古典とワクワク ― 2021年01月11日 22時52分25秒
コロナ禍もすでに1年余りが経過し、これからは「去年の今頃は何があったかな?」と振り返るのが日課になりそうです。ちなみに去年の1月11日は、中国で<原因不明の肺炎>による初の死者が出た、と報じられた日でした。
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それを思うとずいぶん昔のことですが、今から7~8年前の新聞で、興味深い記事を読みました。ユタ州の地方紙「ソルトレイク・トリビューン」の2013年2月21日号に掲載されたものです(記者はSheena McFarland氏)。
■Old book collection a thrill for astronomy enthusiasts
― University of Utah's J. Willard Marriott Library featured original editions of books that laid the foundation for astrophysics.
― University of Utah's J. Willard Marriott Library featured original editions of books that laid the foundation for astrophysics.
見出しは、「古書の山に天文ファン興奮――ユタ大学のウィラード・マリオット図書館が、宇宙物理学の基礎を築いた書物を原書で公開」といった意味合いでしょう。
地元出身の富豪、ウィラード・マリオット氏(日本にも進出しているマリオット・ホテルグループの創始者らしいです)の寄贈によってできた、ユタ大学の専門図書館が、天文学の古典を公開し、地元のアマチュア天文家が、それに興奮して見入った…というのが記事のあらましです。
私が興味を覚えたのは、私の知るアマチュア天文家は、普通そういうものに関心を示さないイメージがあったからです。大抵の天文ファンは、望遠鏡で星を眺めるのは好きでも、昔の天文学の歴史には興味が薄いし、たまさか歴史に興味を持つ人がいても、古書そのものには関心を持たない…というイメージがありました。でも、実はそうでもないのかなと、この記事を読んで考え直しました。
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図書館に並んだのは、たとえばニュートンの『プリンキピア』の初版(1687)です。
以下、記事を部分訳してみます(かなり適当訳です)。
「天文家にとって『プリンキピア』はバイブルなんです」と、パトリック・ウィギンズは言った。彼はスタンズベリーパークの住人で、ソルトレイク天文協会会員を中心とする一行15人のツアーを企画したアマチュア天文家だ。「これは実に感動的な経験です」と、本を手にしながら彼は述べた。
展示されている本の年代は、最も古い西暦800年代から、1900年代初頭のアインシュタインの著作にまで及ぶ。39冊の本の大部分が初版本で、オリジナルの装丁のまま、何百年も経た今でも完全な状態で読むことができる。
ここに並ぶのは、ほかにジョバンニ・パオロ・ガルッチの星図集『世界劇場』(スペイン語版、1607)とか、アンドレアス・セラリウスの美麗な『大宇宙の調和』(1661)とか、ガリレオの『天文対話』(1632)などで、いずれも貴重な歴史の証人です(なお、上でいう「西暦800年代」の本は原書ではなく、複製本のようです)。
一行のうちの2人、トゥーイル在住のテラとスティーブのペイ夫妻は、ウィギンズから「関心があればぜひ」とメールで誘われて参加した。スティーブは言う。「歴史上、科学思想のターニング・ポイントとなった本があります。そうした本を眺め、手に取ることができるなんて、生涯で一度きりの経験でしょう。」
年間約40のグループが、学外からこのマリオット図書館の貴重書コレクションを見に訪れる。その財源は税金と個人的寄付であり、誰でも特定の本をリクエストし、書庫から司書が運んでくればすぐに、それを手に取って読むことが出来ると、貴重書担当のポウルトン主任学芸員は言う。
ソルトレイクに住むアマチュア天文家のフレッド・スワンソンは、これほどの貴重書を前に喜びを隠せない。スワンソンは言う。「これらは西洋科学を作り上げた資料の一部に他なりません。それらを見ると、本当にワクワクします。私はこれまでずっと天文学と物理学に関心がありましたが、私が使った教科書はすべて、ここにあるケプラーやニュートンやアインシュタインの著作に基づいて書かれたんです。こんなにワクワクすることはありませんよ。」
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皆さん、至極穏当でまともな意見だと思います。
モルモン教の根付いた土地ですから、訪問する人もどちらかといえば善男善女タイプの、篤実な人が多いのかもしれず、平均的アメリカ人の感性とはずれている可能性もありますが、それにしても市井の人が、こういう思いで科学の古典に接するのは、間違いなく好いことでしょう。
日本だったら…と当然考えますが、実際のところどうなんでしょう?
たぶんお勉強気分で、神妙な面持ちで眺めることはするでしょうが、あまりワクワクやドキドキはないかも。
同じ眺めるのでも、「よそながらに眺める」のと、「自分に結びついたものとして眺める」のとでは天地雲泥の差があって、後者の感覚を持てるかどうかが、教育の成否を測る物差しではないか…と、何だか我ながら説教臭いですが、そんな風にも思います。
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