蝶百種2023年04月02日 17時49分56秒

昨日の速水御舟の絵から、日本画による昆虫表現について考えていました。

(表紙サイズは約18×24.5cm)

そこからさらに、『蝶百種』と題した画帖形式の図譜が手元にあるのを思い出しました。本来は上・下巻、あるいは上・中・下巻から成るもののようですが、手元にあるのは上巻だけです。


収録図版(Plate)数は全部で12。各図版が2~4点の図(Fig.)を載せており、収録図数は、上の目次にあるとおり全41図。ただし同じ種類で複数の図にまたがるものがある関係で、掲載種数は33種です(…ということは、全体で上・中・下の3巻構成だった可能性が高そうです)。

この上巻には、奥付や序言のようなものがどこにもないので、刊行年や版元、出版事情等は一切不明。ただ、描かれた蝶の一覧に台湾産のものが含まれていることから、おそらく台湾が日本に割譲された1895年(明治28年)以降に制作されたと思われ、もろもろ考え合わせると、明治の末から大正初めごろ、すなわち1900~1910年代に出版されたものだと想像します。

作者は春木南渓(生没不詳。活動期(※)1876-1916)
南渓は、花鳥山水を能くした南画家の春木南溟(1795-1878)を祖父に、同じく春木南華(1818-1866)を父に持つ、画人一家に生まれた人。その人が、実弟の春木南峰(生没不詳)や、さらに後続世代に当たるらしい春木南汀や弟子筋とおぼしい南涛、南山、南湘(いずれも伝未詳)らとともに絵筆をとり、それを木版で起こしたのが、この図譜です。

(※)東京文化財研究所の「書画家人名データベース(明治大正期書画家番付による)」の掲載年代【LINK】。

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ヒオドシチョウ(右)、コノハチョウ(左)を描いた第1図版。
この図だけからも、すでに並々ならぬものを感じます。



絵師も頑張りましたが、この彫りと摺りは見事だと思います。
ヨーロッパで刊行された極美の蝶類図譜(それを手に取ったことはありませんが)に劣らず、日本の木版技術の粋を尽くしたこの図譜も、また素晴らしい仕上がりと言ってよいのではないでしょうか。


ジャコウアゲハ(右)とクロアゲハ(左)。


そのクロアゲハの後翅の付け根のリアルな色合いに、思わず目を見張ります。


顔料の進歩で、青い蝶たちの発色も冴えています。左はオオムラサキ(♂)、右下はコシジミ、上の見慣れない蝶は台湾産のツマムラサキマダラ。


アオスジアゲハ。


朱の斑紋が美しいワタナベアゲハ(台湾産)。蝶の描写は、静的なものばかりでなく、こんなふうに飛翔の姿を捉えたものもあります。

ちなみに「ワタナベアゲハ」という和名は、台湾に駐在していた渡辺亀作(警部補)の名前に由来し、虫好きの彼が、日本昆虫学の開祖、松村松年(1872-1960)に標本を提供した関係で、この名が付いたんだそうですが【LINK】、渡辺警部補は1907年に台湾で起きた「北埔事件(ほくふじけん/台湾住民による抗日騒乱事件)」の際に命を落としており、なかなか穏やかならぬ歴史がそこにはあります。

なお、この『蝶百種』には蝶ばかりでなく、蛾も載っています。


たとえば上図。中央上はシロスジトモエ、右下はシンジュサン。
下図はホタルガです。


この点が、この図譜の「博物学的相貌」をさらに強めているように感じます。

   ★

ところで、この図譜を見て気づくのは、和名が現行のものとほぼ一致することです。
昆虫の標準和名は、上に出てきた松村松年によるところが大きく(この辺は小西正泰氏の受け売りです)、その名称や虫体の表現に、松村の『日本昆虫学』(1898)、『日本千虫図解』(1904~1907)、『続日本千虫図解』(1909~1912)あたりの影響があるのではないか…とぼんやり想像しますが、まだ調べたわけではないので、確証はありません。

そもそも、南画系の絵師がなぜ蝶の図譜づくりに駆り出されたのか?
絵師は画業修練として、実物の写生や模本づくりを盛んに行いましたが、この図譜はそうしたレベルを超えているようにも思います。

かつて、自分は日本的博物画について、以下のような一文を書いたことがあります。

(画像再掲。元記事はこちら

 「日本画の筆法による絵図に博物学的解説を付した、この種の図譜が、大正から昭和にかけて流行った時期があり、〔…〕かつて荒俣宏さんが激賞した、大野麥風(おおのばくふう、1888~1976)の『大日本魚類画集』(昭和12~19年=1937~44)はその代表で、それ以外にも、動物・植物を問わず、いろいろなジャンルで優美な作品が作られたのでした。

 そこには、花鳥画の長い伝統、江戸期以来の「画帖」という出版ジャンルの存在、錦絵の衰退と前後して興った新版画運動のうねり、明治の消費拡大(さらに輸出の増大)に伴う染色工芸図案集へのニーズ、そして美しいものを欲する都市受容層の拡大…etc.、純然たる博物趣味とは別の要因もいろいろあったと思います。

 それだけにこうした作品群は、いわば「博物図譜の日本的展開」として、大いに注目されるところです。」

この本が生まれたのも、たぶん上のような文脈においてなのでしょう。
本書は国会図書館でも、さらに大学図書館の横断検索CiNii Booksでもヒットしないので、かなり稀な本だと思いますが、日本の昆虫図譜、ひいては博物図譜の歴史において決して無視できぬ作品だと思います。

   ★

冒頭にもどって「日本画による昆虫表現」ということについて述べれば、日本画は甲虫類のような硬質な対象を表現するのは苦手だと思いますが、鱗翅類のようなソフトな対象にはまことに好適で、これは花鳥画の筆法がそのまま使えるからではないか…と思いました。

コメント

_ S.U ― 2023年04月03日 07時46分30秒

>南画系
>花鳥画
 「南画」と聞くと、中国の近世の流派で、中国の南の地方で流行って、岩の上に松の木がたくさんうねうねと枝を曲げ、そこらあたりにコケかなんかしらんのがうじゃうじゃた生えている・・・という図を思い浮かべますが、画像検索してみるとそれでだいたい正しいようです。樹木には、花が咲き鳥が来ますので、風景画が花鳥画に発展するのは自然なのでしょう。どちらかというと山奥の風景を写実的な絵にしようとした心持ちのほうが画期的なのかもしれないと思います。

 それで、南画系を観ますと、中国産と日本産はだいたい区別がつきますよね。あれはなぜなんでしょうか。また、中国の花鳥画では、若冲のようなのはありますが、同じ写実主義でも応挙や北斎流のはあまりみたことがありません。そのへんの理由が日本の博物画の雰囲気に何か関係しているのではないかと思います。

 日本文化が中国文化よりアッサリしているから、などといわれても、それは文学や芭蕉の俳句の解説としてはいいかもしれませんが、近世・近代美術については日本でも精密画や超絶細工を扱う人もいるので、それだけではどちらが原因か結果かはわからないと思います。

_ 玉青 ― 2023年04月04日 19時34分50秒

日本でいう南画は、中国の「南宗画」に由来する山水図…というのが教科書的な記述ですが、その辺はなかなか単純化しがたですね。

基本的に江戸時代の絵画は、相当フリーな世界だったということがあります。
江戸時代の絵師というと、官画たる狩野派や土佐派もいれば、在野の四条円山派の人もおり、漢画を能くする人もいれば、浮世絵師もいるという具合で、その画派・画系は様々ですが、想像以上に相互交流が盛んだったと聞きます。絵師の修行として、他派の門を叩く、あるいは私淑してその画法を学ぶということは、しょっちゅうだったでしょう。

南画を看板にした人でも、狩野派の筆法は教養として学んだでしょうし、四条円山派が重んじた「写生」は、絵の修行としてすこぶる有効ですから、身近な動植物を前に、これもせっせと行ったと思います。そして南画の人は、要は「中国趣味」「文人趣味」を称揚する立場ですから、同時期に渡来した南蘋派の清画の影響を受け、写実的な花鳥画にも親しんだことでしょう。

南渓が描く蝶の姿も、「南宗画」の世界に直接由来するというよりも、むしろ他派からの影響の方が大きいように思います。そしてまた、日本生まれの山水画や花鳥画が、中国のそれと異質に感じられるとしたら、それも詮ずるところ上記のようなシンクレティズムから来るものだと思います。

_ S.U ― 2023年04月05日 09時16分09秒

確かに、日本絵画のアッサリ的要素が日本の各派に共通しているのは、他流の門を敲くという伝統によっているのでしょうね。
 中国の絵も、広い意味の文人画の範囲では重厚な絵以外にも、日本的な軽みを持った絵もありますね。それらは、あまり日本では重宝がられなかっただけで、あちらではそれなりに広がっていたかもしれません。しかし、花鳥画や歴史事件に取材した細密描写のものに限れば、応挙や北斎のようなアッサリ系は中国にはなかなか見つからないように思います。私の知識が足りないだけなもしれません。

_ 玉青 ― 2023年04月08日 10時08分15秒

コメントに触発されて、『日本美術の見方:中国との比較による』という、そのものずばりの内容の本を読んでいました(戸田禎佑著、角川書店)。

日本美術と中国美術との対比については、江戸のはるか昔から「唐絵」と「大和絵」の区分があるわけですが、これは日本のナショナリスティックな独り相撲ではなくて、中国側でもその差を指摘する声が古くからあったことを、本書を読んで知りました。

すなわち、日本の平安末期、中国では北宋末に著された『宣和画譜』に、日本の絵を評して「其国の風物、山水、小景を画いて、彩色を特に重んじ、金碧を多用している。しかし、絵画の“真”は必ずしもあるといえず、ただ絵の派手さと見た目の美しさをとろうとしている」という趣旨の一節があるそうです(上掲書、pp.50-51)

これは自国優位の「けなし口調」で書かれていますが、優劣評価の部分を捨象すると、要するに日本の絵画は、写実やリアリズムを追求するのではなく、もっぱら装飾性・デザイン性を重んじ、目を喜ばせる美しい色合いを多用し、描く対象も大景ではなく小景に偏っている…ということかと思います。まことに鋭い批評で、これは近世の日本画にもそっくり当てはまるし、現代においても相当程度有効な評言ではないでしょうか。

畢竟両国の風土の差が生み出した差異なのでしょうが、実に根の深いことと思います。

_ S.U ― 2023年04月08日 16時52分40秒

>もっぱら装飾性・デザイン
 そういう見方なのですね。たしかに、日本贔屓からいうと、日本画にあって中国画にないものは、絵巻ものや尾形光琳、狩野派に見る「リズム感」でしょうか。仮にBGMをつけるとしたら、アップテンポの曲でも合いそうです。

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