青い月の物語2024年06月30日 15時10分33秒

じめじめ、じとじと、むしむし。
雨は雨で風情もありますけれど、当分すっきりした星空は望めそうにありません。
何かさわやかなものはないかな?と思って、一冊の小さな画集を手に取りました。


■小浦 昇 『青い月の物語 BLUE MOON』
 ダイヤモンド社、1998

巻末の紹介によると、小浦さんは1949年埼玉県の生まれ。多摩美大を出られたあと、1979年までは黒インクのみの版画制作をされていたそうですが、以後は一転して黒インクを使わない作品づくりをされるようになったとのこと。「あとがき」には、「実は個展のたびに画集を要望されていました。今回幸いにも、ダイヤモンド社から上梓する機会に恵まれ、ご期待にそえたのではないかと思います。」とあって、本書は小浦さんの第一作品集です。

実は最初拝見したとき、若い作家さんが最近出された本なのかな?と思ったんですが、小浦さんの経歴と本の出版年を見て、軽い驚きをおぼえました。それだけ作品すべてが、みずみずしい清新さにあふれていたからです。


それにしても、この作品世界、


いかにもタルホチックだなあ…と思いましたが、それも道理で、新潮文庫の『一千一秒物語』のカバー装画を担当されたのも小浦さんなのでした。


「あとがき」には、「人工の光が全くない月明かりだけの世界にいると、科学的物理的に疑いようのない存在でありながら、喜びや恐れなどの不可解な意識をもった自分を自覚するのです。私はそれをテーマに作品を制作してきました。」ともあります。

自分自身の存在の不確かさ。
現実世界の裂け目から顔をのぞかせる異界の気配。

月明かりは、それらを必然的にたぐり寄せてしまいます。
小浦さんの作品はモダンなファンタジーのようでいながら、そうしたヒトの記憶の古層に働きかける部分があって、そこに一種ただならぬ魅力があるのでしょう。


本書は小浦さんの作品に青居心さんが詩を添えた画文集にもなっています。


この時期におすすめしたい一冊。

コメント

_ S.U ― 2024年06月30日 18時48分39秒

この『一千一秒物語』の表紙絵はけっこう好みです。青っぽくなくて、ファンタジーっぽくなくて日本的で好きです。ネコも黒くなくて茶色でいいです。
 この大きな建物はなんだと思われますか? 本当は洋酒バーなのでしょうが、ぱっと見では、お風呂屋さんか遊技場がついている施設ではないかというのが私のイメージです。

_ 玉青 ― 2024年07月02日 19時31分11秒

もとの表紙絵を子細に観察すると、このお店は1階も2階も丸テーブルに酒瓶が載っており、仰る通り酒食を提供する店のようです。その軒先を飛び交う蝙蝠。毀れた街灯からはスポットライトのような光が差し、黒猫をくっきりと浮かび上がらせ(この絵は影も茶色で表現しているので、この「茶猫」は本来黒猫なのでしょう)、地面には無数の三日月の影が散り、そしてお月様本体は路地にぽつねんと浮かび、店の看板にも三日月が…。ドラマはすでに始まっているのか、これから幕を開けるのか、1枚の絵からもいろいろ想像が広がりますね。

_ S.U ― 2024年07月03日 06時39分10秒

この猫は、やはり黒猫なのか、三日月の影は、何が作っているのか、空にある複数の恒星か、それとも、他にも小さいな三日月が地上付近を飛び交っているのか、いろいろ想像が広がります。

今は感じることはなくなりましたが、昔は月夜が青かったです。本当に青かったです。今は青くありません。実際、月の光は元は太陽光だから青いはずがなく、思うに、これは、かつては、人間が夜間に暖色系の灯火のもとで暮らしていたので、夜間には目の感色が自然に感覚的にシフトしていたということではないかと思います。当時のバーもやはりだいたいどこも暖色系だったと思うのですが、どうだったでしょうね。

_ 玉青 ― 2024年07月04日 05時42分18秒

>本当に青かった

暖色系灯火との対比効果で、月下の光景が青っぽく感じられる、あるいは感じられたというのは、大いにありそうなことかと。それと昔と今の対比でいうと、光害で夜空そのものが明るくなってしまったことや、加齢によって青い光を感じにくくなる(※)ことなんかも、その印象変化に影響しているかもしれません。

それとふと思ったんですが、お月様の光が太陽の光に他ならないとすると、ひょっとしてものすごく目の感度(色覚も含めて)のいい生き物がいたら、月夜の晩は、頭上に爽やかな青空が広がって見えるんでしょうかね。石川賢治さんの写真集『月光浴』を見ると、あれはどれぐらい画像をいじっているのかわかりませんが、たしかに「夜の青空」の写真集でもありますね。

(※)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpnjvissci/41/4/41_41.56/_html/-char/ja

_ S.U ― 2024年07月04日 07時20分42秒

議論のための資料をありがとうございます。

 まず、老化の件ですが、半分くらいは私の主観ですが、経年変化で透明度が悪くなり、短波長の吸収が増えて黄色っぽく見えるようになるというのは、光学材料の一般の性質であって、本当に眼でも起こっていると思います。しかし、普通の適度な光量では脳が補正するかわかりませんが、色がずれて感じられることはなく、たとえば、明るい純白の壁板を見るとかだと黄色っぱく見えるかもしれませんが、日常でそれを感じることは少ないし、もともと赤い物は赤、青い物は青以外には見えないはずです。また、加齢で光量が多い場合は、おそらく白内障の症状で、色がずれて感じられます(これは、眼球内で視神経に迷光が届くためと思います)。しかし、これも、光量が適度だと起こりません。人でテストする場合は、光量を指定しかつ変化させて実験することが必須と考えます。
 ただし、人の好みは変わりますね。夜の灯火だと、若い時は寒色系が好きだったけれども年を取って暖色系が好きになったとか、これは、飲み屋や店の照明などで研究されているでしょうが、個人の生活環境経験によるところが大きく、加齢の生理ではないでしょう。私は上のような変化を遂げていますが、逆向きの人がいても不思議ではありません。

 次に月光の色の件ですが、目の感度が良ければ、月夜の空は間違いなく青色に見えるはずです。ムーンボウ(月虹)の写真があちこちに出ていますが、ちゃんと7色ついています。(ただし、肉眼では色は見えないそうです)散乱や屈折や干渉による色現象は、光子が1個でも起こる量子単位の現象なので、光の強度は関係ないはずで、月夜の「空」は青いはずですね。ただ、最近のカメラは、被写体の雰囲気に合わせて勝手に色調補正まですることがしばしばですので、実験の時は、補正無しのRAW画像を確認する必要があります。
 だとすると、こんどは月の光が青いのは空の色かという疑問になりますが、(私もそれは若い頃に考えたことがあります)やはりそうではなく、空は当然青いとしても、月の光が白っぽいコンクリートや屋根板や積雪を直接照らしているところまで青く見えたので、これは、昼間の地上物を思い出すと青いはずはなく、光量が少ないと人間は色の対比を過大に感じるようになるとか、脳が騙されやすくなる問題だと思います。という意味でも、人で試験する時は、光量を変化させて記録することが重要と思います。残念ながら、昨今は、月の光を青いと感じること自体がなくなったので、自分で確かめるのは困難になりました。

_ 玉青 ― 2024年07月05日 06時04分58秒

深掘りありがとうございます。これは話がだいぶ深いところに入ってきましたね。
私もこれ以上特に思案はないのですが、「月の錯視」になぞらえて、この「月がとっても青いから」現象を「青い月の錯視」と呼ぶことにしてはどうでしょうか。

まあ、これは錯視でもなんでもなくて、本当に青いのかもしれないんですが、ただ「月の錯視」と同様、「青い月」の方もきっと複数の要因が絡んでいて、どれか1つだけが正解ということもない気がします。

悩ましいのは、物理的な「色」と心理的な「色覚」の関係で、両者が共変関係にあることは間違いありませんが、それは因果関係ではなく、必ずや交絡因子があるはず…とかなんとか、分かってないことを、さも分かっているように言ってはいけませんが、極端な話、物理的刺激がなくても色覚は生じるし、夜見る雪は昼間見る石炭よりも「黒い」はずなのに、やっぱり白く見えるとか、色をめぐる話題はややこしくて、そこがまた興味深いところです。

…というわけで、今日の記事に続けます。

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