哀惜のアストロラーベ2022年02月27日 11時25分36秒

ウクライナの首都・キエフで、古い天文機器を復元・販売していた――早く販売が再開されることを祈ります――ブセボロードさんのことに、昨日言及しました。(ブゼボロードさんの姓はブラフチェンコですが、彼は常に自らブセボロードと名乗り、私もそう呼んでいたので、ここでもブセボロードさんとお呼びすることにします。)

ブセボロードさんの本業は建築家で、天文機器の製作は副業ないし余技だそうですが、その製品には目を見張るものがありました。


上は以前、ブセボロードさんから送られてきた写真で、ケンブリッジ大学のホイップル科学史博物館で撮影されたもの。左が同館所蔵のオリジナルで、右がブセボロードさんが制作したレプリカです。直径約29cmという大型のアストロラーベで、オリジナルの方は、14世紀のイングランドで作られたものと推定されています。

ご覧のとおり素晴らしい出来映えですが、仔細に見比べると、表面を覆う「レーテ(網盤)」のデザインや、その下の経緯線を刻んだ「テュンパン(鼓盤)」の目盛など、細部にいくつか違いがあることに気付きます。もちろん、ブセボロードさんの技術があれば、そっくり同じにすることもできたのでしょうが、そこにブセボロードさん独自の見識とこだわりがあります。

その見識とこだわりとは、「天文機器は正しく使えるものでなければならない」というもの。そのため、ブセボロードさんは、現代の星の位置データに基づいてレーテをデザインし直し、また観測者の緯度に合わせてテュンパンを刻んでおり、その意味でこれは彼のオリジナル作品です。だからこそ、彼は自信をもって、そこに自分の銘を刻んでいるのです。そして、彼が作る製品はすべてこのポリシーで貫かれています。

(ラテン語の銘は「キエフのテレブルス工房、2021」。2021は私が購入した品の製作年です。)

ちなみに上の製品を最初に発注したのは、左のオリジナルを研究していたケンブリッジの教授で、その先生が詳しいデータを提供してくれたために、いっそう完成度の高い製品ができたのだとか。

ブセボロードさんからは、そのメイキング映像も届きました。


■Astrolabe from Whipple Museum, Cambridge

「テレブルス工房」と上で書きましたが、ブセボロードさんは、一人でアストロラーベを仕上げているのではなく、金工、木工、革工等の担当者と共同で制作に当たっており、まさに工房体制です(ブセボロードさん自身は、作品の図面を引き、全体をプロデュースする役割、いわば工房主です)。

上の動画に写っているのは金工担当の人で、「宝石屋の息子」を名乗っているところを見ると、彼もまた余技としてここに参画していたのかもしれません。私は動画を見るまで、もっと各種の工作機械類を使っていると思っていたので、ほとんど全部手作業で行っているのを見て、本当にびっくりしました。

(細部の表情)

   ★

今のウクライナ情勢の中で、ブセボロードさんのことは、ごく小さなエピソードかもしれません。しかし、ブセボロードさんの背後には、また無数の人々の日常があり、平穏な営みがあり、戦争はそのすべてを破壊してしまいました。人の命をはじめ、そこで失われたもののいかに大きなことか。

美しいアストロラーベもまた、確かにそこで失われたもののひとつです。そして、それが美しければ美しいほど、今回の軍事侵攻のむごさを感じないわけにはいきません。

(戦争とはおしなべて無残なものでしょうが、今回はまさに大義のない、無理筋もいいところの行動ですから、いっそう声高に非難されるべきです。)

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