私は声を上げる2020年09月28日 21時56分34秒

ナチズムに抵抗したマルティン・ニーメラーの有名なメッセージを、どこかで目にされたことがあるでしょう。このブログでも、過去に一度登場しました。

  最初、彼らは共産主義者に矛先を向けた
  だが、私は声を上げなかった
  私は共産主義者ではなかったから

で始まり、徐々に「異分子」が排除されていった挙句、

  ついに矛先は私に向いた
  そして、私のために声を上げる者はもはや誰もいなかった

で終わる、不安と恐怖に満ちた教訓詩。

   ★

あれと同じ感覚を、某古書店が発行するニューズレターを読んでいて感じました。
かつて偉大な「文化の守り神」だった古書店は、現在急速に淘汰が進みつつあり、その淘汰の先にあるのは、一種の「都市鉱山」です。アマゾンの出品業者は、既にそうなっているでしょう。


私の中のニーメラーはこう謳い出します。

  最初、町の本屋がごっそり消えた
  だが、私は声を上げなかった
  本は町の本屋以外でも簡単に買えたから

町の本屋に続いて、小出版社が消え、中出版社が消え、公共図書館も大学図書館も本を買わなくなり、専門書が消え、翻訳書が消え、専門家が食えなくなり、誰も本を買わなくなり、古書店も消えつつあります。

  あらゆるものが次々に消えた
  だが、我々は声を上げなかった
  それらが消えても、我々は誰も困らなかったから

少なくとも私は大いに困るんですが、これが今の時代の気分なのかもしれません。
でも、その先にあるものは―?

   ★

ここまで読んでも、あまり危機感を持たれない方もいると思います。
でも、ここで注意を要するのは、上の話は容易に語りの次元を上げられることです。つまり、上の話は「出版文化」に限定していましたが、いきなり

  最初、出版文化が消えた
  だが、私は声を上げなかった
  本は私の生活に何のかかわりもなかったから

…というところから始めて、映像、音楽、美術、工芸、ファッション等々、さまざまな文化が次々に消滅する過程をうたうことだってできます。どの道筋をたどっても、その先にあるのは、人間精神の根幹が立ち枯れる、索漠とした未来でしょう。そういう危うい時代にあることを、私は古書店主の文章を読みながら感じました。

   ★

思うに、文化そのものが、完全に根こぎになることはないのかもしれません。
ヨーロッパ暗黒の千年のように、すぐれた文化はシスト化して、精神の乾期を乗り越え、いずれまた豊饒な花を咲かせるかもしれません。

でも、シストはいいとしても、生身の人間が、そういう苛烈な時代を生き延びるのは、なかなか大変だろうと思います。