庭仕事と悟性2024年05月19日 16時15分30秒



アジサイの仲間である甘茶の花が咲き、山桜桃(ゆすらうめ)の実も少しずつ色づいてきました。この時期は植物がぐんぐん成長するので、ちょっと見ない間に庭の様子もずいぶん変わります。

それだけ庭仕事の忙しい時期で、殺伐とした最近のツイッター(X)でも、「庭仕事」で検索すると、日本中で庭仕事に励んでいる人たちの投稿がずらっと出てきて、しばし心がなごみます。私も狭い庭で汗を流すのが好きなので、大変だ大変だと口では言いながらも、それを十分楽しんでいます。

もちろん世の中には庭仕事が好きな人ばかりではありません。
親から相続した緑の濃い庭を、手入れが大変だという理由で、全面掘り起こしてコンクリートで固めた…という話も現に見聞きするので、そうした例を思えば、わが家の場合は庭にとっても、その主にとっても、幸せな関係だと言えると思います。

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今から14年前、ヤフー知恵袋に某氏が投稿した質問【LINK】

「長方形の面積についてですが、例えば長方形の周の長さを26cmとします。
縦11cm、横2cmとすると面積は、22平方cmとなります。
しかし同じ周の長さで、縦7cm、横6cmとすると面積は42平方cmとなります。
なぜ周の長さは、同じなのに比率を変えるだけで面積は変わるのでしょうか?
だれに聞いても答えられません。
だれか教えてください。」

そのベストアンサーはリンク先に書かれているので、興味のある方はご覧いただければと思います。

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なんで唐突にこんな引用をしたかというと、わが家の庭仕事が(楽しいながらも)大変なのはなぜか?と考えたからです。

「庭仕事が大変だ」というと、「さぞお庭が広いのでしょうね」という反応をされる方もいると思うのですが、わが家の庭は言うまでもなく狭いです。しかし「長い」のです。


パースが簡単にとれるぐらい長くて、これはわが家が変形敷地、いわゆる旗竿地だからです。


狭いけれども長い…というのがこの場合味噌で、長ければ長いだけ、敷地境界沿いに植わっている植物も多くなり、それが多くの庭仕事を生んでいるわけです。ヤフー知恵袋が説く如く、周囲の長さが同じでも面積は異なる…つまり裏を返せば、同じ面積でも形状によって周囲の長さは大きく異なるのです。

(よく言えば「市中の山居」っぽい感じ)

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余談に流れますが、この周囲の長さと面積に関連して、大変おもしろい論文を読みました。そもそも、人はなぜ上の知恵袋のような質問を発したくなるか?という点に関わるものです。

■西林克彦、「面積判断における周長の影響―その実態と原因―」
 教育心理学研究 第36巻第2号(1988)、pp.120-128.
 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/36/2/36_120/_pdf

掲載誌名から分かる通り、教育心理学分野の論文です。その冒頭部より。

 「ある図形の面積が、その周囲の長さ(周長)に影響されて誤判断されやすいことはよく知られている(銀林、1975)。とくに顕著 なのは周長が同じであると面積までが同一であるとみなされる傾向である。したがって小学校算数教科書に、その点に留意した記述が見られるものもある。細谷(1968)は、小学校2-4年生に周長を等しく保ちながら長方形を平行四辺形の形に押しつぶして面積の比較をさせ、各学年とも、面積は同じであって変わらないとする反応が過半数に達する結果を得たという。」

周長が等しければ面積も等しい…というのは、上の知恵袋で見たように、明らかに間違った考え方です。しかし小学生を被験者にして実験すると、そうした間違った考え方が2年生から4年生に至るまでずっと保持され続けている(つまりこの点では4年生も2年生と変わらない)という、不思議な結果を示しています。

著者・西林氏はこの点に焦点を当てて実験を重ね、その結論は以下のとおりです(太字は引用者)。

 「周長の面積判断への影響は、面積概念の混乱や未成熟さに帰せられるものではないことは明らかである。それは保存の概念を経由して入り込んでくるのであり、成長し保存の概念を獲得したが故に誤るようになるのである。Bruner (Bruner et al., 1966) は、「成長によるエラー」を、「正確にいうなら、1つの表象システムと、いま1つの表象システムとの間に照応性や一致性をうちたてようとして、うまくゆかない最初の段階を示しているのである」として、表象システム間に限っているが、もっと一般化してよい概念だと思われる。」

つまり子供たちは成長につれて、見た目の変化に影響を受けない「保存」という概念を獲得し(これは高度に抽象的な概念です)、それを周長と面積の関係に不適切に応用してしまうため、結果的に誤った判断をしてしまうということです。ここで正しい判断を下すためには、さらにもう一段階成長を遂げる必要がありますが、次の段階にいけない人も多いことはヤフー知恵袋が証明しています。

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上のことは人間理性のありようを考えるとき、きわめて示唆に富んだ話だと思いました。ひょっとして、人間がこの先いかに進化しようとも、神の視点からすれば同じようなことが繰り返されるのかもしれません。

庭仕事の合間にそんなことを考えました。

コメント

_ S.U ― 2024年05月19日 18時37分02秒

面白い問題ですね。知恵袋の回答は懇切で素晴らしいと思います。

私はなんでも無粋に金額に換算してしまうのですが・・・
確か、土地の評価額は、奥行き方向に長細い形だと面積よりも割引されるのだったと思います。としますと、1つの土地を道の方向に直角に短冊状に区切って処理すれば、固定資産税とか相続税とか登記免許税とか金銭面で変化が起こるのかなとか考えます。

それから、宅配便の料金も縦横高さの合計でサイズが表現されて体積になっていませんよね。あれも、納得いかないのですが、どうなのでしょう。容積を考えると立方体に近い箱が金銭的に有利になりますが、運送会社は立方体の箱が増えると嬉しいのでしょうか。

 どうでもいいですが、そういうことを時々考えています。

_ 玉青 ― 2024年05月21日 18時11分20秒

おお、これは妙なところに注目されましたね(笑)。

思うに、ご質問の前半と後半は同じ原因に発する2つの現象と思います。その共通因とは、ずばり「細長いものは扱いにくい」ということです。
建設用地として細長い土地が好まれないのはもちろんで、だからこそ評価額も下がるのでしょう。(京町家のような特殊な工夫をしても、やっぱり住みにくいし、今だとセットバック規制とかもあるのでなおさら使い勝手が悪いです。)

物品の場合は、細長いほうが運搬に便利な状況も一部あるんでしょうが、一般的には積み下ろしがしにくいし、他の荷物と混載しにくいですよね。それゆえの料金設定ではないでしょうか。(60サイズとか90サイズというのは、要するに長さの上限規定という気がします。)

_ S.U ― 2024年05月22日 07時22分49秒

なるほど、やはり細長い物は扱いにくいということですね。
数学的、経済学的には、「和則」がなり立たない点が注目されます。短冊上に分割すると総額が安くなるとか、逆に、80サイズの荷物を2つ合体した(しっかり縛り付ける)場合は、100サイズ、120サイズになる場合もあれば、極端に細い物を束ねるだけなら80サイズのままのこともあるということです。

>細長いほうが運搬に便利な状況も一部
 市が無料で回収するゴミがそうですね。可燃ゴミでも不燃ゴミでも袋のサイズとか最大長さとかありますが、うちの市では極端に細長いホウキとか掃除機のパイプとゴルフクラブとかは最長長さを多少超えてもそのままで回収してもらえるようです。これは、運搬しやすいというよりかは、焼いたり廃棄場に並べたりときは、細長い方が効率的ということがあるのかなと思います。

_ 藤子 ― 2024年05月24日 03時43分10秒

余り作り込まず、自然体に植物が生息している様な雰囲気が好きなので、緑の濃い葉が鮮やかに生い茂る、素敵なお庭ですね🍀🌿。

_ 玉青 ― 2024年05月24日 17時24分53秒

ありがとうございます!
ものは言いよう…というと、失礼な物言いになりますが、藤子さんにそう仰っていただくと、なんだかとても素敵な庭のように思えてきます。

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