天文趣味史を究める人々(前編) ― 2022年03月20日 09時49分38秒
「にわか」という一種のネットスラングがあります。
「新参者」という意味合いから派生して、付け焼刃というか、半可通というか、薄っぺらい知識で知ったかぶりする人をネガティブにいう言葉のようです。
そういう意味でいうと、この「天文古玩」はまさに「にわか」に違いありません。
まあ、15年以上も同じようなことを書き続けて、にわかも何もない気もしますが、付け焼刃で、半可通で、知ったかぶりというのは、まさにその通りです。しかも、何年経ってもその状態を脱却できないとしたら、本来の「にわか」よりも、状況はもっと悪いかもしれません。
その原因はいろいろあるんでしょうが、根気のなさがやっぱり最大の原因かと思います。自分は何をするにも、とことん突き詰めるエネルギーに欠ける中途半端さがあって、永遠のにわかから抜け出ることができません。これは私という人間の性分なので、今さら反省してどうにかなるものでもなく、正直諦めていますが、そこに一抹の寂しさもあります。
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いきなり自分語りを始めてしまいましたが、エネルギッシュで、本格的で、深く透徹した、まさに「にわか」の対極にあるような方々を拝見するたびに、自分に欠けているものを強く意識します。そして賛嘆の思いが胸の底から湧いて出ます。
このブログでは「天文趣味史」の話題をたびたび取り上げていますが、そんな付け焼刃とはレベルが違う、本格派のサイトを2つご紹介します。
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1つは、プラネタリウムメーカーの五藤光学のサイト「ドームなび」で、児玉光義さんが2013年7月から連載中のコラム「星夜の逸品」です。
■連載:星夜の逸品
児玉さんは五藤光学の社員として、長くプラネタリウム開発の中心にいらした方で、その傍ら、戦前・戦後の日本の天文界のあれこれ――望遠鏡史、観測史、プラネタリウム史等――を研究され、このコラムはその一端をまとめられたものです。(そのご経歴から、昨日の平野光雄氏を図らずも連想しました。)
その徹底ぶりは、何よりも記述密度の高さに現れています。
例えば、今年の1月に始まった最新の連載テーマは「異色の天文学者・山崎正光~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~」というものですが、最新の連載第10回は、「第一部 No.1 10/13」と銘打たれています。つまり、山崎正光という異能の学者を語るのに、今はまだ「第一部」の、そのまた「No.1」の、さらにその途中(全13回の第10回)に過ぎないというのです。
これに限りません。これまでの連載テーマの一端を挙げれば(各連載第1回にリンク)、
…等々、いずれもこれまであまり知られていなかった事柄について、一次資料を博捜してまとめられた濃密なものばかりです。こういう方を真の趣味人とお呼びすべきなのでしょう。まさに「にわか」の対極です。
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児玉さんには、一度だけお目にかかったことがあります。
そればかりでなく、ご自宅までお邪魔して、その宝物庫のような資料の山を拝見し、そこで同好の方々と存分に愉しいひと時を過ごすという、今の世情を考えると、夢のような経験をさせていただきました(そのことは以下でちらりと書きました)。
■レンズの向こうには星があり、夢があった
早くあのような自由が戻ってくること、そして私の「にわか体質」が改まることはないにしろ、そこで再びプラスの刺激を受けることを願わずにおれません。
(ここで記事を割って、もう1つのサイトは次回ご紹介します)
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