アンドロメダのくもは2024年05月03日 18時15分47秒

草下英明氏に「賢治の読んだ天文書」という論考があります(『宮澤賢治と星』、学芸書林、1975所収)。その冒頭に次の一節があります。

 「昭和26年5月、花巻を訪れて〔実弟の〕清六氏にお会いした折、話のついでに「賢治さんが読まれた天文の本はどんなものだったんでしょうか。貴方に何かお心当りはありませんか」とお尋ねしてみたが「サア、どうも覚えがありませんですね。多分貧弱なものだったと思いますが」というご返事で…」

草下氏の一連の論考は、「星の詩人」宮澤賢治の天文知識が、意外に脆弱であったことを明らかにしています。たとえば「銀河鉄道の夜」に出てくる「プレシオス」という謎の天体名。これは草下氏以降、プレアデスの勘違いだったことが定説となっています。こんな風に、賢治作品で考証が難航した天体名は、大体において彼の誤解・誤記によるものらしい。

もちろん、それによって彼の文学的価値が減ずるわけではありませんが、後世の読者として気にはなります。

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…というのは、14年前に書いた記事の一節です(引用にあたって表記を一部変えました)。

魚の口から泡ひとつ…フィッシュマウスネビュラの話

上の記事は、賢治が作品中で使った「フィッシュマウスネビュラ」という見慣れない用語について書いたもので、賢治の天文知識のあやふやさを指弾する色彩を帯びています。すなわち、賢治が今でいうところの「環状星雲」を「フィッシュマウスネビュラ」と呼んだり、天文詩『星めぐりの歌』の中で、「アンドロメダのくもは さかなのくちのかたち」とうたったのは、彼の勘違いであり、記憶の錯誤にもとづくものだ…というようなことを、草下英明氏の尻馬に乗って書き記したのでした。

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例の「The Astronomers’ Library」を、晴耕雨読よろしく庭の片づけ仕事の合間に読んでいます。その中で、上の記事に関連して、「おや?」と思う記述を目にしました。そして、少なくともアンドロメダ銀河を賢治が「魚の口」と呼んだのは、やはり典拠のある話であり、それを賢治の誤解で片づけたのは、私や草下氏のそれこそ無知によるものではないか…と考えなおしました。

というのは、「The Astronomaers’ Library」は、ペルシャで10世紀に編纂されたアル・スーフィ『星座の書』を紹介しつつ、次のように書いているからです。

 「この本のもう一つの注目すべき点は、アンドロメダ座――あるいはアラビア語でいうところの「巨魚座 Big Fish」 にある、(アラビアの天文学者には)よく知られた「小雲(’little cloud’)」に関する最初の記録であることだ。」


さらに上図のキャプションには、こうあります。

 「ギリシャ星座のアンドロメダ座〔…〕は、またアラビア星座の巨魚座でもある。現代ではアンドロメダ銀河として知られる「小雲」は、魚の口のところに黒点の集合として示されている。」

(上図部分拡大)

巨魚の口にぼんやりと光るアンドロメダ星雲。
賢治がそんなアラビア星座の知識をもとに、あの『星めぐりの歌』を書いたのだとしたら、「賢治の天文知識って、意外にしょぼいんだよ…」と後世の人間がさかしらに言うのは大きな間違いで、むしろ並々ならぬものがあったことになるのですが、さてどんなものでしょうか?

【付記】

先ほど検索したら、この件は加倉井厚夫氏が「星めぐりの歌」に関する考証の中で、「また、アラビア星座の中に「二匹の魚」という星座があり、うち一匹の魚の口の位置がちょうどM31の位置にあたっていて、このことを賢治が知っていたかどうかも大変気になるところです。」と既に指摘されているのを知りました【LINK】

ただ、アラビアの星図の中にそれが明瞭に描き込まれていることまでは言及がなく、そのこと自体あまりポピュラーな知識とは思えないので、今後の参考として書き付けました。

『星座の書』2024年05月05日 10時14分47秒

そういえば…なのですが、以前アル・スーフィ『星座の書』の写本のファクシミリ版(複製本)をエジプトの人から購入しました。



全編アラビア語で、解説ページめいたものもないので、書写年代や原本の所蔵先等は一切不明です(手書きのアラビア語の中にそうした情報が埋もれているのかもしれませんが、そのこと自体判然としません)。星座絵の描写は素朴というか、非常に粗略なので、絵に関しては素人の手になるものではないかと想像します。

で、アンドロメダ座とアンドロメダ銀河の一件から思いついて、手元の本をパラパラやってみました。


その姿形から、おそらくこれがアンドロメダ座なのでしょう。『星座の書』では、一つの星座について、地上から見上げた星の配列と、その鏡映像(天球儀に描かれるのはこちらです)の2枚が対になって描かれており、手元の本でもそのようになっています。
イスラム世界の描写なので、アンドロメダ姫は見慣れた半裸ではなく着衣姿で、囚われの姿を意味する手鎖も描かれていません。

この絵を見ると例の魚の姿がないんですが、手元の本には上の絵とは別に、下のような絵も載っています。


アンドロメダ本体は黄色、魚は赤で星がマーキングされており、ここでは両者が別の星座と認識されているのかな?と思いましたが、でも別の個所にはこんな図↓もあって、なんだかわけが分かりません。


…と思いつつ、ウィキペディアの『星座の書』の項を見たら、

「星座絵の中には、東洋化しただけではなく、アラビアの伝統的な天文学の影響を受けて、さらに変化した星座もある。例えば、「鎖に繋がれた女(アンドロメダ座)」には、『アルマゲスト』由来の標準的な星座絵の外に、脚に「魚」が重なった姿、胴に二匹の「魚」が重なった姿、と三通りの星座絵を描いている。」

とあって、ようやく得心が行きました。
さらに、この巨魚だけを独立させたらしい絵もあって、


その口元というか、鼻先に赤い小円が描かれており、これが「小雲」、すなわちアンドロメダ銀河だと想像されます。

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ちなみに、アンドロメダ座の脇に2匹の魚が控えている…というと、「うお座」との異同を気にされる方もいると思いますが、うお座はうお座で独立した星座として描かれており、アンドロメダに密着しているのは、やっぱりアラビア独自の巨魚座です。


またアンドロメダと巨魚といえば、アンドロメダ姫を呑み込もうとした海の怪物、すなわち「くじら座」のことも連想されますが、くじら座もまた別に描かれており、巨魚座とは別の存在です。

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Karen Masters 氏は、ペンシルベニアの名門ハバフォード大学で教鞭をとる天文学者/天体物理学者で、氏が著した『The Astronomers’  Library』は、天文学者の仮想図書館に置かれるべき本を一冊一冊吟味し、その内容を順次紹介しながら、天文学史について解説するという体裁の本です。いわば「本でたどる天文学の歴史」

本書をパラパラやりながら、今日のような複製本も含めれば、結構わが家も理想のライブラリーに近づいてるんじゃないか…と慢心しつつ、でもそのほとんどは積ん読状態なので、こうして解説してもらえると、本当に助かります。それだけでも本書を購入した意味はあります。

読書の方はまだまだ続きます。

十年一剣2024年05月06日 07時51分00秒

先日、名古屋のantique Salon さんの続けてこられた「博物蒐集家の応接間」が第10回を迎えたことを記事にしました。本当の10周年は来年なのですが、イベントとしてはいよいよ10年目に入ったということで、やはり大きな節目です。

そして、島津さゆりさん(屋号・時計荘)から10周年記念展のご案内をいただき、ここでも「10年か…」と、深く感じ入りました。


■島津さゆり10周年記念個展
 「石たちの祝祭(カルナバル)」
 2024年5月14日(火)~5月19日(日)
 11時~19時(最終日は17時まで)
 会場:アートコンプレックスセンター(ACT1、ACT2同時開催)
   東京都新宿区大京町12-9-2F

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10年を長いと感じるか、短いと感じるか?
人は時間を空間に置き換えて考えがちです(そもそも。時を「長い」とか「短い」とかいうのは、空間的語彙を時間表現に転用したものでしょう)。ですから10年という時間の長短も、その間に自分がどれだけ「歩み」を進めたか、その距離感に依存している気がします。ぼんやり座り込んでいた人の10年は短く、つとめて歩みを続けた人の10年は長いということです。

個人的主観として10年はとても短いです。それは私自身にほとんど変化がないからで、まさに十年一日です。でも、島津さんにとっての10年は、まったく違った意味合いを帯びていることでしょう。

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上のような考え方は、ある意味、常識的なものと思いますが、ここでさらに思うのは、島津さんの向き合ってこられた対象が鉱物だということです。

永続的で腐朽しない石たち。
もちろん石にも生々流転はありますが、そのタイムスケールは人間のそれに比べれば、やっぱり永劫に近いものです。はかなさの美学とはおよそ対極にある不磨の美。

島津さんは自ら変化し、進化することで、石の秘密に迫ろうとされてきました。しかし、その前で光を放つ石そのものは変化を拒み、永遠の相のうちに在り続けている…その対比に、私は何か只ならぬものを感じるのです。


島津さんの作品は、鉱物の美と一瞬の人生が交錯する場面が多いように思いますが、それはまさに作者・島津さんと鉱物との関係の似姿であり、そこからさらに有限の存在である人間と永劫の世界との関係性へと思いは広がっていきます。

深い思索を誘う作品、それは間違いなく佳い作品です。

天文学者のライブラリに分け入ってみたら…2024年05月17日 17時43分20秒

更新をさぼっている間、例の 『天文学者のライブラリ(The Astronomers’ Library)』を、せっせと読んでいました(無事読了)。

先日書いたこと(こちらの記事の末尾)を訂正しておくと、最初パラパラめくった印象から、「自分の書斎も、かなり理想のライブラリに近づいているんじゃないか」…と大胆なことを書きましたが、改めて読んでみると、それは幻想に過ぎず、収録されている書物の大半はやっぱり手元にありませんでした。

といって、「じゃあ、これから頑張って理想のライブラリを目指すんだね?」と問われても、たぶん是とはしないでしょう。この本に教えられたのは、「天文学史上重要な本」と「魅力的な天文古書」は必ずしも一致しないという、ある意味当然の事実です。


たとえばニュートンの『プリンキピア』(↑)は、天文学史のみならず自然科学史全体においても最重要著作でしょうが、それを手元に置きたいか?と問われたら、正直ためらいを覚えます。読む前から理解不能であることは明らかだし、挿図の美麗さとか、造本の妙とかいった、書物としての魅力に富んでいるとも言い難いからです。(『プリンキピア』を人間理性の金字塔とただちに解しうる人は幸せです。そういう人を除けば、たぶんその魅力は「分からない」点にこそあるんじゃないでしょうか。「分からないから有難い」というのは倒錯的ですが、仏典にしても、抽象絵画にしても、そういう魅力は身近なところにいろいろあります。)

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そうした意味で、私が本書で最も期待したのは、第5章「万人のための天文学 Astronomy for Everyone」です。著者はその冒頭でこう書いています。

 「この章を完璧なものとする方法はないし、これまでに出版された教育的天文書を網羅することも不可能だ。したがって、ここでは面白い挿絵のある本や、顕著な特色のある本をもっぱら取り上げることにしよう。率直に言ってこれらの本の多くは、単に目で見て面白いだけのものに過ぎないが。」

なるほど、「面白い挿絵のある本」や「目で見て面白い本」、こうした本こそ、私を含む天文古書好きが強く惹かれるものでしょう。確かに目で見て面白いだけのものに過ぎないにしても―。

とはいえ、この章における著者のセレクションは、あまり心に刺さらないなあ…というのが正直な感想でした。ここにはメアリー・ウォードの『望遠鏡指南 Telescope Teachings』(↓)も出てくるし、


ロバート・ボールの『宇宙の物語 The Story of yhe Heavens』や、愛すべき『ウラニアの鏡 Urania’s Mirror』(↓)も出てきます。


でも、この分野では不可欠といえる、カミーユ・フラマリオンの『一般天文学 Astronomie Populaire』は出てこないし、ファンの多いギユマンの『天空 Le Ciel』も、ダンキンの『真夜中の空 The Midnight Sky』も、スミスの『図解天文学 Smith’s Illustrated Astronomy』も、いずれも言及すらされていないのは、一体どういうわけか?

愛らしく魅力的な天文古書はいろいろあるのになあ…と思いつつ、現代の職業研究者(天文学者/宇宙物理学者)である著者は、こうしたポピュラー・アストロノミーの著作に必ずしも通じていないのだろうと想像されました。こういうと何となく偉そうに聞こえますが、別に私が偉いわけではなくて、やっぱりこの手の本は、今では学問的というよりも、完全に趣味的存在だということでしょう。

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というわけで、自分にとって理想のライブラリは、己の琴線に触れるものを一冊ずつ吟味し、拾い集めた末にできるものであり、そう考えれば、今の私の書斎こそ“私にとって”理想のライブラリにいちばん近いのだ…という結論に再び落ち着くのです。書斎とその主との関係を男女にたとえれば、まさに「破れ鍋に綴じ蓋」、「Every Jack has his Jill」じゃないでしょうか。

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うーん…ちょっと月並みな結論になりましたね。そして負け惜しみっぽい。
美しく愛らしい天文古書をずらっと紹介した本があれば、もちろん読んでみたいし、それを参考に購書計画を立ててみたいですが、でもそんな都合のいい本はなかなかないですね。

庭仕事と悟性2024年05月19日 16時15分30秒



アジサイの仲間である甘茶の花が咲き、山桜桃(ゆすらうめ)の実も少しずつ色づいてきました。この時期は植物がぐんぐん成長するので、ちょっと見ない間に庭の様子もずいぶん変わります。

それだけ庭仕事の忙しい時期で、殺伐とした最近のツイッター(X)でも、「庭仕事」で検索すると、日本中で庭仕事に励んでいる人たちの投稿がずらっと出てきて、しばし心がなごみます。私も狭い庭で汗を流すのが好きなので、大変だ大変だと口では言いながらも、それを十分楽しんでいます。

もちろん世の中には庭仕事が好きな人ばかりではありません。
親から相続した緑の濃い庭を、手入れが大変だという理由で、全面掘り起こしてコンクリートで固めた…という話も現に見聞きするので、そうした例を思えば、わが家の場合は庭にとっても、その主にとっても、幸せな関係だと言えると思います。

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今から14年前、ヤフー知恵袋に某氏が投稿した質問【LINK】

「長方形の面積についてですが、例えば長方形の周の長さを26cmとします。
縦11cm、横2cmとすると面積は、22平方cmとなります。
しかし同じ周の長さで、縦7cm、横6cmとすると面積は42平方cmとなります。
なぜ周の長さは、同じなのに比率を変えるだけで面積は変わるのでしょうか?
だれに聞いても答えられません。
だれか教えてください。」

そのベストアンサーはリンク先に書かれているので、興味のある方はご覧いただければと思います。

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なんで唐突にこんな引用をしたかというと、わが家の庭仕事が(楽しいながらも)大変なのはなぜか?と考えたからです。

「庭仕事が大変だ」というと、「さぞお庭が広いのでしょうね」という反応をされる方もいると思うのですが、わが家の庭は言うまでもなく狭いです。しかし「長い」のです。


パースが簡単にとれるぐらい長くて、これはわが家が変形敷地、いわゆる旗竿地だからです。


狭いけれども長い…というのがこの場合味噌で、長ければ長いだけ、敷地境界沿いに植わっている植物も多くなり、それが多くの庭仕事を生んでいるわけです。ヤフー知恵袋が説く如く、周囲の長さが同じでも面積は異なる…つまり裏を返せば、同じ面積でも形状によって周囲の長さは大きく異なるのです。

(よく言えば「市中の山居」っぽい感じ)

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余談に流れますが、この周囲の長さと面積に関連して、大変おもしろい論文を読みました。そもそも、人はなぜ上の知恵袋のような質問を発したくなるか?という点に関わるものです。

■西林克彦、「面積判断における周長の影響―その実態と原因―」
 教育心理学研究 第36巻第2号(1988)、pp.120-128.
 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/36/2/36_120/_pdf

掲載誌名から分かる通り、教育心理学分野の論文です。その冒頭部より。

 「ある図形の面積が、その周囲の長さ(周長)に影響されて誤判断されやすいことはよく知られている(銀林、1975)。とくに顕著 なのは周長が同じであると面積までが同一であるとみなされる傾向である。したがって小学校算数教科書に、その点に留意した記述が見られるものもある。細谷(1968)は、小学校2-4年生に周長を等しく保ちながら長方形を平行四辺形の形に押しつぶして面積の比較をさせ、各学年とも、面積は同じであって変わらないとする反応が過半数に達する結果を得たという。」

周長が等しければ面積も等しい…というのは、上の知恵袋で見たように、明らかに間違った考え方です。しかし小学生を被験者にして実験すると、そうした間違った考え方が2年生から4年生に至るまでずっと保持され続けている(つまりこの点では4年生も2年生と変わらない)という、不思議な結果を示しています。

著者・西林氏はこの点に焦点を当てて実験を重ね、その結論は以下のとおりです(太字は引用者)。

 「周長の面積判断への影響は、面積概念の混乱や未成熟さに帰せられるものではないことは明らかである。それは保存の概念を経由して入り込んでくるのであり、成長し保存の概念を獲得したが故に誤るようになるのである。Bruner (Bruner et al., 1966) は、「成長によるエラー」を、「正確にいうなら、1つの表象システムと、いま1つの表象システムとの間に照応性や一致性をうちたてようとして、うまくゆかない最初の段階を示しているのである」として、表象システム間に限っているが、もっと一般化してよい概念だと思われる。」

つまり子供たちは成長につれて、見た目の変化に影響を受けない「保存」という概念を獲得し(これは高度に抽象的な概念です)、それを周長と面積の関係に不適切に応用してしまうため、結果的に誤った判断をしてしまうということです。ここで正しい判断を下すためには、さらにもう一段階成長を遂げる必要がありますが、次の段階にいけない人も多いことはヤフー知恵袋が証明しています。

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上のことは人間理性のありようを考えるとき、きわめて示唆に富んだ話だと思いました。ひょっとして、人間がこの先いかに進化しようとも、神の視点からすれば同じようなことが繰り返されるのかもしれません。

庭仕事の合間にそんなことを考えました。

具注暦を眺める(前編)2024年05月21日 18時00分27秒

このところ、大河ドラマ「光る君へ」を毎週見ています。
最近の大河ドラマの常として、今作でも「光る君へ紀行」というゆかりの地を紹介するショート動画が最後に流れるんですが、前々回(第19回)は、藤原道長(966-1028)の自筆日記『御堂関白記』と、それを今に伝える陽明文庫(近衛家伝来文書の保管施設)を紹介していました。

(『御堂関白記』長保2年(1000)上巻。出典:特別展「源氏物語の1000年―あこがれの王朝ロマン―」(2008年、横浜美術館開催)図録)

『御堂関白記』ももちろんすごいのですが、『御堂関白記』は当時の「具注暦」の余白に書かれており、平安時代の暦の実物がそのまま残っているというのもすごいことです。

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具注暦というのは、「日の吉凶に関する“暦注”を具(つぶさ)に記した暦」という意味で、その意味では昔の暦はみんな具注暦ということになりかねませんが、この名称を使うのは、もっぱら「漢文で書かれた巻物状の暦」を指す場合に限られます。そのため後に普及した「仮名暦」に対して「真名暦」とも呼ばれます。

(同寛弘8年(1011年)上巻。出典同上)

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一方、天体の運行を基準にして、暦そのものを作成する方法、すなわち「暦法」にもいろいろあって、「儀鳳(ぎほう)暦」とか、「大衍(たいえん)暦」とか、「宣明(せんみょう)暦」とか、長い歴史の中で様々な方式が採用されてきました。暦注の方ははっきり言って全て迷信ですが、月の朔望や上下弦、日月食等、客観的な天文事項も暦には記載されており、それを計算するアルゴリズムが即ち暦法です。そして予測と実測のずれが大きくなると暦法の変更が求められ、「改暦」が行われるわけです。

具注暦はあくまでも「漢文による暦注+巻子本」という物理的フォーマットに係る名称ですから、正確にいえば「大衍暦に基づく具注暦」とか、「宣明暦に基づく具注暦」とか、「貞享暦に基づく具注暦」とか、いろいろな具注暦がありえます(仮名暦が普及した江戸時代でも、具注暦はかしこき辺りへの献上用として作られ続けました)。

暦法の中でも有名なのが、平安前期(862年)から江戸前期(1684年)まで、延々と800年以上にわたって使われ続けた「宣明暦」で、『御堂関白記』も当然この宣命暦に基づく具注暦に書かれています。

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ところで、平安当時の暦注を作成したのは誰なのか?安倍晴明あたりが関わっていたのかな?…と思ったんですが、これはどうも違うらしいです。

日本のテクノクラート(技術官僚)は家ごとの専業化が著しく、その専門技術を家業として代々世襲しました。まあ、この点では平安時代も江戸時代もあまり変わらないと思いますが、和歌の家、蹴鞠の家などと並んで、「暦道の家」というのが昔から決まっていて、平安時代ならそれは加茂家です。したがって、暦注を書いたのもこの加茂家ということになります。

加茂家は暦道・天文道・陰陽道の三道を兼帯した家ですが、弟子の安倍晴明があまりにも抜きんでた存在だったので、以後天文道は安倍家に任せることとし、加茂家は暦道をもっぱらとするという住み分けが生じました(陰陽道は両家がともに所掌)。

暦と天文は切っても切り離せない関係にありますが、業としての天文道は、絶えず空を見上げて天変を察知し、その意味するところを帝に奏上する仕事なので、暦作成のようなルーチンワークとはかなり性格が異なります。いずれにしても、安倍家があのこまごました暦注作成に関わることは、基本なかったはずです。

(とはいえ、室町時代に加茂家の正系が絶えると、安倍家の直系である土御門家が一時暦道の家を兼ねたこともあるし、安倍家の一族から加茂家の分家を継ぐ者が出て、新たに幸徳井家を興し、これが江戸時代の暦道家となったり…と、後の時代にはいろいろ混交したので、「暦道の加茂家、天文道の安倍家」という区別は、あくまでも平安~鎌倉に限っての話です。)

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さて、記述がくだくだしくなりました。
以上の話は前振りで、具注暦の現物を探していてちょっと変わった品を見つけた…というのが今回の話の眼目です。

(この項つづく)

具注暦を眺める(後編)2024年05月23日 05時15分20秒

大河ドラマのストーリーは、今週の段階で、長徳2年(996)まで進んできました。
この年は藤原道長が政敵を追い落とし、権力を掌握する山場となった「長徳の変」が起こった年であり、一方、主人公の紫式部は――ドラマの中ではまだ紫式部ではなく、「まひろ」と呼ばれていますが――父親である藤原為時の越前国司抜擢にともない、父とともに越前に下った年です。

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その長徳2年の具注暦が手元にあります。

(下辺と右辺の色が濃いのは日焼けによる変色。約28×42.5cm)

具注暦の現物を探していて見つけました。
『御堂関白記』で現存するのは、長徳4年(998)以降のものなので、長徳2年の具注暦はすこぶる貴重です。


といって、もちろん本物ではありません。平成8年(1996)に、「現存しない長徳2年の具注暦の内容はたぶんこうであろう」という考証の末、復元されたものです。


復元に当たったのは青山学院女子短大の藤本勝義氏(国文学)。形態は巻子本ではなく、ばらばらの和紙に刷られていますが、これを表具屋に出して巻物にしてもらえば、より本物らしくなるでしょう。

(奥付)

この具注暦が作られたのは、ずばり紫式部の遺徳によります。
同封されている藤本氏の送り状には、その間の事情がこう書かれていました。

 「〔…〕昨年は紫式部の越前下向一千年に当たり、福井県武生市を中心に、華やかできめ細やかな千年祭行事が催されました。紫式部の通った木の芽峠、湯尾峠などを越える国司下向の旅では、馬が横倒しになり動けなくなるなどのハプニングも生じましたが、紫式部、為時らに扮した一行が峠を上り下りする姿は、千年の時を越えたハイライトでした。

 さて、その千年祭の折、紫式部が武生で見た暦―長徳二年具注暦―を復元・発行しました。原稿を私が執筆・作成し、能筆の前武生市立図書館長の加藤良夫氏が「御堂関白記」具注暦の書体・形式に準じて書写し、越前和紙に印刷したものです。

 今回は正月・六月(越前下向の月)・九月・十月(紫式部が暦を見て歌を詠んだ月)の四カ月分を作成しました。〔…〕」

つまり、本品は今から28年前、「紫式部、越前下向1000年」を記念するイベントが福井県で開催された際、それにちなんで制作され、関係各方面に配られたものです。体裁は『御堂関白記』を参考に、それを一部簡略化(朱書と縦罫を省略)してありますが、これは許容範囲内でしょう。

特筆すべきは、具注暦を現代人が見てもチンプンカンプンでしょうが(少なくとも私はそうです)、この復元品には藤本氏による簡明な解説メモ↓が付いていて、これを見れば一目瞭然…とまでは言いませんが、その構成がおぼろげに分かるのは大層有難いです(メモは下の1枚だけで、暦全体に及ぶわけではありません)。


1000年前の人々の精神世界を律していた暦。
その実際を、こうして手に取って眺めるのは興の深いことで、大河ドラマを見る際も一層力こぶが入ります。