浮き世とは憂き世なり2021年04月17日 18時25分26秒

「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。
その真偽の程は定かではありませんが、「歳をとってからの苦労は売ってでもしたくない」――というか「金を払ってでもしたくない」――のは確かな真実です。

4月に入ってから、通勤時間が伸びただけでなく、なかなか日常の波風が高いです。
日ごろ何となく達観したようなことを呟いていますけれど、人と人との関わりの中では、心穏やかでいられない出来事も生じ、自分の「達観」ぶりの底の浅さを知ることになります。

そういうとき、ふと「前世において、私がその人にひどい悪行を働いたため、その報いを現世で受けているのかもしれんなあ…」と思うと、少し心が落ち着いたりします。因果応報思想というのは、苦しい生を生きた過去の人々が、自らを保つために編み出した集合知なのかもしれませんね。また、そうした死生観にリアリティを感じてこそ、「輪廻の鎖を断ち切ることが、真の解脱なのだ!」と喝破したお釈迦さまの言葉が、一層尊いものに感じられます。

   ★

そんなわけで、本来の記事は、もう少し身辺の霧が晴れてからになります。

コメント

_ S.U ― 2021年04月19日 12時19分15秒

どこまでが仏の教えなのか不信心のためよく存じませんが、よく「六道輪廻、輪廻転生、因果応報」と申します。因果が六道で応報される建前ならば、転生後にさらに重ねて応報されるのは、「一事不再理の原則」に反し不当ではないかと思うのですがいかがでしょうか。

 お困りのところ、かき回したなら申し訳ありませんが、私も、ここのところ、不埒千万ながら、報いを受けるのは、せめて現世か来世か一つに絞ってほしいと考えないでもありません。

_ 玉青 ― 2021年04月21日 05時24分31秒

生をまたいでの因果応報を考えると、

過去世:AさんがBさんをいじめる
現世:BさんがAさんをいじめる
来世:再びAさんがBさんをいじめる
(以下、無限ループ)

ということになるのでしょうが、考えてみるとちょっと変で、上の例だったら過去世と現世だけで悪業のプラスマイナスはゼロになって、それですべて帳消しになるはずですが、それがさらに来世に持ち越されるところが、何となく釈然としません。でも、この辺はやくざの抗争みたいなもので、いったんサイクルが回り出すと止めようがなく、そこにこそ人間の苦の根本原因があるのでしょう。

…と、分かったようなことを書いていますが、本当のところはお釈迦様に聞いてみないといけませんね。「まあ、解脱はせんでも、現世においてBさんがAさんをいじめるのを止めさせることができれば、その悪因が来世にもちこされることもないわけだから、その方向で頑張ったらどうだね?」と、世慣れたお釈迦様なら現実的アドバイスをされるかもしれませんね。

_ S.U ― 2021年04月22日 07時57分10秒

うーん。そう言われても困ったものですが。

お釈迦様も、浮世の人の心に関しては修養を説くのみで「民事不介入の原則」を優先しているのかもしれません。

_ yuki ― 2021年05月25日 22時10分20秒

たまたま、ふと見たサイトからこちらに辿り着きました。
好きなものが詰まった宝箱のようで、ワクワクしながら
読ませて頂いております。
人間関係は本当に難しくて、私も前世にいったいどんな悪行を働いたら現世でこうなるのかなぁ?と思います。
こんなことを言っていいのかわかりませんが、更新されるのが本当に楽しみです。
落ち着かれましたら、また記事を読ませて頂けたら嬉しいです!
巡りあえて、本当に良かったです。
ありがとうございます!

_ 玉青 ― 2021年05月26日 18時22分27秒

yukiさま、優しいお言葉をありがとうございます。
今は療養中の身ですが、落ち着いたらブログも必ず再開しますので、そのときにはまたどうぞご一読ください。ご厚意、重ねて深謝いたします。

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