【閑語】小人、首都に蟠踞す2024年06月15日 10時03分57秒

他人が話しているのを聞いていると、「言葉」と「心」の距離ということについて、時折考えさせられます。たとえば、相手は盛んに言葉を発しているんだけれども、「ああ、この人の心は今ここにないな」と感じられる瞬間とかです。

典型的にはお役人の答弁だったり、政治家の記者会見だったりですが、最近話題の小池百合子氏にも、それを強く感じます。彼女の場合、メディアに露出している場面では常にそういう感を抱かせるので、一種の解離性障害ではないか?と、真剣に心配しています。

“脳の一部が単語列を生成し続けているが、心を司る部位がそこに一切関与していない”という意味で、ネットで瞥見した「AI ゆりこ」は、小池氏ご本人に生き写しで、本当によくできているなあと、感心することしきりでした。


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ただ、AIと違って生身の小池氏にも当然「心」はあるわけで、それが端無くも露呈する場面があります。すなわち、必要以上に薄ら笑いを浮かべて、人を馬鹿にする態度がありありと見て取れる場面です。あれはつまらないマウント取りなのか、それ以上の底意があるのかわかりませんが、たしかに不愉快ではあるけれども、そこには一人の生きた人間がいるという意味で、ちょっとホッとできたりもします。

とはいえ、そんな態度を露骨にとること自体、自分が愚昧な小人だと喧伝しているようなもので、もとより将の器に非ず、そんな人間が人の上に立とうなんておこがましいにも程があるぞ…と思わなくもありません。

好んであんな奸佞な人物を推戴するまでもなく、世間には立派な夫子(ふうし)も大勢いますし、首都に住まいする人々はよくよく考えていただきたいと、外野から願っています。

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