おだやかな日曜日に2023年02月19日 11時38分11秒

立春が過ぎ、バレンタインが過ぎ、今日は二十四節気の「雨水(うすい)」。
こうなると雛祭りももうじきですね。


およそ想像もつくでしょうが、私の家は非常に乱雑で、書斎の隣の和室にも本が堆積しています。ただ、それだけだといかにも見苦しいので、部屋の隅に小机と座椅子を置いて、「ここは物置部屋じゃありませんよ、和風書斎なんですよ」と、アリバイ的にしつらえがしてあります。そもそもがアリバイ的なスペースなので、ここで読み書きすることはほとんどありません。それでも貴重な和の空間として、こんな風に季節行事に活用したりもします。


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今日はブセボロードさんから、このブログにコメントをいただき、それとは別に長いメッセージもいただきました。それは人類と戦争の古くて長い関わりに省察を迫るもので、ひるがえって日本の平和主義をどう評価するか、その平和主義が機能する前提は何かを考えさせる内容でした。

これは誰にとっても難しい問いでしょう。もちろん、私にも明快な答があるわけではありません。ただ、この問題を考える際、最大のポイントは憲法前文にいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の一句であることは、大方の異論がないでしょう。

「そんなもん、信頼できますかいな」という人も多いと思います。

ヒトは進化の過程で巨大な「心の世界」を手に入れましたが、その一方で他者の心の世界に触れる手段は、極端に未発達のままです。相手が何を感じ、何を考えているかは、言語や表情、声色、そんなものを手がかりに、辛うじて想像できるだけです。その非対称性が「人間、腹の底では何を考えているか分からない」という諦念を生み、警戒と不信の念を掻き立て、結果として不幸な出来事がいろいろと起きたし、今も起きています。

既存の学問体系で、こうした「信頼」の問題にいちばん肉薄しているのは、おそらく哲学でも宗教学でもなく「ゲーム理論」でしょう。「信頼」というと反射的に「お花畑」と切り返す人がいますけれど、「信頼」だけ取り出すと単なる美辞に見えても、それに伴う「利得」まで考慮すれば、それはすぐれてリアルな概念です。

ゲーム理論は演算と親和的なので、そう遠くない将来、最も合理的な意思決定をするプログラムに国家の命運を委ねるというSF的な世界が実現するのかもしれません。(人類にとってそれ以上に幸福だと主張しうる選択肢を提示できないと、必然的にそうなる気がします。)

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…というようなことを考えながら、眼前の平和の有り難さをしみじみ噛み締めています。ゲーム理論もいいんですが、こういうささやかな平穏が大事であることを、すべての議論の出発点にしないと道を誤るでしょう。