ウラニア劇場へ2023年04月21日 17時02分43秒

今日も「ウラニア」の絵葉書の話題です。
ただし、ところは変わって、舞台は1898年の世紀末ウィーン。

この年、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は在位50周年を迎え、ウィーンではこの慶事を祝う大規模な博覧会が催されていました。この催しの基調は、過去半世紀に成し遂げられた産業・貿易・技術の発展を謳歌するというものでしたが、中でも特に科学の進歩に焦点を当てたパビリオンが、「ウラニア劇場(Urania-Theater)」です。


それをモチーフにしたのが、このユーゲントシュティール然とした絵葉書。



昨日の絵葉書と違って、今回のは本物オリジナルで、その消印も博覧会場で押された特製スタンプらしく、インクの残り香に1898年ウィーンの空気を感じます。

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ウラニア劇場はこの博覧会のためだけに、急拵えしたものではありません。

1888年にベルリンで、科学知識の普及を旨とした市民教育のための組織「ベルリン・ウラニア協会(Die Berliner Gesellschaft Urania)」が設立され、これに刺激されて、1897年にウィーンでも「ウィーン・ウラニア組合(Das Syndikat Wiener Urania)」が結成されました。その活動拠点として作られたのが、この「ウラニア劇場」であり、博覧会側とウラニア組合側は、お互い渡りに船、ちょうどタイミングが良かったわけです。


三々五々、「星の劇場」につどう人々。


その先にそびえる科学の殿堂と、それを見下ろす星たち。

新古典様式とユーゲントシュティール(アールヌーボー)様式をミックスした建物は、800 人収容のホールを持ち、さらに200人が入れる講堂や、科学実験の実演部屋、さらに口径8 インチ(20cm)を始めとする一連の望遠鏡を備えた天文台、水族館等を擁していました。ここで日夜、幻灯講演会、科学実験、気球による気象観測等々が行われたのです。

しかし、ここはあくまでも仮設の建物に過ぎず、また経費も嵩んだことから、博覧会の終了後まもなくして閉鎖・取り壊しとなり、ウィーンのウラニア組合は、この後しばらく市内の貸会場を転々としながら、活動を続けました。

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最終的にウラニア組合の落ち着いた先が、今も活動を続けているウィーンのウラニア天文台(1910年オープン)です。


同天文台については、13年前に紹介済みですが、そのときは天文台の前史であるウラニア劇場のことが、分かっていませんでした。

■妄想酒舗、ウラニア
■妄想ではなかった酒舗ウラニア

今回13年ぶりに、その経緯を知ることができたわけで、ささやかながら、これも「継続は力なり」の実例だと思います。