December, day by day ― 2023年12月01日 18時05分51秒
カレンダーも残り1枚。ほんとうに驚くべき時の速さです。
でも、世間には「時よ、もっと速く!もっと速く!」と願っている人もいます。
それはクリスマスを心待ちにしている子どもたち。
そんな子どもたちのお楽しみが、12月1日からスタートする「アドベントカレンダー」です。下はかわいい絵葉書サイズのアドベントカレンダー(1950年代ドイツ製)。
冴えた月明かりと、暖かな灯火に照らされた町の大通り。
親子連れ、男女連れが楽しそうに行き交っています。
(1番目の「窓」から顔を出すのは雪そり)
そこに穿たれた「窓」を、毎日1つずつ開けていくと、中から次々とおもちゃが顔を出し、まるで先回りしてもらうクリスマスプレゼントのようです。
そしていよいよ24日の晩ともなれば、マリア様と幼子イエスが顔を出し、本物のプレゼントが届くわけです。
(カードの裏側には薄紙が貼ってあって、カードを光にかざして楽しんだようです)
★
このブログには、天文学と暦学の歴史的因縁から「暦」のカテゴリーがあります。
アドベントカレンダーは、太陽の位置や月の満ち欠けを観測して作られる暦ではありませんが、やっぱり暦には違いありません。あるいはこれは、毎日樹皮に刻み目を入れたり、革紐に結び目をこしらえたりして日数を読んだ、原始の暦に近いものかもしれません。
星への旅 ― 2023年12月02日 15時56分33秒
こんな品を見つけました。
表面に「POST-BOOK」とあります。ひょっとしたら今でもあるのかもしれませんが、当時は切手を貼るとそのまま投函できる、こういう小さな絵葉書サイズの絵本があったらしいです。
「星への旅 A Trip to the Stars」。
タイトルページを除き全13ページ。ぱっと見、1920年代の品かな?と思いましたが、よく見ると1907年のコピーライト表示があって、意外に古いものでした。
タイトルページ以外は、オールカラー(おそらく網点併用のクロモリトグラフ)の凝った作りです。作者のOlivia Barton Strohm(1869-1953)は、シカゴ在住の作家で、当時広告業界でも活躍した女性のようです。作画を担当したClaude L. Ottman については未詳。
内容は、テッドとジュディの兄妹がお手製の凧に乗って、星の世界を大冒険するというもの。
お腹がすけばミルキーウェイで牛乳を一杯。
流星に凧を燃やされそうになってハラハラしたり、彗星の尻尾をつかまえたり、土星の環っかのメリーゴーランドを楽しんだり…。
最後はお決まりの夢オチという他愛ないお話ですけれど、ここには何の教訓もないところがいいですね。
★
童心や無邪気さを無条件に肯定できる世界―。
それを与えられている子どもは、今の世界ではむしろ少数かもしれません。
それでも、すべての子どもの頭上には、今も無限の星空が広がり、そこに夢を託すことが許されています。すべての子どもにとって、星の世界が、常に美しい夢とおとぎの国でありますように。
せめて星の世界だけでもそうあらねば、あまりにも救いがないではないか…と、悲惨なニュースを見て思います。
ポラリスへの旅 ― 2023年12月03日 13時07分55秒
荒唐無稽であることは変わりませんが、昨日の本よりも高めの年齢層を意識し、そこに科学的フレバーをまぶすと、こんな本になります。
■Charls S. Muir (著)
A Trip to Polaris or 264 Trillion Miles in an Aeroplane.
The Polaris Co. (Washington, D.C.), 1923
A Trip to Polaris or 264 Trillion Miles in an Aeroplane.
The Polaris Co. (Washington, D.C.), 1923
この本は口絵以外に挿絵はないので、「絵本」ではまったくありません。でも、「天文学の本は面白く書けば、もっと面白くなるはずだ」という信念のもと、天文学に関しては素人のお父さんが、10歳の息子さんのために書き下ろした天文入門書…というのが素敵だと思いました。
(序文)
版元の「ポラリス社」は、どうやらこの本1冊しか出してないようで、要は著者ミューア氏の私家版でしょう(その割に今も古書市場にたくさん出ているのは、相当な部数を印刷したのでしょう)。
★
それにしても、『ポラリスへの旅―飛行機に乗って264兆マイル』というタイトルはすごいですね。これは比喩的な意味ではなく、文字通り特別製の飛行機に乗って、北極星まで行こうというお話しです。
「ポラリスに向け、総員搭乗!我々の飛行機はまもなく出発します!現在、最後の酸素タンクを積み込み中です。これは264兆マイルもの北極星までの長旅には、最も必要なものです。さて、お友達にさよならと手をふる前に、この素敵な旅について一言述べておきましょう。」
「我々の旅はすべての惑星をめぐり、その後、最も近い恒星を目指して、より遠くの宇宙を進みます。最も近いといっても、そこは惑星系よりも遥かに遠い場所です。さらに星座の間を縫うように飛び、ポラリスを目指します。その過程で、私たちは星たちの「内部」情報を手に入れることになるでしょう。」
「さあ、酸素タンクの積み込みが終わりました。パイロットもお待ちかねです。皆さん、席に着いてください。機体は上昇を始め、地球がほんの小さな点になるまでぐんぐん上昇を続けます。まずは我々になじみ深い太陽へと向かいます。我々の旅はそこからスタートする必要があるからです。太陽までは9300万マイルもありますが、我々の飛行機は光の速さで飛ぶため、8分20秒以内に到着します。」
こんな具合に宇宙の旅は始まり、飛行機は天界の名所を次々と訪れ、天体について学びながら、何年も飛び続けます(この旅では相対性理論による時間短縮効果は考慮されていません)。
(中身はこんな感じ。子供向けにはもっと挿絵がほしいところ)
そしてついに目的の星、ポラリスへ。
我々は264兆マイルの距離を飛び続け、言い換えれば264兆マイルの落下を続けて、ついにポラリスへドーン!「…と、ベッドから床に落ちた拍子に頭をぶつけ、眼の前には、これまで訪れた星々がいっせいにチカチカしています。すべては夢だったのです。でも、きっと多くのことを学べたことでしょう。」
★
こちらも最後は夢オチです。
安易な気もしますが、夢オチ以外、話の決着を付けられないというのは、人間の想像力の一種の限界を物語るもので、地上の日常世界と天上の非日常世界の境界を越えるには、「夢」というツールが欠かせなかった…ということかなと思います。
「お伽の国」ほどではないにしろ、今でも宇宙は「なんでもありの世界」として描かれがちです。古代ギリシャの哲人も、月を境として、卑俗な4元素から成る下界と、透明なエーテルで満たされた天上界とを厳然と分けて考えましたが、こういう思考はなかなか根が深いです。
★
最後にひとつ気になったのが、ポラリスまでの距離。
264兆マイルというのは45光年に相当し、最新の値は448光年なので、ひょっとして著者は一桁勘違いしている?とも思いましたが、調べてみると、これはこれで正しいようです。
本書が出たのと同じ1923年、京大の山崎正光氏が、雑誌「天界」に「天体距離の測定法(三)」という文章を書いていて【LINK】、それを見ると北極星までは44光年となっています。
当時は、恒星までの距離を求める方法として、年周視差の測定以外に、新たに分光視差法(スペクトル型からその星の絶対等級を推定し、見かけの等級と比較することで距離を求める方法)が導入された時期であり、方法論的進展が見られた時期です。
とはいえ、近傍の恒星までの距離を知るには、年周視差の測定がもっとも正確な方法であることは昔も今も変わらず、45光年から448光年に数字が置き換わったのは、もっぱらこの間の観測精度の向上によるものです(現在は観測衛星のデータを利用しています)。
★
それにしても、光速でも450年近くかかると知ったら、さすがのミューア氏も本書を書くのをためらったか、少なくとも目的地の変更は避けられなかったでしょうね。
疲れる話 ― 2023年12月10日 05時55分36秒
師走ということもあって、なんだかんだ忙しいです。
当分は「月月火水木金金」で、昨日も今日も出勤です。
★
その一方で、ずっと心に刺さっていたトゲが抜けて、ちょっとホッとしました。
それは9月に購入した本をめぐって、売り主であるスウェーデンの古書店主と揉めていた件で、このことは以前もチラッと書いた気がします。
購入したのは戦前の古い地図帳です。
古書店側の記載によれば、その地図帳には50枚の図版が含まれているはずでした。でも、届いた現物には36枚の図版しか含まれておらず、しかも図版が切り取られたとか、そういうわけではなくて、インデックス頁を見ても、最初から36枚の図しか含まれていないのでした。
そのことを先方に連絡した私は、これまでの経験から当然、「それは当方の手違いなので、すぐに返品してください。もちろん返送の送料は当方が負担します」とか、「ただちに返金しますので、お送りした本はそちらで処分をお願いします」とかの返答を期待しました。
でも、先方の回答はこちらの予想の斜め上を行くものでした。
「当方の記述はスウェーデン王立図書館のデータベースを転記したものです。それによれば、その地図帳の当該年の版には50枚の図版を含むものしか存在しません。どうぞご自分でデータベースをチェックしてみてください。残念ながら私にあなたの問題を解決できるとは思えません。」
「え!?」と思いました。スウェーデン王立図書館はたしかに大したものかもしれませんけれど、問題はそんなことではなく、50枚の図版を含むものとして販売された本に、36枚の図版しか含まれていなかったことが問題なのですよ…と、関連ページの写真も添えて、繰り返し説明したのですが、先方は頑として意見を変えず、さらには明らかに無礼な言葉まで投げてきました。これは埒が明かないと、PayPalに苦情を申し立てたのが10月のことです。
その裁定が延びに延びて、結局時間切れで、いったんは泣き寝入りでケース終了になるという嬉しくないオマケまで付いてきました。「そんな馬鹿な」と、再度不服申立をして、ようやくPayPalから返金の連絡があったのが昨日のことです。(時間がかかったのは、返品した本の受取りを先方が拒否し、現物がずっとスウェーデンの郵便局に塩漬けになっていたためです。その後、現物は再度送り返され、今は私の手元にあります。)
★
なんだかこう書いていても疲れます。
冤罪事件やスラップ訴訟に巻き込まれた人は、こんな気分なんでしょうかね。全体として釈然としない感じは残りますが、しかし全ては終わったのです。
北欧世界地図帳 ― 2023年12月16日 07時40分52秒
今日はひさしぶりの休日。記事を再開します。
★
前回登場したいわく付きの地図帳ですが、あの地図帳には、さらに長い前史…というほどでもありませんが、経緯があります。あれを注文したのは、前述のとおり今年の9月でしたが、私は同じ本を5月にも一度注文しています。しかし、オランダの本屋さんからは待てど暮らせど発送の連絡がなく、メールで問い合わせても梨のつぶて。結局しびれを切らして、3か月目にキャンセルしました(このときは古書検索サイトが、古書店に代わって返金処理をしてくれたので助かりました)。
その後、2度めのチャレンジの結果がどうなったかは、前回書いたとおりです。
しかし、あの地図帳をどうしても手に入れたかった私は、スウェーデン王立図書館の権威を振りかざす怪しい古書店と揉めている最中、別の店に3度めの発注をかけました。幸い「二度あることは…」とはならず、今度は無事に真っ当な商品が届いて、ほっと胸をなでおろしました。正直、2軒めの店のせいで、スウェーデンの印象もだいぶ悪化していましたが、やはりスウェーデン人の多くは実直で、2軒めの店主が特異なのでしょう。
三度目の正直で届いたのがこちら。
50枚の図版を含むだけあって、36枚の図版しか含まない問題の地図帳(上)と比べると、判型は同じでも、厚さがずいぶん違います。
改めて本書の書誌を記しておきます(ちなみに36図版バージョンも、同出版社・同書名・同発行年なので要注意)。
■S. Zetterstrand & Karl D.P. Rosén(編著)
Nordisk Världsatlas(北欧世界地図帳).
Nordisk Världsatlas Förlag (Stockholm), 1926.
表紙40×26 cm、見開き図版50図+解説136頁+索引48頁
Nordisk Världsatlas(北欧世界地図帳).
Nordisk Världsatlas Förlag (Stockholm), 1926.
表紙40×26 cm、見開き図版50図+解説136頁+索引48頁
書名で特に「北欧」を謳っているのは、一連の地図の中でも、特に北欧エリアが詳細だからでしょう(「北欧」のパートには全11図が含まれています)。
上質の紙に精細に刷り上げた美しい石版の地図帳は、大戦間期の世界を覗き込む興味はもちろん、紙の本ならではの「めくる愉しみ」に富んでいます。
それだけなら、36枚版でもいいのでしょうが、私が50枚の図版にこだわったのにはワケがあります。
STJÄRNHIMMELN ――すなわち「星図」。
この地図帳の最後を飾る第49図と第50図は美麗な星図で、それをどうしても手に入れたかったからです。
(この項つづく)
スウェーデン生まれの極美の星図 ― 2023年12月16日 07時47分05秒
(前回のつづき。今日は2連投です)
この地図帳と星図の存在は、dubheさんのツイートで教えられました。
博物画を専門に商い、豊富な知識と鋭い鑑識眼で知られるdubheさんをして、「星図は個人的には19-20世紀で最も美しい図版と思ってます」と言わしめた、この極美の星図をどうして手に入れずにおられましょうか。それが苦労の末に届いた時の喜び、それをどうか思いやっていただきたいのです。
(第49図)
(第50図)
第49図は黄道帯付近、第50図は南北両極を中心とした星図です。
いずれも見開きに左右振り分けで2枚の図が収録されているので、星図としては都合4枚になります。
それにしても、この表情といったら…。
厚手の高級紙、しかも私好みのニュアンスのある無光沢紙に、絶妙の色合いで刷られた夜空と星、そして繊細な星座絵。
煙るような銀河の表現は、本当にため息が出るほどです。
私を含め、多くの方がdubheさんの言葉にうなずかれるのではないでしょうか。
スウェーデンの天文古書というと、基本的に他国の翻訳物が多い印象がありましたが、こんなふうに卓越したデザイン能力と印刷技術を見せつけられると、もっと本腰を入れて探すべきではないかと思いました。
雑草のくらし ― 2023年12月17日 15時00分03秒
先日、新聞紙上でその訃が報じられた甲斐信枝氏(1930-2023)。
その代表作が『雑草のくらし―あき地の五年間―』(福音館、1985)です。
京都・比叡山のふもとの小さな空き地に、著者は5年間通い詰め、その観察とスケッチをもとに本書は作られました。甲斐氏の訃報を聞いて、すぐにこの本を再読したかったのですが、部屋の奥の奥にあったため、探すのに手間取りました。改めてページを開き、これはすごい本だと思いました。
1年目の春、むき出しの土から次々と顔を出し、勢いよく広がっていくのはメヒシバです。そして夏ともなれば、エノコログサとともに無数の種が地面にこぼれ落ちます。
2年目の春、メヒシバやエノコログサがいっせいに芽ぶくかたわらで、ナズナ、ノゲシ、ヒメジョオンなどがぐんぐん大きくなり、日光を奪われたメヒシバやエノコログサは死に絶えていきます。
しかし、それらをしのいで巨大化し、空き地を覆い尽くした植物があります。
その名のごとく、荒れ地に侵入して繁茂するオオアレチノギクです。
2年目の冬、空き地はオオアレチノギクに覆われ、それを見下ろすように、さらに巨大なセイタカアワダチソウがそびえています。
3年目。今度はカラスノエンドウが先住者に蔓をまきつけて伸び上がり、さしものオオアレチノギクも、日光を奪われてほとんど姿を消してしまいました。
夏にはさらに大物がやってきます。蔓を伸ばし、すべての草の上に覆いかぶさるクズとヤブガラシです。そして、つる草の攻撃にも負けず、さらに繁茂するセイタカアワダチソウ。
4年目の春。種子で増える一年草に代わって、冬も根っこで生き続けるスイバが勢力を広げます。
「やがて、地下茎をもつ草同士の、いっそうはげしいたたかいがはじまる。
大きな葉っぱをひろげて、波のようにおおいかぶさってくるクズ。
長いまきひげでまきつき、つながりあってすすむヤブガラシ。
一年一年根っこをふとらせ、がんばっていたスイバも。
じょうずに生きのこっていたヒメジョオンも、
つぎつぎと葉っぱの波にのみこまれていく。
その波をつきぬけて、セイタカアワダチソウはぐんぐんのびていく。」
大きな葉っぱをひろげて、波のようにおおいかぶさってくるクズ。
長いまきひげでまきつき、つながりあってすすむヤブガラシ。
一年一年根っこをふとらせ、がんばっていたスイバも。
じょうずに生きのこっていたヒメジョオンも、
つぎつぎと葉っぱの波にのみこまれていく。
その波をつきぬけて、セイタカアワダチソウはぐんぐんのびていく。」
「思い出してごらん、あのさいしょの春の畑あとを。
草たちは栄え、そしてほろび、
いのちの短い草はいのちの長い草にすみかをゆずって。
いまはもう、ぼうぼうとした草むらとなった。」
草たちは栄え、そしてほろび、
いのちの短い草はいのちの長い草にすみかをゆずって。
いまはもう、ぼうぼうとした草むらとなった。」
そして、5年目の春。草むらの草は取り払われ、ふたたび空き地となりました。
そこに最初に芽吹いたのは、あのメヒシバやエノコログサたちです。
「短いいのちを終わり、消えていったメヒシバやエノコログサは、
種子のまま土の中で生きつづけ、自分たちの出番がくる日を、
じっと待っていたのだ。」
種子のまま土の中で生きつづけ、自分たちの出番がくる日を、
じっと待っていたのだ。」
「命のドラマ」というと月並みな感じもしますが、身近な空き地でも、我々が日ごろ意識しないだけで、激しい命のドラマが常に展開しているのです。植物は無言ですが、耳をすますと、なんだか法螺貝や鬨の声が聞こえてくるようです。
★
この本は純粋な科学絵本ですから、そこに教訓めいたものを求める必要は一切ありません。しかしこれを再読して、思わず昨今の政治状況を連想したのも事実で、私も甲斐氏のひそみにならい、政治の主役たちの変遷をじっくり観察しようと思います。
ただ、甲斐氏は植物のドラマをいわば「神の視点」で捉えましたが、自らが暮らす国の行く末については、そんなわけにはいきません。我々は否応なくそのドラマに参加しているプレーヤーであり、そこに影響を与え、かつ影響を受ける存在だからです。いうなれば、草の上で暮らす虫や土中の生き物が、ホームグラウンドである空き地の五年間をじっと見守っている――私の立ち位置はそんな感じだと思います。
博物画の魅力 ― 2023年12月18日 11時14分08秒
山田英春氏の近著、『美しいアンティーク鉱物画の本(増補愛蔵版)』(創元社、2023)を書店で見かけ、さっそく購入しました。出版前から一部では話題になっていたので、すでに購入済みの方も多いことでしょう。
2016年に出た初版とくらべると、判型も大きくなり、内容もボリュームアップして、見ごたえ十分です。
★
この本を見ながら、博物画の魅力とは何だろう?と、改めて考えていました。
博物画というと、昨日の『雑草のくらし』のような科学絵本にも、明らかにその影響が及んでいる気がします。科学絵本には童画風のソフトな絵柄の作品もあるし、対象を緻密に描き込んだハードな作品もありますが、後者を突き詰めていくと、現代の博物画家によるスーパーリアリズムの世界に至るのでしょう。その超絶技巧には思わず息を呑みます。
博物画の魅力は、絵そのものの魅力によるところがもちろん大きいです。
でも、個人的には「絵の向こうに広がっている世界」の魅力も、それに劣らず大きいように感じています。
たとえば現代の博物画であれば、各地で活躍するナチュラリストと自然とのみずみずしい交歓や、彼らの弾むような好奇心、そして環境への目配り・気配り、そうしたものが見る側に自ずと伝わってくるから、見ていても気持ちが良いし、小さなものを描いても、何かそこに大きなものを感じます。
これが18世紀~19世紀の博物画となれば、まさに「大博物学時代」の香気や、「博物学の黄金時代」の栄光を物語る生き証人ですから、絵の向こうに当時の博物学者の重厚な書斎の光景がただちに浮かんできます。それはダーウィンやファーブル先生が生きた世界への扉であり、学問の佳趣への憧れや、科学がヒューマンスケールだった時代への郷愁をはげしく掻き立てる存在です。
結局、私にとっての博物画は一種の象徴であり、宗教的な「イコン」に近いものなのでしょう。
★
ところで、山田氏の本の帯には、「写真では味わえない、レトロで温かみのある、多色石版印刷(クロモリトグラフ)の玉手箱」という惹句があります。
鉱物画は博物画の下位分類なので、鉱物画の魅力というのも、当然博物画の魅力と重なる部分が大きいはずです。そして、一枚の絵として見た場合、この「写真にはない手わざの温もり」が魅力であるということも、博物画の魅力としてしばしば言及されることです。
ただ鉱物画の場合、他の博物画とはちょっと違う点もあります。
それはほかでもない「温かみ/温もり」についてです。というのも、昔の鉱物画家はひたすら鉱物らしい、冷たく硬質な質感を目指して努力していたはずで、画家自身そこに「温かみ」を求めてはいなかっただろうし、むしろそれを排除しようとしていたのでは?と思えるからです。動物画や植物画の場合は、描き手もアプリオリに「温かみ」を排除していたとは思えないので、そこが鉱物画の特異な点です。
それでも現代の我々の目には、これらの鉱物画は十分「温かみのある絵」として目に映ります。これはたぶん基準点の置き方の違いで、昔の画家は当時の平均的な具象画を念頭に、それを超えたリアリズムを追求したのに対し、現代の我々は「実物以上に美しい鉱物写真」を見慣れているので、「それに比べれば、昔の鉱物画は素朴で、温かみに富んでいるよね」と思い、それこそが魅力だと感じるのでしょう。
この点で、往時の描き手と、現代の鑑賞者との間で、鉱物画の捉え方をめぐって不一致が生じているのように思いましたが、まあこういうすれ違いは、レトロ趣味全般でしょっちゅう起きていることですから、事新しく言うには及ばないかもしれません。
(鉱物と鉱物画。それらを写した写真を掲載した本。そのまた全体を収めた写真。虚実皮膜とはこういうことを言うんでしょうかね。なかなか世界は複雑です)
Constellations a la Rococo ― 2023年12月21日 18時00分31秒
先日、スウェーデン生まれの美しい星図を話題にしたとき(LINK)、「そういえば、この星図は例の本に載っていたかな?」と気になりました。
「例の本」というのは、星図コレクターのロバート・マックノート氏が編んだ、19世紀~20世紀前半の作品を中心とする大部な星図ガイドブックです(下記参照)。
■星図収集、新たなる先達との出会い
で、さっそく本棚から引っ張り出してきたんですが、さしものマックノート氏もこの星図にはまだ気付いてないようで、収録されていませんでした。こういうのは、たとえつまらない慢心と言われようと、あるいは「お前さんは、単にdubheさんの受け売りに過ぎないじゃないか」と言われようと、なんとなく誇らしいものです。
★
そのついでに、しばらくぶりにマックノート氏の本をパラパラやっていたら、こんな星図が目にとまりました。
星図といっても書籍由来のものではなく、フランスで発行された宣伝用カードです。ベルサイユチックというか、ロココ調というか、星図そのものはともかく、そのカードデザインにおいて繊細華麗をきわめた品。
以下、マックノート氏による解説を引かせていただきます(一部抜粋、適当訳)。
「星座のトレーディングカード、1900年頃
パリ、Hutinet〔ユーティネ〕社
豪華な金色の背景を伴う多色石版による3枚の宣伝用カード。
4.5インチ×3.25インチ〔11.5×8.3cm〕
この種のカードは、19世紀にしばしば6枚セットで発行され、さらに多くの枚数から成るシリーズ用として、カード保存用の専用アルバムも用意されていた。ここに挙げた2つの星座は、一般には代表的星座とは見なされないので、これら3枚も、おそらくはもっと多くのカードを含むセットの一部なのだろう(ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している)。
非常に希少な品。私が購入したカード専門のオークションサイトでも、もちろん「レア」と記載されていたし、当時インターネット上では何の情報も得られなかった。数年経つ今でも、私はまだ他の例を見たことがない。」
パリ、Hutinet〔ユーティネ〕社
豪華な金色の背景を伴う多色石版による3枚の宣伝用カード。
4.5インチ×3.25インチ〔11.5×8.3cm〕
この種のカードは、19世紀にしばしば6枚セットで発行され、さらに多くの枚数から成るシリーズ用として、カード保存用の専用アルバムも用意されていた。ここに挙げた2つの星座は、一般には代表的星座とは見なされないので、これら3枚も、おそらくはもっと多くのカードを含むセットの一部なのだろう(ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している)。
非常に希少な品。私が購入したカード専門のオークションサイトでも、もちろん「レア」と記載されていたし、当時インターネット上では何の情報も得られなかった。数年経つ今でも、私はまだ他の例を見たことがない。」
★
この「激レア」カードは私の手元にもあります。
記録をさかのぼると、私は今からちょうど10年前にこれを購入していて、特に珍品とも意識せずにいましたが、マックノート氏にここまで書かれると、再び慢心がつのってきます。しかも、こちらは自前で見つけた品ですからなおさらです。
(裏面はすべて白紙)
私の手元にあるのは、いずれも星座単独のカード10枚で、北天星図カードが欠けているので、残念ながらこちらもコンプリートではありません。
では元のセットはいったい何枚で構成されてたのか?
ひょっとして、これは全天星座を網羅した一大シリーズなのだろうか?
…と思案するうちに、「ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している」というマックノート氏の言葉に、はたと膝を打ちました。
この北天星図を凝視すると、
おおぐま座、こぐま座、ヘルクレス座、りゅう座、ふたご座、おうし座、アンドロメダ座、ペガスス座、はくちょう座、いるか座、こと座
の11星座が金色で刷られています。そして、こと座を除く10星座が私の手元に揃っています。これは即ち上記の11星座に北天星図を加えた、全12枚でセットが構成されていたことを意味するのではないしょうか(あるいは、さらに南天星座12枚セットも作られたかもしれませんが、この北天シリーズが12枚セットというのは動かないと思います)。
…というわけで、マックノート氏と私のたくまざる協働によって、幻の星座カードの全容まであぶり出されたわけで、まずはめでたしめでたし。
★
ちなみに発行元のD. Hutinet社は、トレーディングカードの大手「リービッヒカード」(リービッヒ社のスープの素に入っていたおまけカード)も一部請け負った印刷会社のようです。またネットで検索すると、19世紀パリの写真機材メーカーに同名の会社が見つかりますが、両者の関連は不明。
(メーカー名は隅っこに控えめに書かれています)
なお、マックノート氏はこのカードを「1900年頃」と記載していますが、私的には「19世紀第4四半期」あたりのように感じます。
聖夜の星 ― 2023年12月24日 14時05分40秒
1920年頃のガラススライド。
ごらんのように周囲の保護フレームは厚紙製で、フレームを含む全体は8.3×10cmあります。
厚紙に空押しされた文字は、「VICTOR ANIMATOGRAPH CO.」。
こういうスライド形式は、ビクター・アニマトグラフ社(1910年創業)の専売で、一般に「ビクター・フェザーウェイト・スライド」と呼ばれます。他社のガラススライドは全体がガラス製で、しかも2枚のガラス板を貼り合わせているため、重くかさばったのに対し、「フェザーウェイト」は一回り小さいガラス板を、しかも1枚しか使っていないため、非常に軽いという特徴があります(通常はスライドの感光面を、別のガラス板で保護しているわけですが、「フェザーウェイト」では、代わりにシェラック(カイガラムシ由来の樹脂状物質)が塗布されています)。
★
くだくだしい説明はさておき、その絵柄を見てみます。
画題は「ベツレヘムの星」。
幼子イエスが誕生した時、ベツレヘムの町の上空に明るい星が出現し、それを奇瑞と見た東方の三博士が、イエスとマリアの元を訪ね礼拝した…という聖書由来のお話です。
こちらはベツレヘムの星をかたどったブローチ。
以前、メルキュール骨董店さんに教えられ、私もぜひ一つ手元に置きたいと思って新たに購入しました。
ベツレヘムの星のブローチのデザインは多様ですが、いずれも真珠母貝(マザーオブパール)を細かく削り出して作られています。イエス・キリストが真珠なら、その母貝は聖母マリアの象徴だ…という連想も働いているかもしれません。手元の品は、星の周囲を天使が取り巻いているように見えます。
ベツレヘムの星のブローチは、善男善女向けのベツレヘム土産として、今も盛んに作られていると聞きました。
★
ベツレヘムの星は、たしかに救い主誕生の瑞祥かもしれませんが、「新たなユダヤの王」の出現を恐れたヘロデ王が、2歳以下の男児を皆殺しにするという、血なまぐさい「幼児虐殺」のエピソードにもつながっています。
10月以降、ガザでは多くの子どもたちが命を落とし、それは今も続いています。
ガザの惨状に心をいためて、ヨルダン川西岸地区に位置するベツレヘムでは、今年のクリスマス行事を中止したと聞きました。
はたして救い主は今どこにいるのか。
エリ、エリ、レマ、サバクタニ…
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