星時計(2)2020年01月04日 14時28分09秒

アストロラーベや、四分儀、八分儀、あるいは古い日時計とか、昔の測器や航海用具にロマンを感じる人は多いようで、そういう人向けに、お手頃価格でリプロを作っているメーカーがあります。まさに需要があるところに供給あり。

いずれもスペイン・マドリードに本拠を置く、ヘミスフェリウム社(Hemisferium)アンティクース社(Antiquus)はその代表です。

両社の製品は、ラインナップも、価格帯も、とてもよく似ているので、どっちがどっちか分からなくなることがあります。それも道理で、両社はもともと同じ会社でした。

1980年代に創業したビジャルコル社(Villalcor, S.L.)が双方の母体。
その後、経営をめぐってお家騒動があったらしく、創業社長のホアキン・アレバロ氏(Joaquín Carrasco Arévalo)が、社を割って2005年に新たに立ち上げたのがヘミスフェリウム社で、残った方が新たに掲げた看板がアンティクース社…ということらしいです。まあ、青林堂と青林工藝社とか、似たようなことはどこにでもあります。

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(左:ヘミスフェリウム社、右:アンティクース社の製品)

ここで両社のノクターナルを順番にみてみます。
まずはヘミスフェリウム社から。

こちらは1568年、フィレンツェのジローラモ・デラ・ヴォルパイア(Girolamo della Volpaia)が製作したものがモデルになっていて、現物は同地の科学史博物館に収蔵されています。


同館のカタログ(https://www.slideshare.net/marcelianyfarias/catlogo-do-museo-galileo)では、p.45にある「目録番号2503」がそれ。何から何までそっくり同じとはいきませんが、何となく雰囲気は出ています。

使い方は、ヘイデン・プラネタリウムの星時計とほぼ同じです。

深夜12時の目盛りに相当するのが、「Media Nox(ラテン語で‘真夜中’の意)」と書かれたポインタで、これは時刻盤たる中円盤と一体化しています(以下、「ノックス・ポインタ」と呼ぶことにしましょう)。

まずノックス・ポインタを、最外周の日付目盛りに合わせます(ただし、改暦のゴタゴタと、ヴォルパイアの依拠した暦本に間違いがあったせいで、このノクターナルを使いこなすには、現代の暦日に38日を加えよ…と、付属の解説書に書かれています)。

(1月4日に使うときは、38日を足して、2月11日にノックス・ポインタを合わせます。)

次いで中心に北極星を入れて、「Horologium Nocturnum」と書かれたハンドルを回し、ハンドルのエッジと、北斗のマスの先端2星を結ぶラインを合わせます。あとはエッジ位置の時刻盤表示を読み取ればOK。

(付属解説書より)

ただし、ヘイデンの星時計と違うのは、ヘイデンの方はダイレクトに現在時刻が表示されているのに対し、このノクターナルの時刻盤は、「あと何時間で深夜になるか」が刻まれていることです。


したがって、上のように「3」の位置に北斗があれば、「あと3時間で24時」、すなわち現在21時であることを意味します。念のため、ヘイデンの星時計や、ふつうの星座早見でも確認すると、1月4日・21時の北斗の位置は、確かにこうなることが分かります。



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ところで、このノクターナルは、中円盤のさらに内側にギザギザのついた小円盤が付属します。


これは、「日没から現在まで何時間経過したか」を知るためのものです。なぜそれが必要かといえば、昔は日没を基準に、「日没後一刻、二刻、三刻…」という時の数え方があったからだそうです。

小円盤の内側には、毎月の上旬と下旬の「日没~真夜中」までの時間が、丸い数表の形で載っています。例えば6月上旬だと「4時間28分」、12月上旬だと「7時間32分」という具合(このノクターナルは、フィレンツェの緯度に合わせて作られています)。

次に読み取った数字と、時刻盤の数字を合わせます(時刻盤の数字は、「深夜までの残り時間」なので、ダイレクトに合わせれば良いわけです)。

(薄赤で囲んだように、1月上旬の「日没~真夜中」時間は7時間20分です。その位置に小円盤のポインタを合わせたところ)

ギザギザの山の中に書かれた「1、2、3…」の数字が「日没後○刻」を示し、1月4日・21時の例だと、ハンドルのエッジの位置から「日没後五刻」と読めます。


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なお、ノクターナルの脇にブラブラおもりが下がっているのは、裏面が日時計(測時四分儀)〔LINK〕になっているので、それ用です。

(裏面)

(この項つづく)

余滴2020年01月04日 15時34分06秒

「鵜飼」は、殺生禁断の川でこっそり鮎漁をした漁師が、仲間になぶり殺しにされた末、地獄で責め苦を受ける…というのが前段。後段では、旅の僧の供養によって漁師が無事成仏を遂げたことが語られ、法華経の功徳を讃嘆する内容になっています。

その前段で漁師が責め殺されるシーン。
物陰で待ち構えていた人々が、漁師の前にいっせいに姿を見せ、激情に駆られて絶叫します。「狙う人々なっと寄り。一殺多生の理にまかせ。彼を殺せと言いあへり。」

このとき人々が口にした「一殺多生(いっせつたしょう)」の論理。
「一人を殺すことで、他の多くの存在が助かるのだ」というのは、何となく素朴な常識に叶うところがあって、実際そういう行動を支持する人は少なくありません。

何を隠そう、私の中にもそういう考えが生まれる時があります。
でも、それが間違っていることも同時に感じ取れます。
その主張は「理」をうたいながらも、実際には「処罰感情」やら何やらの「情」に過ぎないことが多く、じっくり考えるとどこかが破綻しているからです。

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正月早々、きな臭いニュースが聞こえてきます。
対米従属国家たる日本にとって、遠い国のことでは全くありません。
いろいろ訳知り顔で解説する人もいますが、結局のところ「一殺多生の理」を出ない解説が多いように思います。

今回殺害されたソレイマニという人が、言われるように非道な蛮将であったにしろ、アメリカのやり口は、それに劣らず無茶苦茶です。そもそも他国の領内で、他国の要人をしれっと殺害する国家を、ならず者国家と呼ばずして、一体何と呼ぶべきか?

少なくとも、人道的立場からソレイマニを非難する人は、同じ論理でトランプを非難しないと、首尾が整わないと思います。