歴史瑣談【補遺】 ― 2023年04月22日 09時01分26秒
端午の節句の掛け軸に端を発した、鷲雪真と仁徳天皇陵古図の一件【LINK】。
でも、あの件がすでに関係者には既知のことであり、私の独り相撲だと滑稽ですし、何より手元にある絵の作者の正体を知りたいということもあって、問題の資料を所蔵する八王子市郷土資料館に、その点をお尋ねしてみました。
その後、ご担当の加藤学芸員様から大要以下のような返信をいただいたので、今後の参考として記しておきます(あくまでも大意です。文責引用者)。
●これまで多くの研究者が、石棺図の左下の記述を「鷲雪」の「真模」であるととらえてきた。これは「鷲雪真」という絵師はいないと考えていたためで、当館でもそのように理解してきた。
●「鷲雪真」という絵師の存在を指摘した研究者はいないと思われる。今後は「鷲雪真」という絵師の存在も視野に入れて検証してみたい。
●この絵図を所有していた落合直澄は、明治8年当時、伊勢神宮にいた。堺県での出来事を聞きつけて、堺県令税所篤のもとを訪れたと考えると、出身地八王子の絵師をわざわざ連れて来たとは考えづらいので、関西方面の絵師だった可能性も想定できる。
●「鷲雪真」という絵師の存在を指摘した研究者はいないと思われる。今後は「鷲雪真」という絵師の存在も視野に入れて検証してみたい。
●この絵図を所有していた落合直澄は、明治8年当時、伊勢神宮にいた。堺県での出来事を聞きつけて、堺県令税所篤のもとを訪れたと考えると、出身地八王子の絵師をわざわざ連れて来たとは考えづらいので、関西方面の絵師だった可能性も想定できる。
…というわけで、肝心の鷲雪真の正体は依然茫洋としていますが、とりあえず独り相撲でなくて良かったです。
冷静に考えると、この図を写した画家の素性によって、本図の持つ意味合いが変わるとか、何か新たな歴史がそこから生まれるということもないので、まあ瑣末といえば瑣末な事柄ではあるのですが、歴史においてはファクトが重要ですから、「鷲雪真という絵師の存在」を事実として提示しえたことは、まんざら無駄でもなかろう…と、総括しておきます。
それに同じ掛軸でも、上のようなエピソードを知って眺めるのと、知らずに眺めるのとでは大きな違いがありますから、私個人にとって、これは瑣末どころの話ではありません。
★
末筆ながら、お忙しい中懇切なご回答をいただいた、八王子市郷土資料館の加藤典子様にこの場を借りて厚く御礼を申し上げます。
最近のコメント