コメント

_ manami.s ― 2022年03月25日 00時02分30秒

はじめて、投稿させていただきます。
本ブログは草場修氏、萑部 (佐々部)進・守子夫妻についての調査研究の
基本事項を提供しており、最初に読むべきものだと思います。
本ブログ、ご紹介のブログ、いるか書房別館を加えて、私はとても興味深く読ませていただいております。

_ 玉青 ― 2022年03月26日 09時29分16秒

manami.sさま
はじめまして。コメントありがとうございます。
自分で書いていて、我ながらニッチな話題だなあ…と思わなくもなかったですが、こうして目に留めていただける方がいて、本当に嬉しく思います。他の方々の深みには及ばないにしても、こんな風にいろいろ間口を広げて、ちょっとした入門編としてご覧いただければ、せっせと書いた甲斐があります。
お言葉を励みに、これからも書き継いでいきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>

_ S.U ― 2022年03月27日 08時21分44秒

研究者時代の草場氏の姿が間近で見られ、私も大感激です。
「ハイキング」は京大在職時代のものでしょうか。黄道光観測所の撮影は退職後でしょうね。草場氏に関する情報はどれもこれも貴重ですが、これらの写真の価値は格別・破格と思います。

 さて、最近、下のような新聞記事の引用を見つけました。
福山で、本田実氏、菅茶山などの郷土天文史?を研究されている三谷氏のページのようです。(間違っていましたらご容赦を)
https://blog.goo.ne.jp/uksj/e/25323c180c7f74766eaa4fe4372c16f8?fm=entry_awc
 参列している人たち、誰かわからないですね。本田氏は写っているそうですが。草場氏は、退職後に本田氏の兵役の留守居役として黄道光観測所に入ったので、この時点では来ていないでしょうね。

_ 玉青 ― 2022年03月27日 10時18分09秒

資料のご紹介をありがとうございます。
最近読んだ古書エッセイに、14世紀のチョーサーと親交があり、彼の『カンタベリー物語』の最美の写本を作った写字生の名前が600年ぶりに分かった…というエピソードが載っていて、ほお!と思いました(2004年の出来事だそうです)。資料というのは掘れば出てくるものですね。敦煌文書や死海文書の例もありますし、これからもどこからどんな資料が出てくるか、それを見届けるためなら、ちょっとは長生きしてもいいかなと思います。

_ double_cluster ― 2022年03月28日 14時24分29秒

玉青様
当方のブログをご紹介下さり、誠にありがとうございます。また、過分なお褒めのお言葉、感激しました。ところで、故伊達英太郎氏の資料ですが、伊達氏の逝去後、恐らく福井實信氏に託されたと思います。その後、日本アマチュア天文史の基礎資料として活用されたと考えます。
伊達氏は結核療養のため、20歳の時から大阪の郊外雲雀ヶ丘に居住されました。もし、生家のあった炭屋町(今の西心斎橋)におられたら、貴重な資料も大阪大空襲で失われたことでしょう。現存していることが奇跡的な資料、これからも伊達英太郎氏の遺志を引き継ぎ、大切に公開して参ります。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

_ 玉青 ― 2022年03月28日 21時18分35秒

断りもなしに勝手に紹介させていただき、申し訳ありませんでした。
ご迷惑かとは思いつつ、どうしてもご紹介せずにはおれませんでした。
今後も貴重な上にも貴重な資料をご紹介いただけるのを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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