用にあたって漢数字をアラビア数字に改めました。)

 「私の書いた『おもしろい鉱物学』に応えて、大勢の若い方々から手紙をいただいた。たくさんの若い鉱物ファンが我が国に生まれているのである。それらの手紙は純真率直で、自然と国に対する深い信頼をもって書かれている。〔…〕

 「ぼくは小さいときから石が好きでした。いつも石を家へ運び込むので怒られたことが何回もありました。」(12歳の少年が大きな文字で書いたもの、1934年)
〔…〕
 「ぼくは化学と鉱物が前から好きでした。もう64個の鉱物標本を集めました。ぼくはもう13歳です。自分の実験室を持っています。結晶をつくることもできます。学校(7年制)を終えて、すぐ科学アカデミーへ入ることはできますか」(1931年)
 「本をありがとうございました。私たちはお父さんの部屋から持ってきて、自分たちの部屋へ置きました」(8歳と10歳の女生徒)
〔…〕
 「ぼくは小さいときからよく家から外に出て、小鳥や動物や植物を観察していました。コレクション用に標本を集めました。そのころから6年たちました。ぼくは少年サークルを2つつくりました。そして天山山脈に登山し、岩の中から野生のネギや有用植物を採集しました。その山の中で、ぼくは石に興味をもつようになりました。大地の秘密を解き、大地の富を開拓しようと決心しました」(7年生)
〔…〕
 「私は19歳の娘です。鉱山大学の地質・探鉱学部へ入学することが以前からの念願でした。ところが、女はこの仕事に向かないし、仕事のじゃまになると男の人たちはいいます。これはほんとうでしょうか、どうぞ教えてください。現場の職員になることを希望しています」(1929年)

 このような手紙がまだたくさんきている。私は一言も付け加えていないし、間違いを直してもいない。飾り気のない文章と若い魂の息吹を保とうと思ったからだ。」
(邦訳pp.193-195)

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まぶしい感想が続きますが、ここまで書いたところで、その差し出しが1937年以前であることに気づきました。

「あれ?」と思って、英語版やロシア語版のウィキペディアで、フェルスマンの項目を見たら、『おもしろい鉱物学』は1928年に初版が出て、1935年に改訂版が出ていること、さらに30か国以上で翻訳・出版されていると書かれていました。したがって、手元にあるのは、改訂版の、さらに後に出た版になります。改めて本書が評判を呼んだベストセラーであることが分かります。


手元の本は、扉にべたべたスタンプが押されていて、図書館除籍本のようですが、この本をかつて多くの少年少女が手にしたのか…と思うと、フェルスマンの引用した彼らの声が、いっそう生き生きと感じられます。

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ここでさらに、「30か国以上で翻訳・出版」と聞いて、「もしや…」と思い調べたら、果たして『おもしろい鉱物学』は、邦訳も出ていることが分かりました。

訳者は同じく堀秀道氏です。1956年に出た『石の思いで』(初訳時は『…思い』ではなく『…思い』)から11年後の1967年に、同じ版元(理論社)から出ています。これで「体温」ばかりでなく、「肉声」の方も、その内容を無事聞き取れることになり、めでたしめでたし。

ただ、この邦訳『おもしろい鉱物学』は、絶版久しい相当な稀書らしく、古書検索サイトでも見つかりませんでした。やむなく近くの図書館で借りてきましたが、ついでに『石の思いで』の旧版も借りることができたので、これはこれでラッキーな経験です。

(邦訳『おもしろい鉱物学』の底本は1959年版。この本がフェルスマンの死後も盛んに版を重ねていたことが分かります。)

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こんな風に話を広げていくと、なかなか読書の楽しみは尽きません。
これもブログの記事を一本書こうと思ったからこそなので、やっぱり書くことは大事です。

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