理科室の夏 ― 2023年07月21日 05時42分53秒
地元の小中学校は、今日から夏休みです。
通勤電車がちょっぴり空くというのもあるし、それ以上に「夏休みの空気」というのがあって、夏休みの期間中は、こちらも自ずとのんびりした気分になります(小さなお子さんがいるご家庭では、また違った思いもおありでしょうが…)。
★
がんどうかずらの大きな実から翼をつけた種子が飛び出
して滑空する。ハンブルグのフリードリヒ・アールボル
ンによるその発見が契機となって単葉機タウペ(=鳩)が
作られた。ぼくがタウペの絵をみたのは、リリエンター
ルのようにグライダーにのって空を飛びたいと真剣に考
えていたときだった。図書館で調べた図版をもとに竹や
布で作る計画を立ていた。鐘楼の石垣から蝙蝠傘をもっ
て飛び降りようという級友の誘いを、「もっと大きな傘
がいる」と断り、実行した二人がともに捻挫と打撲を負
ったことで、無傷のぼくは臆病者にされていたので、グ
ライダーによる滑空は実行しなければならなかった。
して滑空する。ハンブルグのフリードリヒ・アールボル
ンによるその発見が契機となって単葉機タウペ(=鳩)が
作られた。ぼくがタウペの絵をみたのは、リリエンター
ルのようにグライダーにのって空を飛びたいと真剣に考
えていたときだった。図書館で調べた図版をもとに竹や
布で作る計画を立ていた。鐘楼の石垣から蝙蝠傘をもっ
て飛び降りようという級友の誘いを、「もっと大きな傘
がいる」と断り、実行した二人がともに捻挫と打撲を負
ったことで、無傷のぼくは臆病者にされていたので、グ
ライダーによる滑空は実行しなければならなかった。
これは稲垣足穂や長野まゆみさんからの引用ではありません。
(編集工房ノア、2000)
『幻想思考理科室』は森哲弥氏(1943-)の詩集で、2001年のH氏賞受賞作です。
収録詩数はぜんぶで30篇。上に引用したのは、そのうちの「3 種子飛翔」の冒頭部です(改行は原著のまま)。
(「19 糸」)
理科室とか理科趣味をテーマにした詩というと、何となくとがった言葉をゴツゴツ並べた、ムード先行のものが多いイメージを勝手に抱いていました。まあ、これは詩人の咎というよりも、私の頭が詩文に適さず、散文向けにできているせいもあるでしょう。ですから、名作とされる賢治の詩作品だって、私には正直よくわからないものが多いです。
それに引き換え、本書に収められた作品はいずれも「散文詩」に分類されるもので。詩というよりはエッセイに近い味わいを持つものばかりです。そのせいかスッと肚におちる感じがありました。
ぼくは、自転車を見てふと考えるのだ。乗り物の発明史
の中で、自転車の発明は出色ではないかと。
自転車は作用機構だけで出来た乗り物である。車輪、ク
ランク、歯車、梃子など初歩的な力学の原理によってそ
れは成り立っている。乗り物は作用機構だけでは動かぬ。
機関が必要だ。自転車には架空の機関が厳然と想定され
てもいるのだ。この機関は立派な内燃機関である。酸素
と水と有機物とそして微量の無機物の化学合成で生ずる
エネルギーによってその機関は発動する。
の中で、自転車の発明は出色ではないかと。
自転車は作用機構だけで出来た乗り物である。車輪、ク
ランク、歯車、梃子など初歩的な力学の原理によってそ
れは成り立っている。乗り物は作用機構だけでは動かぬ。
機関が必要だ。自転車には架空の機関が厳然と想定され
てもいるのだ。この機関は立派な内燃機関である。酸素
と水と有機物とそして微量の無機物の化学合成で生ずる
エネルギーによってその機関は発動する。
(「9 力学有情」より)
この詩集を読んでいる私は、もちろんいい歳をした大人です。でも、この詩集を読んでいると、何だか自分が少年の頃に戻って、すぐれた理科趣味を持つ叔父さんから、世界の理(ことわり)を説いて聞かされているような気分になります。その言葉は怜悧というよりも、温かさを感じさせるもので、同時にとても佳い香りのするものです。
★
夏休みといえば理科室…というのは、私の個人的な思い込みに過ぎませんが、入道雲と人気のない理科室には、どこか通い合う情緒があるような気がします。
コメント
_ S.U ― 2023年07月22日 07時42分58秒
_ 玉青 ― 2023年07月23日 09時02分45秒
私自身、夏休みの理科室に入った記憶はないんですが、なぜ夏休みから理科室を連想するのか、改めて自問すると、どうやら「自由研究」が媒介項になっているような気がします。ひょっとして、自由研究をやりながら、子供時代の私は絶えず理科室のことを思い出していたのではないか…今となってはこれも想像に過ぎませんが、どうもそんな気がします。
_ S.U ― 2023年07月23日 15時52分25秒
>自由研究をやりながら、子供時代の私は絶えず理科室のことを思い出していたのではないか…
おぉ、これは、休み中に思い出されるとは、スジガネ入りの理科室好きでいらっしゃいますね・・・。
私は、さすがにスジガネは入っていませんが、高校生の時、母校の小学校での夏季キャンプに招かれ(天文同好会として2度そういう貢献がありました)、天体観望教室をしたことがあります。その時に、学校の備品の望遠鏡を借りに理科室に入りました。
おぉ、これは、休み中に思い出されるとは、スジガネ入りの理科室好きでいらっしゃいますね・・・。
私は、さすがにスジガネは入っていませんが、高校生の時、母校の小学校での夏季キャンプに招かれ(天文同好会として2度そういう貢献がありました)、天体観望教室をしたことがあります。その時に、学校の備品の望遠鏡を借りに理科室に入りました。
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それはおいといて、学校の理科関係ということで限定しますと、まずあったのは、夏休みにウサギやトリにエサを与える当番制でした。当時は、ウサギは水そのものはやらないほうがいいんだと、草の葉っぱも水滴をはらってやったような気がしますが、本当はそうでもないようですね。水はやっていいということです。トリ(にわとり、小鳥)には水を補給しました。理科室には直接関係ないのですが、ウサギで思い出したので書いておきますと、森進一の演歌に「うさぎ」という学校のウサギにエサをやりに行くテーマのものがあります。全曲8分を超える長大で劇的な曲で、放送されることも稀ですが、お聴きの経験がない方には、夏休み感覚によく合う曲としてお薦めします。
ほかに、気象観測係や学校でのミニキャンプみたいなのもありました。さすがに、毎日気象観測に出かけたことはないと思いますが、他のついでに趣味的に寄ったことはあるかもしれません。玉青さんの感覚は、無人の理科室という想像のことですね。私には実際に夏休みに一人で理科室に侵入した記憶はありませんが、想像すると理科室内部の研ぎ澄まされた感覚が甦るような気がします。