去りてまた還らず2021年09月17日 18時37分40秒

えらい目にあった―。

というのは、PCが正常に起動しなくなり、あれこれ試したものの、万策尽きた末にPCのリフレッシュをやったからです。リフレッシュというのは、完全初期化とは違って、自分で作ったファイル類は残ると聞いたので、「それならいいじゃないの」と軽く考えてやったのですが、やっぱり世の中うまい話はないもので、メールソフトごと、メールがごっそり削除されてしまったのには、すこぶる当惑しました。

そして元の環境を復元するためには、OSの再バージョンアップ(Windows 8 から 8.1 への)から始めて、セキュリティ対策ソフトの再インストールとか、延々と作業が続きます。しかも、画像編集でも何でも、私は古いソフトをそのまま使い続けていて、それで何の不都合も感じなかったのですが、もはや入手不能なものも多く、新しいフリーソフトを探してインストールしたり、そういう作業がひどく億劫に感じられます。

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その中でつくづく思ったのは、世の中が便利になるということは、高齢者にとってはかえって不便になることなんだな…ということです。高齢者は、家電製品を買い替えるたびに、「なんでわざわざ不便に作り替えるんだろう?」とぼやきます。もちろん、古い製品が新しいものより便利だったわけではなくて、自分の適応力が衰えただけですが、主観的にはまさに「なんでわざわざ…」です。私の感慨もそれとまったく同じです。

“家庭用カラオケマシンさえあれば十分楽しいし、それで小さな孫も喜んでいるんだから、もうこれ以上何も要らん”…と思っているお年寄りもいらっしゃるでしょう。しかし、幸福な時も長くは続きません。孫はじきに大きくなるし、カラオケマシンも永遠ではないのです。それを知ったときのお年寄りの嘆きは痛いほどわかるし、自分だってまったく同じ立場です。

「動画サイトとSNSさえあれば十分」と思っている人もまた、次なる時代への適応がスムーズにいかないと、同じ嘆きを味わうことになりかねないぞ…と、これは老婆心ながらのつぶやきです。

(心象としての蕭条たる河畔。出典:http://www.tousan13.com/?p=11073