センター・オブ・ジ・アース2021年10月08日 21時32分27秒

掛図といえば、学校用の掛図をひと頃すいぶん買いました。
今はそうでもないですが、ちょっと前は流通量が少なくて、珍しかったというのもあります。その中で幾分特色のあるものを見てみます。


上の品は理科ではなく、教科でいえば地理、つまり地図の掛図です。
昭和18年(1943)12月に、東京の国際地学協会というところから出ました(現在ある同名の会社は1959年設立だそうで、別組織のようです)。

(縦162cm、横151cm)

ご覧のとおり非常に大きな地図で、一目見て「これは…」と思いました。「これは…」と思ったのは、その大きさのせいもありますが、何よりもそのタイトルに虚を突かれたからです。


「日本中心 表半球図」

世界地図は、今も学校にぶら下がっていますが、これはいかにも戦時中のメンタリティを感じさせます。まあ、「今のメルカトル式世界地図だって、日本が真ん中に来ているじゃないか」と言われればそうなんですが、さすがにこんな風に、強引に正距方位図法を使ってでも、世界の中心で日本が輝くような地図は使わないでしょう。そもそも、「表半球」って何ですかね?

(世界の中心に位置する「大日本」。中国東北部には「満州国」が広がり、中華民国の首都は傀儡・汪兆銘が治める南京で、蒋介石の重慶政府は無いことにされています。)

日本の授業で使うんだから、日本中心で何が悪い。
日本人にとって地球の裏側は「裏半球」で、日本側は「表半球」に違いなかろう。

…開き直って理屈を言えば、そうかもしれません。
しかし、それこそ夜郎自大というものです。

世界の地理を学ぶのは、別に「日本スゴイ」と言うためではなく、より広い視野を得るためでしょう。国と国の関係にしても、そこにあるのは「日本と○○国」という二者関係ばかりではなしに、100個の国があれば、そこに9900個の関係性が生じます(※)。それを無視して、こんな風に何でもかんでも自国を中心に眺めると、当然ゆがむものや、見えなくなるものが出てくるし、弊害が大きいです。

(※)同じ2国のペアでも、こちらから見るのと、向こうから見るのとでは見え方が違うので、これは「組合せ」ではなくて「順列」の問題だと思います。

大袈裟に言うと、この1枚の地図に、昭和の蹉跌の原因がありありと透けて見える気がします。もっとも、これは日本に限らず、「地上の地図」には多かれ少なかれ人間の業が露呈しがちで、そこが面白いという見方もあるでしょう。(「これは…」と思いながら、この地図を買ったのも、やっぱり幾分面白いと感じたからです。)

   ★

もし、本当に世界の中心があるとしたら、それは「天上の地図」と同様、南北両極であるべきで、それなら私も別にブウブウ文句は言わないんですが、そんな世界地図を教室で見た記憶はありません。

コメント

_ toshi ― 2021年10月08日 23時28分46秒

お久しぶりです。古世界地図のネタに反応させて戴きます。
日本中心という表現は文化7-12(1810-16)年の高橋景保による新訂万国全図に遡るのではないかと思いますが,この副図に定日本京師為心図という平射図法斜軸半球図があります。
また表半球という表現は安政3(1856)年の松本緑山の銅版による地球万国全図に見られます。江戸期の世界図のかなりを目にしたのですが,ほかに類似した表現のものは今のところ確認できておりません。(「図説総覧 江戸時代に刊行された世界地図」)
ご参考になれば幸いです。

_ 玉青 ― 2021年10月09日 14時35分03秒

toshiさんのブログには、その後も情報と眼福を求めて、おりおりお邪魔していましたが、たしかにコメント欄でのやりとりはお久しぶりですね。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

さて、早速のご教示、どうもありがとうございました。
私は文中で「戦時中のメンタリティ」と書きましたが、遡るとそれは「江戸人のメンタリティ」に通じるものがあったのですね。そう伺って、大いに腹に落ちたことがあります。

高橋景保にしろ、松本緑山にしろ、別に国学系の人ではないので、日本至上主義的な意味合いでそうした言葉や表現を用いたわけではなくて、おそらく「日本の外には広い広い世界があるんだぞ、それはぐるっと地球の裏側まで続ているんだぞ」という素朴な事実を、同時代人に向けて訴えんがために、そうしたのかなと想像します。それは、この日本に縛り付けられていた江戸の人にとってこそ、効果的なアピールだったでしょうが、世界は広いことを既に熟知した昭和の人が、同じようなレベルにとどまっている、あるいは先祖返りしているのは、やっぱり相当危なっかしい光景で、今回腹に落ちたというのも、「要はこれはアナクロニズムなんだな」という気づきでした。大いにスッキリしました!

_ toshi ― 2021年10月09日 22時24分00秒

レスありがとうございます。ナイスフォロー戴きました通り,質こそ違えどナショナリズムの昂まりは繰り返すのでしょうね。
拙ブログのほうはごくたまにアイテムの追加をするくらいで休眠状態ですが,よろしくお願い致します。

_ S.U ― 2021年10月10日 07時26分31秒

こちらについても、Toshi 様のコメント、玉青さんのご対応について同様に存じました。またしても、本流ではありませんが、雑感を2つほどお邪魔させて下さい。

・戦後の学校で使わされる地図帳(帝国書院製?)で、日本中心の正距方位図法の地図が載っていて、私は子どもの頃好きでした。高橋景保の世界地図の挿入図のようなページサイズに比べて小ぶりなものでした。これは、日本が世界の中心ということではなく、外国までの距離を示すもので、航空路の記載があったものもあったように思います。つまり、日本に閉じこもらずに羽田空港から世界に出かけてほしいという意味ではなかったかと思います。私も海外に行くことに憧れていましたが、当時の私には、海外はTVのクイズ番組で勝つか懸賞にでも当たらないと行けないものでした。

・このような図法を日本中心に取るためには、球面三角法を使って、経緯度座標を東京なり京師中心の極座標(距離、方位角)に変換する必要があります。この球面三角法の式はそんなに複雑ではありませんが、江戸時代の日本の数学者や暦学者には難解でマスターした人は少なかったといいます。吉宗の時代頃に中国から輸入された『暦算全書』という17世紀の西洋天文学を利用した本があって、ここに球面三角法は載っていたそうです。それを言わずとも、天体の方向の座標変換(赤道、黄道、地平)や日月食の食分計算に必要のはずですが、当時の数学者や暦学者の多くは、この式を自在の用途に使えなかったのでしょうか。暦学にできあいの公式しか使わなかったのかもしれません。新たな応用の用途があまりなかったのかもしれません。(不学のため子細にしらべていません) 
 そして、三角法を実用的に使うようになったのは、地理学の高橋景保、伊能忠敬の時代からではないでしょうか。西洋書に手本はあったでしょうが、京都の緯度を使って経緯線の各交点ごとに計算をしないといけないので、結構手間です。景保がこのような厳密な計算を行ったかは確認していませんが、動機的にはそうなるように推測します。

_ 玉青 ― 2021年10月10日 09時59分01秒

何を隠そう、私も各種投影法の中では正距方位図法がとりわけお気に入りで、特に「半球」と言わず「全球」を表現したときの、あの周辺部がムニュッとした感じが子供心に刺さっていました。

>羽田空港から世界に出かけてほしい

国連の旗もそうですが、正距方位図法には「汎世界」のイメージもありそうです。同じ図でも文脈によって、その意味や受ける印象は大きく変わりますね。私の場合は、昭和18年の世相と例の地図を結び付けて、あるいは過剰解釈してしまったかもしれません。

>球面三角法

地図というのはパッと見てパッと分かるのが良いところですが、その作製の道のりを思うと、パッとどころか、本当に骨の折れる仕事ですね。まあ伊能忠敬はテクテク日本中を歩いたので、その苦労が誰にでも分かって、「あの人は偉い」とすぐ言ってもらえますが、本当は高橋景保やその周辺の人々の仕事だって、その苦労において劣らぬものがあったことでしょう。

_ S.U ― 2021年10月11日 12時57分13秒

>同じ図でも文脈によって
 この掛図と対をなすものとして「裏半球図」というのは出版されていないのでしょうか。仮にあったとしても売れ行きは相対的にかなり落ちたと推測しますが。

_ 玉青 ― 2021年10月12日 05時48分22秒

たしかに裏半球図もないと首尾が整わないことになりますが、「日本中心 表半球図」と対をとって「日本の対蹠点中心 裏半球図」とうたっても、それ単体では何を意図しているのか意味不明ですよね。いたずらに不条理感が漂うといいますか。まあ、たぶん作られなかったんじゃないでしょうか。

_ S.U ― 2021年10月12日 07時49分11秒

そうなのですね。
 でしたら、表半球図と裏半球図をセットにして一品に掲載(裏半球は小さくてもいいので)するか、日本中心でも全球にするのが健全であったように思いますが、それを敢えて表半球しか載せなかったのは、やはり日本の支配地域を強調したかった意図があるのだと思います。
 ところで、表半球では、アメリカ合衆国が真っ二つに切られるのですね。まさかこれも関係あるとかでしょうか。

_ 玉青 ― 2021年10月13日 05時49分46秒

いっそリバーシブルならべストでしたね(笑)

>アメリカ合衆国が真っ二つ

イギリスはちゃんと載っているので、必ずしも米英憎しのふるまいでもないと思うんですが、これを見た少年少女にはある種の印象を刻したことでしょう。(仮にこれが全球図だったら、アメリカの広大さがいっそう強調されて、忠良な少国民も少なからず戦意阻喪したかもしれません。)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック