海辺の絵葉書 ― 2023年03月31日 21時33分00秒
かつて、天文にちなむ絵葉書として、こんなものを載せたことがあります。
発行元はロンドンの「The Regent Publishing」社で、はがきの差し出し日は1921年7月23日となっています。
あるいは、こんな絵葉書も。
「運命(Kismet)シリーズ」と題した1枚で、「London E.C. 版権保有」と印刷されています。おそらく1910年代の品。
さらにこんな絵葉書。
こちらはロンドンの「Art and Humour Publishing」社製で、おそらく1920年代の品でしょう。
はたまたこんな絵葉書。
こちらは英ヨークシャーのBamforth社製で、かすれた消印の日付は1939年と読めます。
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ここに採り上げた絵葉書は、いずれもイギリス製。そして、いずれも「艶笑」、要するに下ネタで笑わせようという絵葉書です。まあ、こういうのは世の中に多いよね…と思うんですが、今日、私が新たに学んだことは、これらを一括して「海辺の絵葉書(Seaside postcards)」と呼ぶという事実です。
たまたま絵葉書の歴史について調べていて、wikipediaを読みに行ったら、そこにその説明があったので、「なるほど」と思ったわけです。
何でも19世紀後半以降、鉄道の発達によって気楽に海辺に遊びに行けるようになり、そして海辺では男女ともに水着姿になることから、それが艶笑と結びついて、「海辺の絵葉書」の名称で、20世紀半ばまで、主にイギリスで大いに人気を博したものだそうです。
最初は文字通り海辺の景を描いたもので、一番上に挙げた品が一例ですが、こういうのは応用が利くので、海辺を離れても発展を続け、それでも「海辺の絵葉書」の名前だけは残りました。上記wikipediaの解説によれば、「1930年代初頭、漫画風の洒落た絵葉書が普及し、最盛期には年間1600万枚も売れた」云々と書かれています。
海辺の絵葉書で、最も有名なのがヨークシャーのバンフォース社で、上に掲げた4枚目のものが同社の製品ですが、これも海辺とは何の関係もない絵柄です。
★
試みにアマゾンで見たら、『Saucy Seaside Postcards』とか、
『The Bamforth Collection: Saucy Postcards』というような本が売られていて、「海辺の絵葉書」はすでに確立した収集ジャンルとして、専門のコレクターもいることを知りました。
★
人の心に新たな概念が生まれ、それに名前が付く瞬間。
これは盲聾の重複障害を負ったヘレン・ケラー女史が、不屈のサリバン先生の教育を受けて、ついに「water」という概念と言葉を獲得した、あの感動的な瞬間を想起させます。
今回、その瞬間を、私は自ら体験しました。
それがいささか品のない概念であり、「海辺の絵葉書」という、どうでもいい言葉であったとしても、その経験自体はすこぶる貴重なものであった…と申し上げたい。
コメント
_ S.U ― 2023年04月01日 10時32分26秒
_ 玉青 ― 2023年04月01日 21時56分37秒
物に名前があることを知る―。
それは感動的なシーンであると同時に、人間の悲劇の始まりでもあると感じます。
これは以前も何度か書いたと思いますが、ヒトは言葉を生み出したことで飛躍的に進化を遂げたものの、今度は言葉の牢獄に囚われ、言語以前のリアルな世界から遠く隔てられてしまった…というのが、私の一貫して感じていることです。
それは感動的なシーンであると同時に、人間の悲劇の始まりでもあると感じます。
これは以前も何度か書いたと思いますが、ヒトは言葉を生み出したことで飛躍的に進化を遂げたものの、今度は言葉の牢獄に囚われ、言語以前のリアルな世界から遠く隔てられてしまった…というのが、私の一貫して感じていることです。
_ S.U ― 2023年04月02日 07時20分07秒
そういたしますと、モノをこよなく愛する我々としては、「モノを言葉から解放する!」という運動でもせねばなりますまいな。
関係ないかもしれませんが、物質はたどっていくと、分子、原子、・・・素粒子からできていて、原子や素粒子は名前を持っていて、我々は分析で個々の物体が何で構成されているかが判明すると安心するのですが、それに捕らわれていると見逃すものかもしれない?ということで、「非粒子物理 (Unparticle physics)」という試みがあるそうで、これを聞いた時は逆の方向に驚きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6
関係ないかもしれませんが、物質はたどっていくと、分子、原子、・・・素粒子からできていて、原子や素粒子は名前を持っていて、我々は分析で個々の物体が何で構成されているかが判明すると安心するのですが、それに捕らわれていると見逃すものかもしれない?ということで、「非粒子物理 (Unparticle physics)」という試みがあるそうで、これを聞いた時は逆の方向に驚きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6
_ 玉青 ― 2023年04月02日 18時13分48秒
なるほど、非粒子物理学というのがあるのですね。
リンク先の説明もなかなか理解が及び難いですが、熊さん的に言うと、この非粒子的存在というのは、「たしかに物質には違いないんだけれども、どこまですり潰しても粒にならない、ぬっぺらぼうみたいな物質」ということになるんでしょうか。「非粒子的でかつ物質的存在」と聞くと、単純にエネルギーを想起するんですが、そんな単純な話でもないわけですよね?なんだか面妖ですね。
リンク先の説明もなかなか理解が及び難いですが、熊さん的に言うと、この非粒子的存在というのは、「たしかに物質には違いないんだけれども、どこまですり潰しても粒にならない、ぬっぺらぼうみたいな物質」ということになるんでしょうか。「非粒子的でかつ物質的存在」と聞くと、単純にエネルギーを想起するんですが、そんな単純な話でもないわけですよね?なんだか面妖ですね。
_ S.U ― 2023年04月03日 06時09分56秒
>ぬっぺらぼうみたいな物質~単純にエネルギー
非粒子物理学については、捕らえどころが難しく私もまだ理解しておりませんが、熊さん的にはそういうものだと思います。
真空中に置いた物質からのエネルギーの流出を考えていただきますと、ベータ崩壊に伴うニュートリノの放出や熱振動による輻射からエネルギーの損失が起こるわけではありますが、それらは、エネルギーの回収は難しくとも、それぞれ「ニュートリノ」「光子」という立派な素粒子の名前がついております。「非粒子」というのは、そういう名前のつけられない、エネルギーをおカネに喩えていえば、会計帳簿に「使途不明金」、「損金」としか書きようのないものを指すのでありましょう。
非粒子物理学については、捕らえどころが難しく私もまだ理解しておりませんが、熊さん的にはそういうものだと思います。
真空中に置いた物質からのエネルギーの流出を考えていただきますと、ベータ崩壊に伴うニュートリノの放出や熱振動による輻射からエネルギーの損失が起こるわけではありますが、それらは、エネルギーの回収は難しくとも、それぞれ「ニュートリノ」「光子」という立派な素粒子の名前がついております。「非粒子」というのは、そういう名前のつけられない、エネルギーをおカネに喩えていえば、会計帳簿に「使途不明金」、「損金」としか書きようのないものを指すのでありましょう。
_ 玉青 ― 2023年04月04日 19時33分41秒
なるほど、物質とエネルギー全体の帳尻勘定を精査すると、どうもこれまで見逃されてきた使途不明金がありそうだと、最近疑われているわけですね。
思うに、粒子というのはその存在確率分布に勾配があって、その中心点を指摘できるからこそ「粒子」なわけですよね。非粒子というのは、それが等方一様で、「どこにでもあるけれど、どこにもない」という忍者的存在なのかなあ…と素人的にはイメージしました。でも、ウィキペディアの記述を読むと、必ずしもそうでもないような。うーん、やっぱり面妖な感じがします。
非粒子的存在の検証と評価はこれからなのでしょうが、まこと物理学の進展には果てがなく、人間はこれから先も宇宙をさらに深く理解していくことになるのでしょう。まさに「ロマン」ですね。
思うに、粒子というのはその存在確率分布に勾配があって、その中心点を指摘できるからこそ「粒子」なわけですよね。非粒子というのは、それが等方一様で、「どこにでもあるけれど、どこにもない」という忍者的存在なのかなあ…と素人的にはイメージしました。でも、ウィキペディアの記述を読むと、必ずしもそうでもないような。うーん、やっぱり面妖な感じがします。
非粒子的存在の検証と評価はこれからなのでしょうが、まこと物理学の進展には果てがなく、人間はこれから先も宇宙をさらに深く理解していくことになるのでしょう。まさに「ロマン」ですね。
_ S.U ― 2023年04月05日 09時40分50秒
>粒子というのはその存在確率分布に勾配があって、その中心点を指摘できる~非粒子というのは、それが等方一様
鋭いご指摘だと存じます。素粒子物理学の業界で「ミクロな世界を捉えて見せる」と豪語できるのは、粒子のエネルギーがローカライズしているからこそで、おそらく、これについては、一般の人々が物を見たり物質の組成を把握できるのも、同様の理由によるのだと思います。「非粒子」成分があるとエネルギーの不明朗な流出がゾロゾロと起こるわけですから、まったく安心ならないことになります。
>使途不明金がありそうだと、最近疑われているわけ
宇宙のあちこちにダークマターというのがありまして、ビッグバン後の「使途不明金」になるのですが、ダークマターが非粒子だという説は聞いたことがありません。
これまでのところ、非粒子は実験では見つかっておらず、すべての現象は粒子の範囲でエネルギー保存則が成り立っているようにみえます。これこそが、とりあえずは望外の僥倖で、エネルギー保存則の概念で、物理学の(そして社会科学の)今日までの発展をもたらせてくれたというべきかもしれません。ここまでの成果を踏まえて、現在の素粒子論の傾向では、ダークマターは、ある程度の質量のある素性の正しい、でも測定器にほとんど反応しない、まったく新種の粒子だと考えられてます。非粒子については、理論的興味と、一応、そうした心の準備だけはしておけ程度の教訓的な?話だと受け取っています。
鋭いご指摘だと存じます。素粒子物理学の業界で「ミクロな世界を捉えて見せる」と豪語できるのは、粒子のエネルギーがローカライズしているからこそで、おそらく、これについては、一般の人々が物を見たり物質の組成を把握できるのも、同様の理由によるのだと思います。「非粒子」成分があるとエネルギーの不明朗な流出がゾロゾロと起こるわけですから、まったく安心ならないことになります。
>使途不明金がありそうだと、最近疑われているわけ
宇宙のあちこちにダークマターというのがありまして、ビッグバン後の「使途不明金」になるのですが、ダークマターが非粒子だという説は聞いたことがありません。
これまでのところ、非粒子は実験では見つかっておらず、すべての現象は粒子の範囲でエネルギー保存則が成り立っているようにみえます。これこそが、とりあえずは望外の僥倖で、エネルギー保存則の概念で、物理学の(そして社会科学の)今日までの発展をもたらせてくれたというべきかもしれません。ここまでの成果を踏まえて、現在の素粒子論の傾向では、ダークマターは、ある程度の質量のある素性の正しい、でも測定器にほとんど反応しない、まったく新種の粒子だと考えられてます。非粒子については、理論的興味と、一応、そうした心の準備だけはしておけ程度の教訓的な?話だと受け取っています。
_ 玉青 ― 2023年04月06日 21時35分21秒
ふと思えば、元々の記事は艶笑絵葉書の話題でしたね。
話が落ちそうなところ、S.Uさんのおかげで、コメント欄が格調高くなって助かりました。
ありがとうございました。
話が落ちそうなところ、S.Uさんのおかげで、コメント欄が格調高くなって助かりました。
ありがとうございました。
_ S.U ― 2023年04月07日 07時54分01秒
いえいえ、これは、ヘレン・ケラー女史とサリバン先生の逸話のおかげでしょう。
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中学生の時、『奇跡の人』(1962)を観て、この場面で大感激をしました。「ものには名前がある」ということが人間の文明にとって大発見であることが、当時、文明論も記号論も何も知らなかった私にも理解できたのだと思います。ヘレン本人は7歳くらいだったそうで、それでもこのことの重大性が理解できたということでしょう。物の名前というのは、もともとは記号学的社会学的存在だと思うのですが、もはや人間の本能になっているのだと思います。いつの時点でそうなったのか、石器時代以後なのか、それともイヌやネコでも持っているのか、興味のあるところです。
現代の大人でも、正体不明の病気にかかるとたいへんな不安に陥りますが、医者が病名をつけてくれると、治療法の有無に関係なく、とりあえず安心します。これも似たような心理の働きでしょうか。