野尻抱影、少年にパロマーを説く2023年05月18日 18時56分03秒

パロマーが巨大な眼を見開き、アメリカ中の人々がそれに歓呼していた頃、日本はどうだったか?
例えば…なのですが、パロマー完成の翌年、1949年に野尻抱影がこんな本を出しています。

(表紙を飾るアンパンマンのような火星)

■野尻抱影(著) 『少年天文学』
 繩書房、昭和24(1949)

この本は、石田五郎さんの『野尻抱影』の巻末年譜にも、ウィキペディアの抱影著作一覧にも出てこないのですが、あの抱影が、『少年天文学』という素敵なタイトルの本を出していると知ったときは、無性に嬉しかったです。

(とはいえ、何しろ本を出せば売れた時代ですから、出版社が抱影の過去の著作を切り貼りして、抱影に名義だけ使わせてもらったんじゃないか…という可能性もちょっぴり疑っています。)

(本書・扉)

(同・奥付)

   ★

そして、この本の口絵を飾っているのが、他ならぬパロマーで撮れたてほやほやの、おおぐま座の系外銀河「M81」の写真です。


右下の説明には「距離約3億光年」とありますが、現在の数値は約1200万光年です。


この本の想定読者である多くの中学生にとっては、当時、こんな古風な小望遠鏡ですら憧れでしかなかったはずで、ましてやパロマーの巨人望遠鏡といったら、想像するのも難しかったでしょう。

何しろ、この本が出たのは戦争が終わってまだ4年目で、日本は連合国(実質的には米国)の占領下にあった時期です。用紙の配給制度が依然続く中、至極粗末な紙に刷られたこの本とパロマーとの距離は、それこそ光年で計りたくなるぐらい懸隔があったのです。

   ★

本文中では、パロマーのことが以下のように紹介されています(pp.127-8。なお、引用にあたり旧字体を新字体に改めました)。

  「先ごろ完成した米国パロマー山の二〇〇インチ大望遠鏡は、一〇億光年も遠い星雲をさつえいするのに成功しましたが、なお、直径四八インチのレンズを持つ世界最大の写真望遠鏡もできて、四年計画で全天の撮影を開始しています。その予定では、約五億の恒星の他に約一〇〇〇万の銀河系外星雲をうつすそうです。

しかも学者の中には、全天の星も、星雲も一〇〇〇億はあるだろうという人さえあります。きものつぶれるような話ではありませんか。そればかりでなく、こういう何千万もある星雲は球状に集まっていて、それぞれ回転しながら外へ外へとひろがっているといわれ、それを膨張宇宙説といいます。あまりとほうもない大きな話で、とても豆つぶのような太陽にくっついている地球のわれわれには想像もできませんが、これがもっとも新しい宇宙観です。」

巨人望遠鏡が見通す宇宙の広大さ、そして膨張宇宙論の衝撃。
まこと「きものつぶれるような」、「あまりとほうもない大きな話」だ…というのは、著者自身の偽らざる感慨でしょう。


ご覧の通り、本書は裏表紙のデザインもなかなか素敵です。
星座神話は、もちろんそれ自体探求する価値のある対象なので、これとパロマーを対比してどうこうということはないのですが、しかし抱影は本書の中でも、例の「カルデアの羊飼いが星座を生み出した」という説を繰り返していて【参考LINK】、そこがいかにも古風であり、パロマーとの距離をじわりと感じさせます。

コメント

_ S.U ― 2023年05月20日 08時58分56秒

この本については、存じませんでしたが、貴重なもののようですね。
どういう経緯で出た本なのでしょう。それでも、アメリカの最新の天文学の動向をいち早く日本の少年少女に伝えたいという著者の気持ちは強かったのではないかと思います。
 
 ところで、「星座起源カルデヤ人説」は抱影本ではいつまで残っていたのでしょうか。私も、この説は、抱影本でしか見たことがないので全幅の信頼をおいていたわけではありませんが、最近まで「騙されていた」クチです。少なくとも1960年代前半に出た星座解説本までは、カルデヤ人説は載っていたと思います。今パラパラと見たところ、最晩年刊の『星アラベスク』には星座の起源の話題は載っていないようです。1950~60年代刊行のものは、より古い刊の編集、改訂ものが多いようで、どこまで古いデータの修正が行われているか、またその修正も誰が行ったのかはっきりしないと思います。抱影の星座起源解説で、著者自身がカルデヤ人説を排除したものは生前に出ているのでしょうか。

_ 玉青 ― 2023年05月20日 19時14分09秒

抱影がいつまでカルデアに固執していたのか、あるいは最後まで訂正されなかったのかは、恥ずかしながら、不勉強故に分かりません。

ちょっと視点を変えて、リンクさせていただいた竹迫忍氏による多年の追求により、抱影と「星座=カルデア起源説」の歴史的経緯は概ね明らかになったと推察するんですが、どうも今ひとつ一般に響かないのはなぜかなあ…と考えていて、結局のところ、平均的日本人は(これを「平均的読者層」と言い換えてもたぶん同じでしょうが)古代オリエントの知識がひどく乏しいからだろうと思いました。そこが旧約を通してオリエント世界に親しんでいる欧米の人との違いでしょう。

思うに日本人の脳内では、シュメールも、アッカドも、バビロニアも、カルデアも、みんな「古代オリエント」という一括りになっていて、相互の差異があまり感じられないので、カルデアと言われれば何となくカルデアのような気がするし、それがバビロニアになっても、「まあ、どっちも似たようなもんやないか」となりがちなんじゃないでしょうか。かくいう私もその点ではあまり偉そうなことを言えないので、これは反省を込めての弁です。

(ときに以前Swindenの本が話題になりましたが、それについて少し追記しました。)

_ S.U ― 2023年05月21日 07時01分56秒

そうですね。はっきりいえば、中東のオリエント世界はほぼ一緒くたです。
また、学んだ順番というのもあるかもしれません。

私のような小中学校で社会科の出来が悪かった者は、最初に「ひょっこりひょうたん島」の歌で「バビロン(までは何センチ)」を知り、次に抱影本で「カルデア」を知り、しかるのちに「メソポタミア文明」を知って、最後に「シュメール」を学ぶということになりかねません。ローカルなところから先に知っているわけですから、これでは、みんな同じじゃないか ということになって当然のように思います。

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