名も知らぬ遠き島より2022年08月14日 09時58分29秒

身近にありながら、これまで登場する機会のなかったモノたち。


このところ、それらを意識して紹介していますが、机の脇にころがっている、このヤシの実もそのひとつです。たぶん25年ぐらい前にLOFTの雑貨屋で買ったもので、考えてみればずいぶん長い付き合いです。

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ヤシの実ときくと、すぐに島崎藤村の詩が口をついて出たり、柳田国男の「海上の道」を連想する方も多いでしょう。私より上の世代にとって、それはいわばデフォルトの連想かもしれません。もちろん、私にもそういう「南方ロマン」の影響は及んでいます。

でも、ヤシの実の向こうに見え隠れするもの、そして私の情動を一層掻き立てるのは、さらに個人的な経験です。

まず、何といっても、ヤシの実は私の通った学校の理科室にも置かれていました。
戦前の旧校舎にあった、あの古風な理科室は、私の価値観の根幹を形作っているので、理科室の棚にあったというだけで、ヤシの実の評価は個人的に爆上がりです。

それと、もう一つの思い出。
あれは確か小学校3年生ぐらいのときでした。ある日、父親がヤシの実をもらってきたことがあります。当時、ヤシの実は今よりもはるかに珍しい存在でしたから、ぜひ子どもたちに体験させてやりたいと考えたのでしょう。そして、ヤシの実の水はとても甘くて美味しいのだ…と言って、包丁を突き立てて周囲の繊維を苦労して取り除き、中の硬い殻にキリで穴を開けて、それを子どもたちに飲ませてくれました。

(ウィキペディアから借りてきたココヤシとその実。分厚い繊維層の下に硬い殻があり、その内部にココナツジュースやココナツミルクが入っています。)

その果汁は油臭いような、青臭いような、決して父が言うような美味しいものではありませんでしたが、とにかく貴重な味ではありました。それぞれの家庭には、それぞれ晴れがましい思い出があると思いますが、あのヤシの実は、確かに我が家にとって晴れがましいエピソードのひとつでした。(いま、この文章を書きながら、そのときの匂いと味をまざまざと思い出した自分自身に驚きました)。

そして、私は残った殻を貴重な品として貰い受け、「これは磨くと立派な置物になるよ。油をつけて磨くといい」という祖父の言葉にしたがって、食用油をつけては、せっせと布で磨いたのでした。でこぼこした、細かい凹凸のあるヤシの殻は、磨いてもそんなに艶は出なかったし、父や祖父がいうほど立派な風格も生じませんでしたが、私はあくまでもそれを貴重な品と信じて、結構長いこと手元に置いていました。

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ヤシの実にまつわる思い出は、かように複雑で多義的です。
手元のヤシの実を一瞥すると、子供時代のあれこれや、今はもういない人々のことが一瞬にして思い出されて、しばし感慨にふける自分がいます。

そういえば、今はちょうど死者を迎えるお盆の時期ですね。
ツクツクボウシが鳴き、晩夏の哀愁を感じる時期でもあります。

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