星座掛図は時をこえて(前編)2021年10月03日 10時10分04秒

ブログを長く続けていると、過去の自分と対話する機会が増えてきます。
その中で、「あの時はああ書いたけれど、今になってみると…」とか、「あの時取り上げた品には、実は兄弟分がいて…」というように、複数の記事が響き合って、新たな意味が生じることも少なくありません。

あるいは、過去の自分への贈り物めいた記事もあります。
過去の自分が憧れた品、あるいは「こんなものがあったらいいな」と言いながら、その存在すら知らなかったような品を、当時の自分に届けるつもりで記事を書く場合です。

こういうのはブログに限らず、日常でも経験することですが、ちょっと不思議な感じを伴います。当時の自分も自分だし、今の自分もやっぱり自分。そこには一貫したアイデンティティがあるのに――あるいは、だからこそ――自我が分裂したような、自分が同時に二つの場所に存在するような気分といいますか。まあ、それこそが「経験の年輪」というものかもしれません。

   ★

今日の品は、13年前の自分への贈り物です。贈り先は以下の記事。

■ジョバンニが見た世界…天文掛図の話(その3)

ここで話題になっているのは、「銀河鉄道の夜」の冒頭の授業シーンで、ジョバンニが目にした星座掛図の正体、ないしモデルを探るというものです。上の記事では、賢治が学生の頃、母校の盛岡高等農林(現・岩手大学農学部)で接した掛図が、そのモデルではなかろうか…という説を採り上げています。

それは明治43年(1910)に、三省堂から出た『新撰恒星図』で、草創期の日本天文学会が作成したものです。13年前は、それを京大や金沢大の所蔵品として眺めるだけで、現物を手にすることがどうしてもできませんでした。しかし「求めよさらば与えられん」。13年越しに、それはやってきました。


多年の思いとともに、その中身を見てみます。

(この項つづく)

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