一陽来復2021年12月19日 10時59分09秒

今年の冬至は今度の水曜日、22日です。
この日、昼間の長さがいちばん短くなるわけですが、これは冬至の日がいちばん日の出が遅く、日没が早いことを意味しません。

東京を基準に暦を繰ってみると、

○今シーズン、日の出がいちばん遅いのは 
 来年1月1日から1月13日までの、6:51
●同じく日没がいちばん早いのは、
 11月28日から12月13日までの、16:28

となっています。約1か月のずれがありますね。そして両者の差引勘定の結果、12月22日が、昼間の時間が最も短い日となるわけです。日の出は今も遅くなる一方ですが、日没の方は、先週からわずかに遅くなり始めて――つまり日脚が伸び始めており、冬至に先行して一陽来復の気分。

   ★

最近、あまり自覚はしてなかったですが、ブログの更新頻度を見ると、精神の活動性が低下している…というか、やっぱりちょっと抑うつ気味なのかもしれません。
今年は両親を立て続けに亡くしましたし、季節性のうつ病とまでは言わなくても、冬場に気分がダウナーになる人は多いので、そうした影響も多分あるのでしょう。こういうときは、無理をせず自然体で過ごすのが黄金則なので、それに従うことにします。

遠からず、心にも一陽来復が訪れることでしょう。

   ★

(冬至のストーンヘンジ。Antony Miles撮影。1986年消印のイギリスの絵葉書より)

ストーンヘンジは、夏至と冬至の日を見定めるための古代の天文観測施設だという説が昔から人気で、この両日は古代史ロマンを求めて、大勢の人が押しかけると聞きます。でも、コロナ禍の今年は、できるだけオンライン中継で我慢してほしい…とのお達しだとか。関連記事は以下。

How to watch the Winter Solstice at Stonehenge 2021

コメント

_ S.U ― 2021年12月21日 09時02分01秒

 古代の人たちは、時空間の科学(物理学)としての原理は理解していなくても、現象的に冬至の日に太陽の南中がいちばん低くなるということは理解していて、この日に、お祭りをして、太陽に力を与えて踏ん張ってもらい、翌日からは少しずつ南中高度が高くなることを期待したのですよね。

 よく、この祭りをサボると、冬至後も太陽がどんどん低くなってしまい、ついには太陽が顔を見せなくなって人類が滅亡する、だから、祭りはしないわけにいかない。ということで、毎年、祭りを欠かさず行い、めでたく太陽は復活し、したがってこの強迫的な祭りの意味も永劫否定されることはない、という文脈の説明が行われます。

 しかし、古代文明とは言え、すでに、太陽の運動の規則性を高精度でつかんでいたわけですから、(冬至が正確に365日周期で繰り返していることは知っていたでしょう)、お祭りをしなくても大丈夫と推論することも可能だったと思うのですが、その点は、理論心理学、社会心理学的に考えていかがなものでしょうか。

_ 玉青 ― 2021年12月23日 20時48分01秒

冬至祭をすることの利得と損失
それをしないことの利得と損失

を考えると、たしかに祭を執行することは面倒くさいにしても、実際、それによって太陽は復活する(ように見える)し、仮に祭をさぼって太陽が死滅したらえらいことですから、ここは慣例に従って冬至祭をすることこそ、最も利得が大きく損失が小さい合理的な行動ということになりますよね。これはゲーム理論とかを持ち出すまでもなく、人間の素朴な直観にも叶うことで、古代の人にとってもそれは同じことと思います。

現代でも迷信的な行動が(個人においても集団においても)強固に維持されている例は多いと思いますが、背後にある理屈は同じ気がします。合理的にふるまうが故の不合理…というのが、なかなか厄介なところです。

_ S.U ― 2021年12月24日 08時11分42秒

 そうなんですね。何でも合理性で説明しようというのは間違っていますね。

 私などは、現在の資本主義社会に毒されすぎて、古代においても、僧侶たちは冬至祭などしなくても太陽は復活する確証は得ていたが、政治的、経済的理由により、すなわち、政権と聖職者の権威保持と、祭りに関係する人たちへの業務発注や、人心になだめることによる経済効果によって、祭りを挙行せざるをえない状況にあったのではないかと思います。 

 簡単に言えば、現代日本で、コロナ禍でいくら医療逼迫が危惧されても、経済効果、スポーツ精神高揚の説明のみで、なぜ医療に対して後者が優先するのかという合意もなくオリンピックを強行するのと同じではなかったかと考えましたが、これは、やはり、間違いかもしれません。

 でも、エジプトのピラミッド建設が失業対策事業であったという説もありますので、現代においては私のような説が絶えることはないのではないかなと思います。

_ 玉青 ― 2021年12月25日 18時07分27秒

なるほど、S.Uさんはコロナ下の五輪を念頭に置かれていたのですね。まあ、あれが古代の冬至祭と同様、呪術的思考の産物だとしたら、まだ擁護の余地があるかもですが、両者の実態はだいぶ違いますね。

たぶん最も大きな違いは、五輪の方は主催者(とその取り巻き)の懐さえ潤えば、イベント自体はやらなくてもいいと主催者自身思っていたであろう点でしょう。まあ呪術というよりは、卑賎な錬金術ですね。

こうなるともはや擁護の余地はありません。

_ S.U ― 2021年12月26日 11時49分57秒

同感に存じます。
 「スポーツ振興」という精神(呪術)で、オリンピックを強行したのであれば、まだ擁護の余地がありますが、それであれば、修学旅行などの学校行事や、国際的な文化事業(国際会議や文化交流など)も同様の精神で強行を薦めるべきなのに、そちらは緊急事態宣言て制限されて当然ということでしたので、何の精神も何もなく、単に主催者の金銭的な我欲であることは明らかでありました。

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