七夕短冊考(その1)2022年07月10日 08時30分07秒

七夕にちなんでいろいろ書こうと思いましたが、書けぬまま七夕も終わってしまいました。最近は晩にビールを飲むと眠くなるし、朝は朝でやっぱり眠いので、平日に記事を書くのが難しいです。…といって、昔は夏場でも平気で書いていたわけですから、やっぱり齢は争われません。

でも、まだ旧暦の七夕というのが控えていて、今年は8月4日だそうです。それまで焦らず、旧来の季節感に素直に書いていくことにします。

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この前、七夕の短冊のことを書きました。
いかにも地味な話題ですが、何事も分からないことは調べるだけの価値があるので、戦前の七夕の実態はどうだったのか、少し史料を探してみました。そこで見つけたのが下のような紙ものです。

(大きさは38×58.5cm)

■加藤松香先生(書)
 七夕お習字手本
 昭和11年(1936)7月発行 少女倶楽部七月号第二附録

これを見ると、書かれているのはすべて七夕にちなんだ和歌や俳句ばかりで(それと「七夕」「天の川」というのも定番でした)、あたかも「紙絵馬」のように願い事を書きつらねる今の七夕とは、だいぶ趣が違います。


物理的フォーマットも、いわゆる短冊ばかりでなく、扇面あり色紙ありで様々です。


これは「少女倶楽部」の読者が、七夕を祝うことを前提とした企画ですから、そこでイメージされる七夕の担い手は、若干高年齢層に寄っています(ウィキペディア情報によれば、同誌の読者層は「小学校高学年から女学校(高等女学校)低学年の少女」の由)。少なくとも幼児専門の行事ということは全然なくて、さらさらと水茎の跡もうるわしく和歌を書きつけるのを良しとするその態度は、マジックでたどたどしく書かれた文字を見て「子供らしくほほえましい」とする現代とはかなり異質です。

(裏面には「七月特別大懸賞」の広告があり、読者の年齢層や趣味嗜好の一端がうかがえます。おそらく「良家の子女」と、それに憧れる少女たちが雑誌を支えていたのでしょう。)

とはいえ、これ1枚で何かものを言うのも根拠薄弱なので、別の史料も挙げておきます。

(この項ゆっくり続く)

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【余滴】

安倍銃撃事件があり、その事件背景として統一教会の問題が取りざたされ、そして今日は参院選の投票日。まことに慌ただしく、見ている方はポカーンとしてしまいますが、今後、年単位、あるいは10年単位で、今目の前で起きていることの意味が明らかになり、整理されていくのでしょう。ナスカの地上絵みたいなもので、その場にいる人間には見えないものも、距離をとることで見えてくることは実際多いです。

とはいえ、歴史に傍観者はなく、我々は否応なく歴史を担う主体でもありますから、視界が利きにくい中でも自分なりに考え、自分なりの道を見出す努力は欠かせません。そんな思いで、今日は一票を投じてきます。(何か妙に大上段ですが、大きな事件の後でやっぱり心が波立っているのでしょう。)