【閑語】東京湾を眺めながら ― 2024年08月14日 16時05分31秒
「東京湾と一口にいうけどさ、海岸線を近くでよーく見ると、出っ張ってるところや引っ込んでいるところが一杯あってね、立派な岬もあれば、名のある支湾もあるんだよ。だから、これはまあ、君が思っているほど単純な世界じゃないのさ。」
…と訳知り顔でいう人がいたとして、それで「東京湾は湾である」という明白な事実が覆るわけではありません。
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「イスラエル政府のやっていることは、単なる虐殺行為である」という主張も、東京湾が湾であるのと同じぐらい明白なことと私には思えます。さかしらなことを言ったり、あえて煙に巻こうとする人がいたら、大局的に見てダメなものは、やっぱりダメだと、はっきり言わないといけません。
先日の長崎の一件で、アメリカをはじめとする各国大使の言い分を聞きながら、そんなことを思いました。
コメント
_ S.U ― 2024年08月15日 05時23分50秒
_ 玉青 ― 2024年08月16日 19時30分18秒
難しいなあと思うのは、上の東京湾の理屈は、屁理屈のようでいながら、別に間違っているわけではないことです。問題はそれが「東京湾は湾にあらず」みたいな妙な主張と合体したときで、そうなると途端に「為にする論」になって、ダメダメ感が出てきます。
一般に「論」というのは、そこで展開される理屈と、その理屈の向こうにある「言いたいこと」がないまぜになっていることが多いと思いますが、両者は分けて考えたほうがいいですよね(「理屈は正しいけど、主張は間違っている」という例は少なくないと思います)。ときにそれが難しい場面はあるにしても、心せねばならぬ点だと思います。
一般に「論」というのは、そこで展開される理屈と、その理屈の向こうにある「言いたいこと」がないまぜになっていることが多いと思いますが、両者は分けて考えたほうがいいですよね(「理屈は正しいけど、主張は間違っている」という例は少なくないと思います)。ときにそれが難しい場面はあるにしても、心せねばならぬ点だと思います。
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でも、それでもなおかつ、多くの平和主義者にとっては、仮に「防衛的」意味があるとしても、核兵器は核兵器であり、攻撃にいつでも使え、そして数もどう見ても少ないとは言えないのだから、大局的事実を動かすことは出来ず、ソ連の核も反核運動の対象とせざるをえず、結局突き詰めて言えることは、ソ連の核兵器は米国のそれとは「多少なりとも事情や意味が違うだろう」ということのみであったと言えます。そして、米国とソ連は、性格も国際的環境も全然違う国なので、意味が多少なりとも違うことは当然であり、なにも賢しらに述べて結論がどうなるものではないというのは今日疑う人はもういないのではないかと思います。平和主義者の内輪もめも収束する方向となりました。それにも関わらず、今日にいたるも、かつての親ソ社会主義者と似たような屁理屈で、核保有弁護の屁理屈をこねる人たちが今度は保守派にけっこう残っているように感じます。
というようなことを、発見というほどでないにしても、今回、東京湾の画像とイスラエルの攻撃についてのご主張を見ながら考えました。「東京湾とカリフォルニア湾はぜんぜん違う」というのは地理学上は有用な情報であると同時に、「そらそうですな、当たり前ですな、同じ湾でもだいぶ違いますな」と気持ちよく応対できる情報でもあります。