あの日のプラネタリウムへ2023年05月02日 06時26分53秒

プラネタリウム100年。
もちろん、プラネタリウムは今でも人々を楽しませてくれています。
でも、100年前の世界を生きた人々が、プラネタリウムの誕生をどれほどの驚きをもって迎え、そしてどれほどの感動をもってそれを眺めたか、それはちょっと想像の埒外という気がします。

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それを知るために、実際その場に行ってみることにしました。
タイムマシンに乗らなくても、その場の臨場感を味わうだけなら、下の品で十分です。


キーストーン社製のステレオ写真。キーストーン社はステレオ写真の世界では後発ながら、先行他社のネガを大量に買い取るなどして、最大手にのし上がったメーカーです。ペンシルベニア州に本社を構えて、19世紀末から20世紀半ばまで営業を続けました。

ここに写っているのは、1930年にオープンしたシカゴのアドラー・プラネタリウムで、この写真はオープン間もない頃の情景でしょう。中央に鎮座するのはツァイスⅡ型機です。


これをビュアーにセットして覗けば…


視界の向こうに…


新品の香もゆかしい機械と、


人々の表情が臨場感豊かによみがえります。
今、私の目は1930年代のカメラマンの目と一体化し、たしかにその場にいるのです。

ちょっと驚くのは、そこには子供の姿も、若いカップルの姿もないことです。
たぶん皆さん夫婦連れなのだと思いますが、いかにも紳士・淑女の社交場という感じで、そこにはドレスコードすら存在するかのようです(実際、あったかもしれません)。そして、人々はちょっと小首をかしげたり、澄ましたポーズと表情で、開演を今や遅しと待ち構えています。当時、プラネタリウムに行くことは、きっと観劇やクラシック・コンサートに行くのと同様に、高尚で晴れやかな行為であり、ここはまさに科学の殿堂にして、「The Theater of the Sky」だったことがうかがえます。

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この光景をしばらく眺めていると、徐々にその世界に馴染んで、違和感が薄れてきますが、そこでふたたび現代のプラネタリウムの光景を思い起こすと、今度はタイムマシンで逆に100年後の世界に飛ばされた感じがして、一瞬頭がクラっとします。

子どもたちはプラネタリウムをめざす2023年05月03日 10時43分50秒

紳士・淑女の社交場だったプラネタリウムが、子どもたちの人気スポットになったのはいつか? いつ…とはっきり言うこともできませんが、たぶんベビーブーマー世代が学童期を迎えると同時に、スペースエイジの熱狂が重なった時代が、その画期だったんじゃないでしょうか(まったくの想像ですが)。

1935年にオープンした、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムも、下の絵葉書を見るかぎり、当初はだいぶ大人のムードを漂わせていました。


それが1967年には、下のようにすっかりキッズ・フレンドリーな、ファミリー向け施設に変わっていました。


上のイラストを含むページ全体がこちら↓です。


「ベッツィー・マコール、プラネタリウムにいく」と題した雑誌広告です(「マコールズ」、1967年4月号掲載)。

「マコールズ(McCall’s)」というのは、1950~60年代を全盛期とする、アメリカの「家庭画報」みたいな女性月刊誌で、20世紀いっぱい発行が続いたそうですが、この雑誌から生まれた人気キャラクターが、「ベッツィー・マコール」です。雑誌の付録というか、雑誌の中に彼女の登場するページがあって、厚紙に貼って切り抜くと、着せ替え人形になるという仕掛けで、しかもベッツィーの着る服は、すなわち自社製品の宣伝にもなっているという、なかなか商売上手な企画です。

広告の中身は、ベッツィーが休日にパパとプラネタリウムに行った…という体裁の記事になっており、なんとなく面白そうだったので、全文訳してみるとこんな感じです(適当に改段落)。

 「春休みにパパとニューヨークまでお出かけして、プラネタリウムに行ったの。あんなにドキドキしたのは生まれて初めて。大きなホールの灯りが消えると、お星さまとお月さまと惑星たちがいる宇宙の真ん中にいるみたいだった。いろいろ解説してくれた天文学の先生は、ヘス博士っていうの。ヘス博士は昔パパの先生だったんだって。

ねえ、知ってる?1時間に何千マイルも何万マイルも飛ぶ宇宙船に乗っても、火星につくには3か月ぐらいかかるんだって。それでも火星はいちばん近い惑星なのよ!空でいちばん明るい星座の名前もさっき覚えたわ。しし座って言うの。「しし」っていうのはライオンのことね。でもライオンを見ようと思ったら、きっと想像力がいるわ。それといちばんワクワクしたのは、今月は本物の空にもすごいことがたくさん起きるってこと。4月22日は流星雨だし、4月23日には月食があるの。でも私たちは月食の最初のほうしか見られないんだって。アフリカあたりに住んでれば全部見られるんだけどね。

ショーが終わって灯りがついてから、パパは私を博士に会わせてくれたんだけど、どぎどきしちゃって「いつか月まで行きたいです」って言うのが精一杯だったわ。ヘス博士は「うん、きっと行けるよ、ベッツィー」だって。ねえ、すごくない?」

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児童文化におけるプラネタリウムの意義やシンボリズムというのは、本気で論じようとするとかなり大きなテーマになる気がします。まだ調べたことはありませんが、プラネタリウムが主要な舞台になっている漫画や小説で、主人公が少年・少女であるものを数え上げるだけでも相当な数になるでしょう。

なお、ベッツィーが言葉を交わした「ヘス博士」というのは、Dr. Fred C. Hess(1920-2007)という実在の人物で、ヘイデン・プラネタリウムで活躍した名物プラネタリアンです。

晴読雨読2023年05月04日 08時50分05秒

家人が「あー、本を読まないとバカになる」と言うのを聞いて、なるほど一理あると思いました。ネットが生活に入り込んだことで、読書量が目に見えて減ってしまい、私自身もずいぶんバカになっている自覚があります。いろいろ興味を惹かれるテーマがないでもないので、この連休は少しまともな本を読もうと思います。そんなわけで、時間的にはわりと余裕があるんですが、ブログの更新はゆっくりです。皆様もどうぞ好い連休をお過ごしください。

続・パロマー物語2023年05月13日 17時03分49秒

しばらくぼーっとしていました。
本を読むぞと宣言したわりに大して読めなかったし、というよりも本を読むと眠くなることに気が付きました。昔、年長の人がそう話すのを聞いて、そんなものかなあ…と思っていましたが、自分がその齢になってみると、これは一大真理ですね。もちろん興味のない本を読んでいるうちに、退屈して眠くなるのは分かるんですが、興味のある本でも眠くなるというのは意外な落とし穴で、残りの人生、もうあんまり本も読めないなあと思うと、ちょっぴり寂しいです。

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さて、ブログもぼちぼち再開です。

先日、プラネタリウム100周年の話題を書きましたが、今年は他に75周年の話題もあることを耳にしました。すなわち、パロマー山天文台の200インチ(5.1m)望遠鏡が、1948年にお披露目されて以来、今年で75歳を迎えるという話題です。


上は先日購入した、パロマ―山天文台を描いたおまけカード。
左はイギリスのリージェント石油の「Do You Know?」シリーズ(1965)、右はオーストラリアのサニタリウム・ヘルス・フード・カンパニーの「Wonder Book of General Knowledge」シリーズ(1950-51)に含まれるカードです。

200インチ望遠鏡(ヘール望遠鏡)は、アメリカ一国にとどまらず、文字通り世界のヒーローでしたから、あちこちでこういう「パロマーもの」が作られたわけです。


上は1948年8月30日に発行された記念切手を貼った初日カバー。
この日、まさに望遠鏡の鎮座するパロマー山で投函され、その日の消印が押された記念すべき品です。
ただ、望遠鏡自体の完成記念式典は、それよりもちょっと前の6月1日から行われたので、望遠鏡はあと20日足らずで75歳の誕生日を迎えることになります。

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「大宇宙を見通す目」というと、今ではジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡がその象徴でしょうが、かつてその地位を占めたのがパロマー山のヘール望遠鏡です。しかもその地位は、1976年にソ連のBTA-6望遠鏡が口径世界一の記録を塗り替えるまで、30年近く盤石でしたから、パロマーに思い入れのある天文ファンは、複数世代にまたがっているはずで、もちろん私もその中に含まれます。

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自分が書いた記事に感動するというのも妙なものですが、私はパロマーと聞くと即座に16年前の記事を思い出し、読み返しては思いを新たにします。

■パロマー物語…クリスマス・イヴに寄せて

まあ、これは私が書いたといっても、地元に住むあるアメリカ人女性の文章の引用であり、彼女の記憶の中のパロマーが美しいからこそ感動するわけですが、それに感動できるということ――つまり私の中のパロマー像が彼女の記憶と共鳴するということ――それ自体、私にとっては嬉しいことです。

パロマーの巨眼よ、永遠に2023年05月14日 12時01分52秒

(昨日のつづき)

パロマーといえば、かつては憧れと尊敬を一身に集める存在でした。
その偉業は当時アメリカのみが成し得たことであり、パロマーはアメリカの国力が今よりも更に強大だった、「パックス・アメリカーナ」時代のひとつの象徴と言えるかもしれません。

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古参の天文ファンだと、地人書館の下の写真集でパロマーに親しまれた方が多いと思います。


■大沢清輝(解説・編集)、ヘール天文台校閲
  『パロマ天体写真集―巨人望遠鏡がとらえた宇宙の姿』
 地人書館、1977(架蔵本は1981の初版第2刷)

「第Ⅰ編:わが銀河系」、「第Ⅱ編:100億光年のかなたに」という2部構成の、一部カラー写真を含む大判の写真集です。

(左:いて座の三裂星雲M20(NGC6514)、右:はくちょう座の網状星雲NGC6992)

(左:かみのけ座NGC4565、右:アンドロメダ座NGC891)

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さらに遡ると、先行して下の写真集も出ています。


■鈴木敬信(編)
 『天体写真集―200吋で見る星の世界』。
 誠文堂新光社、第5版1959 (初版1953

編者の「はしがき」には、

 「本書の主要部をなすものはウィルソン山およびパロマ山天文台の労作、世界にほこる100インチおよび200インチの巨鏡、48インチのシュミットカメラが、万物の寝静まる真夜中に最大の努力と手練とを傾ける観測者の熱意と相まって、うつしとった空の神秘である。おさめた写真のうち約150葉はこの写真集のために特に誠文堂新光社が同天文台から取りよせた最新のもの、約250葉は私が長年かかって収集したなかから選んだもの、残りは私自身が撮影した写真、それから東京天文台・花山天文台・水沢緯度観測所・科学博物館などから拝借した写真である。」

…とあって、写真の入手にも当時大変な苦労があったことが分かりますし、その苦労をおして写真集発刊を目指した鈴木氏と誠文堂新光社の熱意も伝わってきます。繰り返しになりますが、パロマーはそれだけ当時は「エラかった」のです。

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かつてパロマーが生み出した驚異の天体写真の数々。
でも、天文雑誌の読者投稿欄を見れば、今では鮮麗さにおいてパロマーの写真集をしのぐ美しい画像が、毎号のように載っています。これも21世紀に急伸したデジタル撮像と画像処理技術の進歩のおかげです。

その意味で、パロマーの威信もずいぶん凋落したように見えるんですが、考えてみれば、アマチュアが口径30cmの望遠鏡を使ってやれることは、当然パロマーの5.1mを使ってもやれるわけで、その口径差による圧倒的なアドバンテージは、いささかも揺るぎません。

パロマーのヘール望遠鏡は今も完全に現役で、最先端の研究に日々活用されていることが、パロマーの公式サイトに掲載されているレポートから分かります。

■Current Research and Observations Slideshow

最初に登場した、地人書館の『パロマ天体写真集』の冒頭で、編者の大沢氏は、

 「科学的な目的の天体写真には白黒が用いられ、カラーを使うことはない。カラーでは光量の量的測定をすることができないからである。世界一級の望遠鏡の観測時間を割いて、本書掲載のカラー写真が撮影されたのは、天体物理学の普及発達のためには、それも一種の必要な社会サービスだという、大所高所からの判断によるものであろうと思われる。」

…と書かれています。この辺の事情は今も同じでしょう。ハッブル宇宙望遠鏡やジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡による、目を驚かせるカラー画像がメディアを賑わせるのも、一種の「社会サービス」であり、ひいては予算獲得に向けたアピールにほかなりません。

パロマーの巨人望遠鏡は、今ではそうした役割を果たす必要がなくなったので、我々一般の目にあまり触れぬ形で、専門的な研究に一意専心できているわけです。

どうかパロマーが末永く壮健で、その澄んだ瞳が大宇宙を見つめ続けますように。

アメリカン・ヒーローとしてのパロマー2023年05月16日 19時58分57秒

パロマーといえば、昔こんな紙ものを買ったのを思い出しました。


1960年の「トレジャー・チェスト」誌(Treasure Chest;1946-72刊)から採ったページですが、これ1枚だけ売っていたので、掲載号は不明。



うーむ、この色と線が、いかにもアメコミですね。
この一種能天気なオプティミズムこそが「時代の空気」というやつで、アメリカン・ホームドラマの世界とも地続きだと思いますが、その裏には核戦争の恐怖におびえ続けた冷戦期の過酷な現実もあり、なかなか微笑ましいとばかり言ってもおられません。



それでも、パロマーが――ひいてはミッドセンチュリーのアメリカ文化が――まとっていた一種の光輝をそこに強く感じます。

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さっき調べたら、「トレジャー・チェスト」はカトリック系の雑誌で、カトリックの教区立学校で配布されていた…とWikipediaは教えてくれました。まあ、アメコミ誌の中でも、ごく「良い子」向けの雑誌だったのでしょう。なお、作者の Ed Hunter こと Edwin Hunter は同誌の常連作家らしいですが、伝未詳。


ちなみに、裏面はこんな感じで、「魔法のフリバー」という空飛ぶ車の物語が掲載されています。フリバーというのはT型フォードの愛称で、1960年当時、すでに過去のオンボロ車だったT型フォードが大活躍するお話のようです。

野尻抱影、少年にパロマーを説く2023年05月18日 18時56分03秒

パロマーが巨大な眼を見開き、アメリカ中の人々がそれに歓呼していた頃、日本はどうだったか?
例えば…なのですが、パロマー完成の翌年、1949年に野尻抱影がこんな本を出しています。

(表紙を飾るアンパンマンのような火星)

■野尻抱影(著) 『少年天文学』
 繩書房、昭和24(1949)

この本は、石田五郎さんの『野尻抱影』の巻末年譜にも、ウィキペディアの抱影著作一覧にも出てこないのですが、あの抱影が、『少年天文学』という素敵なタイトルの本を出していると知ったときは、無性に嬉しかったです。

(とはいえ、何しろ本を出せば売れた時代ですから、出版社が抱影の過去の著作を切り貼りして、抱影に名義だけ使わせてもらったんじゃないか…という可能性もちょっぴり疑っています。)

(本書・扉)

(同・奥付)

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そして、この本の口絵を飾っているのが、他ならぬパロマーで撮れたてほやほやの、おおぐま座の系外銀河「M81」の写真です。


右下の説明には「距離約3億光年」とありますが、現在の数値は約1200万光年です。


この本の想定読者である多くの中学生にとっては、当時、こんな古風な小望遠鏡ですら憧れでしかなかったはずで、ましてやパロマーの巨人望遠鏡といったら、想像するのも難しかったでしょう。

何しろ、この本が出たのは戦争が終わってまだ4年目で、日本は連合国(実質的には米国)の占領下にあった時期です。用紙の配給制度が依然続く中、至極粗末な紙に刷られたこの本とパロマーとの距離は、それこそ光年で計りたくなるぐらい懸隔があったのです。

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本文中では、パロマーのことが以下のように紹介されています(pp.127-8。なお、引用にあたり旧字体を新字体に改めました)。

  「先ごろ完成した米国パロマー山の二〇〇インチ大望遠鏡は、一〇億光年も遠い星雲をさつえいするのに成功しましたが、なお、直径四八インチのレンズを持つ世界最大の写真望遠鏡もできて、四年計画で全天の撮影を開始しています。その予定では、約五億の恒星の他に約一〇〇〇万の銀河系外星雲をうつすそうです。

しかも学者の中には、全天の星も、星雲も一〇〇〇億はあるだろうという人さえあります。きものつぶれるような話ではありませんか。そればかりでなく、こういう何千万もある星雲は球状に集まっていて、それぞれ回転しながら外へ外へとひろがっているといわれ、それを膨張宇宙説といいます。あまりとほうもない大きな話で、とても豆つぶのような太陽にくっついている地球のわれわれには想像もできませんが、これがもっとも新しい宇宙観です。」

巨人望遠鏡が見通す宇宙の広大さ、そして膨張宇宙論の衝撃。
まこと「きものつぶれるような」、「あまりとほうもない大きな話」だ…というのは、著者自身の偽らざる感慨でしょう。


ご覧の通り、本書は裏表紙のデザインもなかなか素敵です。
星座神話は、もちろんそれ自体探求する価値のある対象なので、これとパロマーを対比してどうこうということはないのですが、しかし抱影は本書の中でも、例の「カルデアの羊飼いが星座を生み出した」という説を繰り返していて【参考LINK】、そこがいかにも古風であり、パロマーとの距離をじわりと感じさせます。

A Shadow of an Evil Magician2023年05月20日 19時03分47秒



私事ながら(個人のブログですから常に私事ですが)、今日は少なからず困憊しました。

毎月今ぐらいの時期に、カードの引き落とし額確定の通知が来るんですが、最近の利用明細を眺めているうちに、1回の買物でウン十万円という利用履歴を見つけて、「!!!!」と思いました。言うまでもなく、カード情報を抜かれて不正利用されたのです。

頭に血が上りつつ、即座にカード会社に連絡をとり、もろもろの手続きをとったことは言うまでもありません。それにしても、フィッシング詐欺には日頃注意しているし、機械にも一応のセキュリティは施してあるので、いったいどこでやられたのか、まったく想像も付きません。まこと不善の者の悪知恵は際限がなく、今回は完敗でした。

これをご覧の方も、どうか以て他山の石としていただきたいです。
まあ、原因が分からないので、何をどう参考にするといいのか判然としませんけれど、問題があれば即対応できるよう、利用履歴をこまめにチェックすることは簡単にできて、効果があるかもしれません。発生予防にはならなくても、AEDがあれば助かる命もあるのです。

ああ、それにしても…(ブツブツ)

太陽黒点に関する授業2023年05月21日 11時13分38秒

昨日不景気な話をしたので、今日は験直しです。


天文学をテーマにした、こんなコミカルな絵葉書を見つけました。

先生が黒点とは何か尋ねていた。
「僕は見たことありますよ」とフレッドが言った。「それもこの近所でね。黒点の問題は、すごそこの通りでも起きてますよ。女の子はそばかすが出来たと言っちゃあ、カッカしてますからね。」


黒点を「そばかす」にたとえるのは、万国共通のようですね。
それにしても、この少年たちのこまっしゃくれた表情ときたらどうでしょう。皆なかなか芸達者で、ひょっとしたら「地」のまま演じてるんじゃないかと思えるほどです。


唇を噛み締めて、「むぐぐぐぐ…」という先生の表情もいいですね。


絵葉書の裏面。この「英国の生活シリーズ(Anglo Life Series)」という一連の絵葉書は、1910年前後、いろいろ面白おかしいテーマで人気を博したらしく、今でもこの名で検索すると、いろいろな作例を見ることができます。

三丁目の星空2023年05月23日 07時50分30秒

先日、抱影の『少年天文学』(昭和24年、1949)という本を紹介しました。
あの本は単体で買ったのではなく、興にまかせて何冊か買ったうちの一冊です。


『少年天文学』と一緒に写っているのは以下の本。

■佐伯恒夫(著) 『天体と宇宙』(保育社の小学生全集57)
 保育社、昭和30年(1955)
■島村福太郎(編) 『月世界旅行』(日本児童文庫20)
 アルス、昭和29年(1954)

「日本児童文庫」というと、何だかお伽話っぽいですが、内容は月と宇宙旅行に関する科学読み物で、ただ冒頭にシラノ・ド・ベルジュラックの月世界冒険譚が、子供向けに再話されています。

いずれも児童・生徒向けの読本ですから、内容的にどうこういうほどのことはなくて、端的にいって「ジャケ買い」なんですが、いずれも素朴ながら、往時の少年少女の夢を感じさせる好い装丁だと思います。

外見だけだと何ですので、中身の方もチラッと見ておくと、こんな感じです。

(佐伯恒夫 『天体と宇宙』 より)

(同)

(島村福太郎 『月世界旅行』 より)

(同)

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でも、「なるほど、単なるジャケ買いなんだね?」と念を押されると、やっぱりそれだけではないような気もしてきて、何となく自分の個人史に触れる感じというか、彼らが赤の他人ではない気がするのです。

これらの本は、年号でいうと昭和20~30年代に出たもので、私の子供時代(昭和40年代)よりも一昔前になります。ですから、ふつうに考えるとそれを懐かしむのは変な気もするんですが、でも考えてみると、昭和20~30年代の子供文化は、私の子供時代に完全に途絶えたわけではなくて、その一部はなお存続していました。そして、子供時代の私は、それらを「昔懐かしいもの」と認識していたはずです。

つまり、昭和20~30年代の子供文化は、「自身の懐かしい子供時代に、懐かしく感じられたもの」という意味で、「懐かしいうえにも懐かしい」「ノスタルジーの二乗」の存在なのです。

自分の経験を敷衍すると、「人は自分が生まれる10年ぐらい前の時代・文物に最も懐かしさを感じる」という仮説を提示できるのですが、皆さんの体験に照らしていかがでしょうか?

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ちょっと話が横滑りしました。
そんなわけで、私はこれらの本に、いわば「魂のふるさと」を感じ、夕暮れの物干し台に寝そべって、瓦屋根の向こうに一番星を見つけ、これから始まる星のドラマをわくわくしながら待っていた自分――そんな実体験はありませんが――を思い浮かべるのです。

(3冊の裏の表情)