七夕の雅を求めて(6)…短冊奉納2023年07月06日 05時44分58秒

さて、今回の七夕企画の大トリは、七夕に不可欠の「短冊」です。
これについては、機知も、見立ても、「うがち」もなしの直球勝負で、七夕にちなむ古雅な短冊を飾ることにします。


詠題は「二星逢」、作者は尊純法親王(そんじゅんほっしんのう、1591-1653)という安土桃山から江戸の初めにかけての人です。皇族出身僧として天台座主をつとめ、書に優れた人だったと言います。まあ、これが真筆かどうかは保証の限りでないんですが、ここでは400年前の真筆として、恭しく二星に奉呈することにします。


  まとを〔間遠〕なる契りなりしも 天地の中に絶せぬ星あひの空

七夕の歌には、天上の恋にかこつけて地上の恋を詠んだものも多いですが、これは素直に星のことを謳っている点で好感が持てます。

歌意を按ずるに、「それは確かに“間遠”だけれども、天地の間にあって二星の逢瀬は永遠に繰り返される…」という詠嘆のうちに、人間のタイムスケールと宇宙のタイムスケールとが自ずと対比され、それが歌に奥行きと広がりを与えている気がします。

(この項つづく。明日はこれまで紹介した品の勢揃いです。)

コメント

_ S.U ― 2023年07月06日 07時55分13秒

こちらの、無限に対しての異なるタイムスケールの「相対性」の指摘もいいですね。
素粒子物理では、こういうのを「スケーリング則」というのだったと思います(例によって話半分)。

_ 玉青 ― 2023年07月07日 07時09分01秒

ふむふむ、なるほど…と何も理解できぬまま、話1/4ぐらいのところで頷いておくことにします(笑)。

_ S.U ― 2023年07月07日 07時58分03秒

さらに言えば、無限の含蓄を含む命題について、半分理解するのと、1/4理解するのとの間にもスケーリング則が成立し、理解度に不変である変数の存在からいくつかの法則が導かれるはずですが、その解説はあまりにくだくだしくなり話としてもくどくなりますので、やめておきます (これは話1/16)。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック