博物趣味の春2021年02月27日 17時55分13秒

壁に掛かっている暦を見ると、先週の木曜が雨水、来週の金曜日が啓蟄だと書かれています。水仙のつぼみが膨らみ、紫陽花の鮮やかなグリーンの新芽が顔を見せ、やっぱり春は毎年めぐってくるものですね。年々歳々花は相似たり…とはよく言ったものです。

そして上の句は「歳々年々人同じからず」と続きますが、人の方もやっぱり相似ていて、政治の醜聞が続いています。まあ、人が人である限り、醜聞が絶えることはないのかもしれませんが、それを肯定することはできません。醜聞を前にして、「これは醜聞である」と、きっぱり認識できることが大事であり、目の前の出来事はどう見ても醜聞です。

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さて、こういう季節になると、野山に出かけて、にわかナチュラリストを気取りたくなります。まあちょっとした観察なら近所の裏山でも十分ですから、気取るも何も、すぐに出かければいいわけですが、「天文古玩」の常として、まず形から入ることにします。


そのための小道具として、小さな野外用顕微鏡を買いました。
箱の高さが17cmというかわいいサイズで、合焦ノブのない、手で鏡筒を出し入れしてピントを合わせる、ごく素朴なタイプの顕微鏡です。野外に簡単に持ち出せるので、field microscope とも呼ばれるし、安価で生徒にも買えたため、student microscope と呼ばれることもあります。いわば日本でいう「学習顕微鏡」のアンティーク版。


科学機器の歴史が専門のGerard L’E. Turnerの本を見ると、この手の顕微鏡(ターナーは drum microscope(円筒型顕微鏡)と呼んでいます)の歴史も結構古くて、最初は1740年代にイギリスのベンジャミン・マーティンが売り出して、その後19世紀半ばには英仏両国の多くのメーカーが手掛けて、大いに売れたようなことが書かれています。当時の博物趣味と顕微鏡の一大ブームが追い風になったのでしょう。

(Gerard L’E. Turner(著)『Collecting Microscopes』、Christie’s of South Kensington Colectors Series、1981より)

大いに売れたということは、それだけ数が残っているわけで、しかも元々廉価版ですから、アンティークとしての価格もリーズナブルです。私ももっと早く買えばよかったのですが、これまでたまたま縁がありませんでした。


ただ、私が買った品が19世紀まで遡るかどうかは疑問で、木箱の造りや、ラッカーの色合いからすると、20世紀第1四半期ぐらいかなと想像します。
メーカーはエディンバラのE. Lennie社で、ここは1840年に創業し、1971年まで続いた老舗です(参考LINK)。最初は創業者Jamesの名をとって「J. Lennie」でしたが、ジェームズの没後、未亡人のElizaが店を継いで「E. Lennie」に改名しました


木箱に焼き印で押された住所はPrinces Street 46番地で、同社がここに店を構えたのは1857年から1954年までだそうですから、少なくともこの範囲を出る品ではありません。

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自分で言ったことを食言するようですが、この相棒をかばんに忍ばせて野山を闊歩するか…といえば、たぶんしないでしょう。野山に持っていくならば、もっと実戦向きの機材がいろいろあります。

ただ、この真鍮製の筒に象徴される博物趣味の世界は広大で、たいそう滋味豊かです。こうして顕微鏡を脇から眺めているだけでも、それは感じ取ることができます。

1枚の葉、1匹の虫の向こうに広がる自然の奥深さは言うまでもありませんが、人と自然が出会うところに生まれる博物趣味の豊かさも、それに負けぬものがあります。これはちょうど、詩に詠われる自然の美しさと、詩文そのものの美しさとの関係に等しいと言えるかもしれません。

そしてまた、文人が文飾を練りつつ文房四宝を愛でるように、鈍く光る顕微鏡の向こうに、博物趣味の佳趣を感じる人がいても良いのです。(何を言っているのか、自分でもよく分かりませんが、まあ分かったことにしましょう。もっと平たく言えば、これは「積ン読」のモノ版です。)