Midspring Night’s Dream ― 2023年04月12日 19時51分16秒
ここのところ、ちょっとぼんやりしていました。花粉と黄砂のせいかもしれません。
ぼんやりついでに、昨日は仕事帰りに、名古屋・伏見のantique Salonさんをひさしぶりに訪ねて、店主の市さんとあれこれ話し込んでいました。
何か珍しいものはないか?という、いつもの挨拶代わりの話題に始まり、仕入れの苦労、年齢をめぐる話、さる富豪の噂、そして将来のイベント構想など、互いに微苦笑の交じるひと時を過ごした後、「そのうちのんびり酒でも飲みながら、星でも眺めたいですね…」というところに話は落ち着きました。
長っ尻のわりに何も買わない、そんな客ともいえない客を迎えて、市さんにとってはご迷惑だったと思うんですが、ぼんやりした頭を抱えて、春の夕刻にそんな話をして時を過ごすというのは、とても贅沢な時間の使い方だと感じられました。しかも顔を上げれば、棚には解剖模型が並び、目を落とせば義眼と目が合う仄暗い空間に身をおいて、互いにくぐもった声でやりとりするのですから、なんだか目を開けながら夢を見ているような気分です。
「酔生夢死」というのは、無駄に生きることを指す、一般には好ましからざる言葉なのでしょうが、こういう時を過ごした後では、むしろ理想の生き方のようにも思えてきます。
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電車に揺られて家に帰ると、京都の古書店から古書市の案内が届いていました。
カラー図版の美しい目録を眺めているうちに、「あ、この本いいな」と思える古書が見つかりました。でも当然のごとく値が張るので、一体どうしたものか…と腕組みをして考えていたんですが、しばらく見ているうちに、なんだかこの本はすでに持っているような気がしました。
さっそく本棚をひっくり返すと、なるほど確かにありました。
「やったー」と喜びながら、でも何かおかしいぞ…と思いました。自分の欲しいと思う本が、そんなに都合よく本棚から出てくるはずがありません。ひょっとしてこれは夢を見ているのだろうか? 夢だとしたら、自分は一体いつから夢を見ているのだろう? 京都から届いた目録というのは、本当に現実に属するものなのか?
そこまで考えると、antique Salonさんで市さんと話したことも、本当のことなのか自信がなくなってくるし、「存在の不確かさ」みたいなものが、ひたひたと周囲から押し寄せて、春の闇はいよいよ濃く深くなってゆくのでした。
(今日の晩酌の友は「よなよなエール」)
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