なぜ天文古書を?(中編)2022年09月10日 09時50分04秒

最近消耗しがちで、これがコロナの後遺症か?と思ったりもしますが、まあ普通に夏の疲れが出ているのでしょう。いくぶん間延びしましたが、話のつづきです。

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スチュアートさんの問いかけに、何人かの人が書き込みをしていました。

そこには、たとえば「いや、天文古書は今でも貴重な情報源だし、十分役に立ってますよ」という真面目な反論もあり、「私は知らず知らずのうちに天文古書を収集していました。つまり買ったときは別に古書ではなかったんですが、今や持ち主同様、老いぼれてしまったんです」という軽口もありました。

中でも、いちばんしみじみした意見は以下のようなものです。

「昨夜、シャープレスとフィリップスの『天文学』(1872)を通読しました。冥王星はまったく想像の外でしたが、バルカンの存在は考慮されていました。研究が進めば、水星と太陽の間にある惑星バルカンの存在が、いずれ証明されるだろうと本書は述べています。この学術的な著作を読了後に、私もきっとそれが実現すると確信しました(笑)。

この本を、数年前に手に入れた別の本と比較してみたいと思います。それは『望遠鏡の驚異。あるいは星空と宇宙体系の大観。天文学習の促進および簡便化のために。銅版画入り』という本です。同書はさらに『ロンドン。発行者ウィリアム・ダートン(版権譲渡)。ホルボーンヒル58番地。1823年』と付け加えることで、一層長ったらしい題名になっています。

(たまたま手元にあった『望遠鏡の驚異』の1805年版。版権譲渡前なので、版元はリチャード・フィリップスになっています)

本書の一節を読めば、我々が誰の肩の上に乗っているのか明らかです。それは、著者が「ハーシェル惑星」と呼んでいるものについてです(天王星の名が一般的になったのは、1827年頃で、本書が発行されてから4年後のことだと思います)。著者は人が住む惑星に関するハーシェルの意見に賛成しています。

曰く、「この惑星にも何らかの種族が住んでいると信じるべき、あらゆる理由がある。ハーシェル惑星は、我々が住む地球と同様、何百万人もの人々の幸福な住処である。我々に理解可能な方法や、説明可能な法則を用いてではないにしろ、彼らもまた創造主の善意を賛嘆していることだろう。何となれば、この世界をお作りになり、太陽がない間も明るく照らすため6個の衛星をこの惑星に与えた大いなる方は、居住者をその居住地に叶う姿にすることもできるのだから。」

くだくだしい文章ですが、非常に興味深い内容で、これは過去の世界に開かれた素晴らしい窓です。

(上掲書口絵の太陽系図。土星には7個、天王星(当時の“ハーシェル惑星”)には6個の衛星が描かれています)

技術面に目を向けると、最初の本(『天文学』、1872年)によれば、ワシントンの国立天文台では、毎日正午の時刻を慎重かつ厳密に計算した後、この情報をいくつかの重要な関係各方面に「電報」で送るのだそうです。

彼らの考えのうち、現在では正しくないものでも、私は別に滑稽だとは思いません。そうした考えは、当時得られていた最良の情報に基づく結論だったのですから。私自身の考えにしたって、十分考え抜いたはずなのに、後から振り返ると、愚かしく思えることもあります。

まだ幼かった1950年代、私たち一家はコロンビア空港への最終進入路の近くに住んでいました。庭に寝転がって星を見上げ(その頃ヒアリはまだいませんでした)、8時のイースタン航空のコンステレーション機が飛んでくるのを、わくわくしながら眺めたものです。頭上から低空飛行で轟音が響いてくると、巨大な星型エンジンの鼓動が感じられるのです。その後、ある日ジェットエンジンを搭載した新型機が飛んできました。私は子供心に、いつかジェット機に乗れる日が来るのかだろうか?と、いぶかしく思ったものです。でも、当時主流だったコンステレーションのような民間プロペラ機には、結局これまで一度も乗ったことがありません。私の数多くのフライトは、すべて何らかのジェットエンジンによるものです。」

とはいえ、最後の人を除けば、明瞭に天文古書コレクターといえる人の書き込みはありませんでした。それに、あまり話題が発展したようにも見えません。Cloudy Nights に書き込むような人は、わりとディープな天文ファンだと思うんですが、それにしたって、天文古書の話題はマイナーなんだなあ…と、改めて思いました。しかも2005年の時点で、すでにそうだったわけです。

そして、上の投稿から9年後の2014年に、私自身が以下のような記事を書きました。

■天文古書の黄昏(1)
天文古書界で有名だった、ポール・ルーサー氏が商売をたたみ、ひとつの時代が終わったことを述懐する内容で、それを悲しむ他の人の声も紹介しました(連載は3回にわたって続きました)。

その後さらに8年が経過し、天文古書の世界はさらにシュリンクした感もありますが、スチュアートさんの問いに、今の私ならどう答えるか?を、次回書きます。

(この項つづく)