朝顔と彦星 ― 2024年10月20日 09時26分20秒
ちょっと箸休めです。
今朝、露地に朝顔が咲いていました。
特に植えた記憶はないのですが、野生化して毎年実生で勝手に生えてきます。
さらにその隣には桔梗も一輪咲いていました。
こちらは2年前に植えたものが、うまく根付きました。
朝顔はその種子が下剤になるというので、平安時代に薬用植物として渡来し、以後「あさがお」といえば、このヒルガオ科の可憐な花を指すようになりましたが、それ以前、万葉集に出てくる「あさがお」は、今の桔梗ないし槿(むくげ)を指すと、ものの本には書かれています。
こうして新旧の「あさがお」が並んで咲いているのは、興の深いことと思いました。
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ときに朝顔は上のような次第で、最初は「あさがお」と呼ばれず、漢名で「牽牛」と呼ばれたと聞きます(薬品名としては、「牽牛の種」の意味で「牽牛子(けんごし)」)。
この名は七夕の牽牛(彦星)と関係があるのかないのか?
今のように温暖化する前は、朝顔はたしかに旧暦の七夕の時期(おおむね8月頃)に咲いたので、そこに結びつきを感じるのは自然なことで、実際「そういう説もある」みたいなふわっとした記述もネット上では散見されます。
まあ無責任な伝聞や噂話の類はとりあえず脇に置いて、ちゃんと典拠を示して解説されているページがあったので、ようやく合点がいきました。
■ほーほの落穂ひろい:アサガオの別名
著者hoch氏によれば、平安時代の『倭名類聚抄』にその記述があり、もとの漢文を読み下すと「陶隠居本草に牽牛子と云う。此田舎に出て凡人之を取る。牛を牽いて薬に易(か)う。故に以って之を名づく」とあり、ここに出てくる「陶隠居本草」とは、中国六朝時代の陶弘景(456-536)が著した『本草集注』〔神農本草経集注/集注本草〕である由。
つまり、中国の古い医書ないし本草書に、名前の由来とともに出てくるのが大元で、朝顔が貴重だった時代、牛を引っ張って行って、それと換えるほど高価だったから…というのが、その由来のようです。
結局、ともに「牛を牽(ひ)く」という共通点はあるものの、七夕の牽牛と植物の牽牛の間に直接の関係はない…というのが話の結論です。
(他人のふんどしばかりでもいけませんので、江戸時代に編まれた貝原益軒の『大和本草』からも該当箇所を挙げておきます。ただし、ここに牽牛の由来はありませんでした。出典:中村学園大学・貝原益軒アーカイブ)
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なお、hoch氏の考証は、“「けんごし」は元々「牽牛子」ではなく「牽午子」ではなかったろうか?”という仮説を追及されるためのものでしたが、牛黄(ごおう)、牛頭天王(ごずてんのう)等、牛を「ご」と読む例はあるので、「牽牛子」もそれと同類かもしれません。
でも、ここでさらに「うし(牛)」と「うま(午)」は、なんで漢字がそっくりなんだろう?という疑問が湧きます。字書によれば、「牛」は角を生やしたウシの頭部を、「午」は「杵」の元字で、本来「きね」の形を表す、いずれも象形文字だそうです。
十二支は本来動物とは無関係に生まれた概念で、そこに牛やら馬やら鼠やらを当てはめたのはかなり時代が下ってからのことなので、「牛(うし)」と「午(うま)」が似ているのも、これまた偶然といえば偶然です。
コメント
_ S.U ― 2024年10月21日 05時44分11秒
_ 玉青 ― 2024年10月23日 07時33分27秒
「桔梗」は漢名で、今の中国でも「桔梗(ジエゴン)」ですが、「風鈴草(フェンリンツァオ)」の方がよりポピュラーな名らしいです。
桔梗が野生化しやすいならば、もっと人家の近くで観察例があっても良さそうですが、あまり見かけないのは、環境の選好性が高く、種子によって繁殖することが難しいせいかもしれません。市販の苗も種からではなく、さし芽などの栄養生殖で増やしたもののようです。
「桔梗が絶滅危惧種なら、どんどん種を蒔いたり、植え付けしよう」という人も現れそうですが、そうなるとメダカやホタルの放流・放虫みたいに、遺伝子レベルで異なるグループがはびこって、かえって自生種を圧迫し、生態系を乱すことになるのでしょうね。
桔梗が野生化しやすいならば、もっと人家の近くで観察例があっても良さそうですが、あまり見かけないのは、環境の選好性が高く、種子によって繁殖することが難しいせいかもしれません。市販の苗も種からではなく、さし芽などの栄養生殖で増やしたもののようです。
「桔梗が絶滅危惧種なら、どんどん種を蒔いたり、植え付けしよう」という人も現れそうですが、そうなるとメダカやホタルの放流・放虫みたいに、遺伝子レベルで異なるグループがはびこって、かえって自生種を圧迫し、生態系を乱すことになるのでしょうね。
_ S.U ― 2024年10月23日 07時54分15秒
ありがとうございます。できれば、野山を散策して、キキョウを探せばいいのでしょうが、そう簡単には見つからないでしょうね。
そういえば、家の付近にはびこっている(今の)アサガオも、自然の野山では見ることはまずありません。自然にあるのはヒルガオばかりです。アサガオの種の発芽率は決して低くはありませんが、意外に環境に敏感なのだなと思います。
そういえば、家の付近にはびこっている(今の)アサガオも、自然の野山では見ることはまずありません。自然にあるのはヒルガオばかりです。アサガオの種の発芽率は決して低くはありませんが、意外に環境に敏感なのだなと思います。
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それで、「キキョウ」のほうも気になったのですが、今いうキキョウも根が薬草ですよね。これは大昔から漢字で(中国でも日本でも)「桔梗(根)」なのでしょうか。キキョウの花と言えば、まいど本能寺に旗印が並ぶ明智光秀の家紋ですが、これは、明智氏の出所にあたると言われる平安末期の源氏一流に発する土岐氏の「土岐桔梗」に由来するとされているので、「桔梗」も「朝顔」とともに、今の花のキキョウに普通に使われていたのではないかと思います。
調べてみると私の不勉強のためかいろいろとわからないことが出てくるもので、キキョウの自生株は絶滅危惧種であると言われています。キキョウは家の前栽付近には毎年顔を出していますが、実生で野生化はしないのでしょうか。あるいは、自生株と栽培株は、別系統で見分けがつくものなのでしょうか。(脱線の質問なので、ご存じか関心を持たれたものだけお答えいただければありがたいです)