円安時代をどう生きるか2022年09月03日 09時52分27秒

その後も円安傾向が止まらず、1ドル140円になったとのニュースが流れています。

(本日のGoogleFinanceの表示)

円安になると、海外のものは当然買いにくくなります。
1ドル100円の時代なら、100ドルのものを買うのに10,000円出せばよかったのに、1ドル140円になれば、14,000円出さないと手に入らない理屈ですから、これは辛いです。

まあ、輸入品の価格がいくら上がろうが、それに応じて給料も上がるならいいですが、今の日本は(輸出で潤っている一部企業を除いて)そうなってないので、海外からモノを買い入れることが趣味だ…なんていう人にとって、円安はあまり嬉しくないニュースでしょう。私もどちらかといえば、その一人です。

「ああ、こんなことならドル建てで預金しておけばよかったなあ…」なんて、その気もなかったくせにボヤいてみても、まさに何とかの遠吠え。

でも一瞬ひらめいて、「いや、待てよ。円高の頃に買ったあれこれを、今のレートで換算したら、途方もない金額になっているはずだ。これはひょっとして、相当な含み資産を抱えていることになるんじゃないか?」とも思いましたが、これまた捕らぬ狸の何とやら。その「途方もない金額になったあれこれ」を、一体どこの誰が買うというのか?

要するに、天文アンティークや天文古書は、資産としての流動性が極端に低いので、そこにも円安メリットは無いに等しいです。

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…というような、ソロバン高い話は、あまり趣味の世界にはなじまないでしょう。
もちろん私も現実世界に生きているので、お金のことは気にはなります。気にはなりますけれど、そもそも、そういう「下界の雑事」からいっときでも離れるための天文古玩趣味ではなかったか?という思いもあります。愛すべき品々を、一瞬でも「資産」と考えた時点で、「キミもずいぶん俗物だね」と自嘲したくなります。

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とはいえ(と、もういっぺん逆接をはさみますが)、欲しいものがどんどん遠いところに行ってしまうのは、やっぱり悲しいことです。

それを乗り越えるには、これまで以上に丹念に、思慮深くふるまうことが求められている気がします。懐が乏しいなら乏しいなりに、その範囲でなるべく面白いもの、美しいものを見つけるため、一層の努力をすること。これまで見えてなかったものに、よく目をこらすこと。身の丈にあったものを、よく吟味して買う姿勢に徹すること――。私も定年後にそなえて生活のダウンサイジングを求められているので、その辺を見直すにはちょうど良い機会です。

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「え?生活を見直すとか何とか言いながら、結局買っちゃうんだ。一体それのどこが思慮深いの?」という内なる声も聞こえます。

「まあ、理屈でいえばそうだけどさ。でも理屈を超えて、そこが自分の自分らしさだという気もするんだよ。仮にマグロが生活を見直して、泳ぐのをやめたら死んじゃうじゃない?」と、反論にならない反論をする自分もいます。

あまり物に執着するのもよくないですが、人は物にいろいろな思いを託し、その限りにおいて物は物以上の存在なので、まったく物なしで生きることも難しいです。大切なのは物との距離感ですかね。