大著『ウラノグラフィア』がやってきた2024年12月01日 13時10分19秒

19世紀最初の年、1801年にドイツのボーデ(Johann Elert Bode、1747-1826)が上梓した巨大な星図集『ウラノグラフィア(Uranographia)』については、以前もまとまった記事を書きました。

■星座絵の系譜(3)…ボーデ『ウラノグラフィア』

4年前の自分は、

 「天文アンティークに惹かれる人ならば、『ウラノグラフィア』が本棚にあったら嬉しいでしょう。もちろん私だって嬉しいです。でも、さっき検索した結果は、古書価460万円。これではどうしようもないです。さらに探すと、原寸大の複製(複製本自体が古書です)が16万円で売られているのを見つけました。

 ホンモノが16万円だ…と聞けば、分割払いで買うかもしれません。でも、460万円ですからね。じゃあ、複製本を16万出して買うかといえば、よく出来た複製だとは思いますが、そこまでするかなあ…という気もします。」

…と、何となく物欲しげなことを書きつつ、『ウラノグラフィア』の縮刷版を買うことで、かろうじて留飲を下げていました。

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しかし、気長に待っていればいいこともあるものです。
これまで何度か話題にした、ドイツのアルビレオ出版から、先日うれしいメールが届きました。天文古書の複製本をリーズナブルな価格で提供する同社が、こんどは『ウラノグラフィア』を俎上に載せたというのです。


気になるお値段は169ユーロ(今日のレートで約26,800円)、しかも12月いっぱいまでは特別価格の149ユーロ(同23,600円)。日本までの送料として、別途46ユーロ(約7,500円)がかかりますが、それを計算に入れても、大層リーズナブルな買い物です。

(手前が解説書)

しかも星図には別冊解説書も付属し、この解説書もカラー刷りでなかなか豪華です。


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ただし、この複製本にもちょっとした弱点はあります。
それはオリジナルよりもサイズが縮小されていることで、オリジナルは高さ65cmという途方もなく巨大な判型ですが、この複製本は高さ41.5cm(表紙サイズ)と、約64%に縮小されています。


しかし、届いた本はそれでも十分に巨大です。アンティーク星図ファンの書棚には、恒星社の『フラムスチード天球図譜』が並んでいると思います。あれだって決して小さな本ではありませんが、この『ウラノグラフィア』と並べれば、その差は歴然です。

アルビレオ出版のカール=ペーター・ユリウス氏は、このサイズこそ「図版の読みやすさに影響を与えることなく、しかも扱いやすいサイズであり、最小の文字もはっきり読み取れる」と説明しています。若干強がりっぽい感じがなくもありませんが、これは概ね事実と認められます。



落ち着いたクロス装の表紙を開けば、あの大著の風格が堂々と感じられ、これはやっぱり紙でペラペラやりたい本です。


各図版とも裏面は白紙で、その白紙に刻まれた経年の染みまで忠実に再現されているのも高評価。


気になる印刷精度はどうでしょうか。オリオン座とおうし座を中心とした上の星図を部分拡大してみます。


雄牛の目を中心とした部分。この画像で左右幅は25mmです。ユリウス氏の言う通り、たしかに微細な文字も十分読み取れます。


こちらはかみのけ座の中心付近で、左右幅は40mm。一面に散在する微細な点刻模様も十分な精度で再現されています。これらは当時その正体が議論されていた「星雲・星団」の類で、今では「かみのけ座銀河団」と呼ばれる系外銀河の集団であることが分かっています。

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待てば海路の日和あり。
長生きをすれば、嫌な経験もする代わりに、嬉しい経験も増えていくのだなあ…と、師走を迎えて大いに感じ入りました。

一枚の紙片の向こうに見える風景2024年12月05日 18時17分22秒

韓国の大乱。
過ぎてみればコップの中の嵐の感もありますが、人の世の不確実性を印象付ける出来事でした。我々は今まさに歴史の中を生きているのだと、ここでも感じました。

師走に入り、業務もなかなか繁忙で、これで当人が「多々益々弁ず」ならいいのですが、あっぷあっぷっと流されていくばかりで、どうにもなりません。世界も動くし、個人ももがきつつ、2024年もゴールを迎えようとしています。

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さて、そんな合間に少なからず感動的な動画を見ました。
今から4年前、2020年6月にアップされたものです。


■I bought a medieval manuscript leaf | (It got emotional...)

動画の投稿主は、ブリジット・バーバラさんというアメリカ人女性。
彼女は古い品や珍奇な品に惹かれており、動画の冒頭はニューヨーク国際古書市(New York International Antiquarian Book Fair)の探訪記、後半はそこで彼女が購入した品を紹介する内容になっています。

(主催者である米国古書籍商組合のブログより)

バーバラさんは古書市の会場で、マルチン・ルターやアブラハム・リンカーンのような偉人の手紙や、1793年に書かれた無名の子供の学習帳のような、「肉筆もの」に強い興味を持ちました。そう、100年も200年も、あるいはもっと昔の人がペンを走らせた紙片や紙束の類です。

(話の本筋とは関係ありませんが、バーバラさんの動画に写り込んでいた17世紀の美しい星図、Ignace-Gaston Pardies(著)、『Globi coelestis in tabulas planas redacti descriptio』。バーバラさん曰く“If you can afford it, you can own it”.)

この動画が感動的なのは、バーバラさんがそれらの品を紹介するときの表情、声、仕草が実に生き生きとしていて、見る者にも自ずと共感する心が湧いてくるからです。

そして彼女が古書市で購入したのも、そうした肉筆物した。


時代はぐっとさかのぼって、1470年頃にイタリアで羊皮紙に書写された聖歌の楽譜、いわゆるネウマ譜です。バーバラさんは素直に「いいですか、1470年ですよ?1470年に書かれたものが、今私の手の中にあるんです!」と感動を隠せません。

もちろん事情通なら、15世紀のネウマ譜の写本零葉は、市場において格別珍しいものではないし、値段もそんなに張らないものであることをご存知でしょう。でも、「ありふれているから価値がない」というわけでは全くないのです。

バーバラさんが言うように、それは確かに昔の人(無名であれ有名であれ)が、まさに手を触れ、ペンを走らせたものであり、それを手にすることは、直接昔の人とコンタクトすることに他ならない…という気がするのです。

そして、そこからいかに多くの情報を汲み出せるかは、それを手にした人の熱意と愛情次第です。バーバラさんは、この写本に書かれた聖歌が何なのか、ラテン語のできる友人に読んでもらい、これが四旬節の第 2 日曜日の早課で歌われた聖歌であることを突き止めます。さらに、そのメロディーはどんなものか、同時代の宗教曲に耳を傾けながら、さらなる情報提供を呼び掛けています。たった1枚の紙片も、その声に耳を澄ませる人にとっては、実に饒舌で、心豊かな会話を楽しませてくれます。

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バーバラさんの感動や興味関心の在り様は、私自身のそれと非常に近いものです。私もこれまで断片的な資料から、いろいろ空想と考証を楽しんできました。以前も書いたように、それは旅の楽しみに近いものです。

人生という旅の中で、さらに寄り道の旅を楽しむひととき。
忙しいからこそ、そんなひとときを大切にしたいと思いました。

苦集滅道諦2024年12月07日 10時23分35秒

「うーむ悔しい。実に悔しい。まさか自分以外にあれを買う人がいるとは!」

「逃がした魚は大きい」というのは一大真理です。
物を買う場合も同様で、狙いをつけた品を目の前でさらわれるのは、実に悔しいものです。呆然自失感が強烈で、たぶん今の私は死んだような眼をしていることでしょう。

先日、ある品を見つけました。
即断即決で買わねば!というほどではなかったんですが(値段も張ったので、その勇気が出ませんでした)、見るたびに「ああ、いいなあ」と思いながら横目で見ていました。ボーナスが出たら…とひそかに思ってたんですが、その日を目前にしてダメでした(ひょっとしたら、私に先んじて買った人も、ボーナスを当て込んだのかもしれません)。わりと渋めの品だったので、他に興味を持つ人もなかろうと甘く見ていたのが敗因でした。

他にもそれを欲した人がいるということは、やっぱりそれだけの価値があったのだろう…と思いつつ、そんなことを考えても何の慰めにもならないし、悔しさは募るばかりです。

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お釈迦様は人生の本質を「苦」だと喝破し、基本的な苦のあり様を「四苦八苦」に分けて説きました。「生・老・病・死」の四苦、そこに愛する者と別れる苦しみ(愛別離苦)や、憎らしい対象と出会う苦しみ(怨憎会苦)等を加えた八苦の教えは、誰にとっても切実でしょうし、素直に頷かれるところだと思います。

その八苦の一つに「求不得苦(ぐふとっく)」というのがあります。
欲しいものが手に入らない苦しみもまた、人間にとって根源的な苦しみだとお釈迦様は言うのです。

そうした煩悩を払うために、我々は修行に努めねばならず、モノの一つや二つでオタオタしてはいけないのですが、迷い多き衆生にとってはこれが実に難しく、その苦しさを遁れるのは容易なことではありません。

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こうして苦しむのは、私が人間的な心を備えている証拠でもあるのでしょう。
人間的な、あまりに人間的な…


黄金のコメタリウム2024年12月08日 07時30分46秒

わが家にはコメタリウムが2台あります。

ひとつはSiiTaaさんからご恵贈いただいた純白のコメタリウム
これは世界でただ1台のカスタムメイドで、それを持てたことを大いに誇っています。【LINK】

「求不得苦」―求めて得ざる苦―と表裏して、「求めて得たる喜び」というのもあります。お釈迦様はきっとそれも迷いだと言われるでしょうが、でも、苦しみも喜びもあるのが凡夫であり、私はもちろん凡夫なので、それでも好いのです。

そしてもう一台は、アメリカのArmstrong Metalcrafts社(以下、Armstrong社)の黄金のコメタリウムです。こちらは世界で1台ということはありませんが、製品として販売されているコメタリウムとしては、今のところこれが唯一のものでしょう。

(古色が付いて「黄金」とも言い難いですが、昔はたしかに黄金色でした)

上の写真だと暗くてよくわかりませんが、メーカーの商品写真↓でお分かりのように、手前にクランクがあって、


これをくるくる回すと、



本体下部のギアが滑らかに回転し、上部にセットされた小球が、時には速く、時にはゆっくりと、リズミカルに楕円運動をします。

(下部の指針は、時計の時針のように等速運動して時間スケールを表示します。1回転に要する時間は、上部の非等速運動をする小球と同一です)

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ところで、コメタリウムって何のために作られたか、つまり何をデモンストレーションするために工夫された装置か?というのは以前も書きました。

「え、コメタリウムなんだから、彗星の動きをシミュレートするためでしょう?」

…というのは事柄の半面にすぎず、本当の目的は「ケプラーの第2法則(面積速度一定の法則)」を視覚的に教えるためのもので、Armstrong社のコメタリウムの盤面にケプラーの肖像がエッチングされているのも、そのためです。


ケプラーの第2法則は、「惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に掃く面積(面積速度)は、一定である」というもので、要は彗星に限らず、楕円軌道を描く各惑星は、太陽に近い時は素早く、遠い時はゆっくり動くということです。

(線分で区切られた長短さまざまな扇形の面積はいずれも同一)

ケプラーがそれを見出したのは、惑星の動きの精密観測データからであり、彗星からではありません(彼は彗星が惑星の間を直線運動していると考えていました)。彗星が楕円軌道(+放物線軌道を含む円錐曲線)を描くことが分かったのは、ニュートンの時代になってからのことです。

したがって「コメタリウム(彗星儀)」という名称には、ちょっと微妙なところもあるんですが、ケプラーの第2法則が劇的に観察されるのは他ならぬ彗星だし、彗星は宇宙の人気者なので、これはやっぱりコメタリウムと呼ぶのが穏当であろうと、私が言っても何の説得力もありませんが、そう思います。


【付記】 Armstrong社の個人経営者であるジェームズ・ドネリー氏には、ちょっとした思い出があって、今でも温かなものを感じます。

■小さな世界の不思議

「日時計」とケプラーの第二法則2024年12月14日 11時04分58秒

今週は身辺が沸騰して、どうにも身動きができませんでした。
しかもひどいことに、来週もそれは続くのです。

まあ、他人の苦労話はつまらないもので、私も他の人が「大変だ」と言うのを聞くと、「そんなもの、シベリア抑留の苦労に比べれば、苦労のうちには入らん」とうそぶいたりするのですが、しかし自分の身にそれがふりかかるとやっぱり心が乱れて、救いを求める声を上げたくなります。

主よ、我に仇(あだ)する者のいかに蔓延(はびこ)れるや
我にさからひて起こり立つ者多し
主よ、願はくは起きたまへ
わが神よ、われを救ひたまへ
なんぢ曩(さき)にわがすべての仇の頬骨(つらぼね)をうち
悪しき者の歯を折りたまへ (詩編第三篇より抜粋)

しばらくは神の袂にすがり、頑張るしかありません。
そんな日々の中で、今日はやっと一日のんびりできます。

   ★

さて、コメタリウムの話を唐突にしたのですが、あれは直前に読んだネット記事からの連想が働いていました。


■Meridian Line of Basilica di San Petronio/Bologna, Italy
 イタリア、ボローニャ/サン・ ペトロニオ聖堂の子午線


記事によると、このボローニャ最大の教会の床には、67メートルに及ぶ長々とした線が引かれており、それを作ったのは、当時イタリアのボローニャ大学で天文学を講じたジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini、1625-1712)で、1655年のことだそうです。カッシーニは、その後パリ天文台に転じて、子孫は代々天文学者として活躍しましたが、ジョバンニ(フランス名はJean-Dominique Cassini)はその初代で、土星の環の「カッシーニの間隙」の発見者として知られます。

で、この線が正確に南北を指す「子午線 meridian line」と呼ばれるのはいいとして、記事はこれを「日時計 sundial」とも呼んでいます。「え?子午線が日時計?」と思いながら先を読むと、下のように書かれていました。

「左の通路の上にある 4 番目の天井の小さな穴から、毎日正午ごろに太陽の像が下の子午線に投影されます。太陽の像の位置は年間を通じて変化し、冬は教会の北端近くに、夏は教会の南側近くに現れます。

 この子午線を使って、カッシーニは太陽の位置と相対的な大きさを測定することができました。これらの測定により、彼は太陽の周りを回る地球の軌道が楕円形であると判断しました。さらに、彼は地球の動きが太陽に近いときには速く、遠いときには遅くなることを実証し、太陽系の物体の軌道を説明する3つの法則の1つである ケプラーの第二法則の初めての観測的証拠を提供しました。

現在、この子午線は英語で「日時計」と呼ばれることが多く、教会内で人気の名所となっています。大理石の床に刻まれた目印は、一年のさまざまな日や月における太陽の予想位置を示しており、さらに太陽が通過する星座や、春分・夏至・冬至の太陽の位置を示す目印もあります。訪れるのに最も人気の高い時間は正午近くで、人々は太陽の姿が現れるのを待ちながら集まります。」

なるほど、「日時計」といっても、時刻を知るためのものではなくて、南中時の太陽位置の季節変化を知るための装置ということですね。そして、それを厳密に測定すれば、太陽の年周運動の不等性、およびケプラーの第二法則が地球でも成り立つことが実証されるわけです。(その意味では「ひどけい」よりも「ひごよみ」のほうがしっくりきますが、それもひっくるめて、英語では「sundial」と呼ぶのでしょう。それに、<地方時+視太陽時による正午決定装置>という意味では、やっぱり「ひどけい」なのかもしれません。)

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ただ、上の説明を聞かされても、今一つ具体的な姿がイメージできませんでした。
でも、あれこれ検索しているうちに、これと類似の装置がパリにもあることを知りました。
それはパリの「サン・シュルピス教会」の日時計で、英語版wikipediaにその説明があります。

(教会内のオベリスク型ノーモンと床に引かれた真鍮製の子午線。ウィキメディアコモンズより)

Gnomon of Saint-Sulpice

(上記ページより)

これを読んで、ようやくボローニャの件も得心がいきました。

ちなみに、このサン・シュルピスの子午線は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」で「ローズライン」、すなわちイギリスのグリニッジと「国際本初子午線」の座を争ったパリを通る子午線の一部として登場し、何か謎めいた古代の秘儀の伝統を引くものみたいな説明がありましたが、これは仮構で、この子午線はローズラインとは無関係だし、かつて異教の寺院がここにあった事実もないと、教会内には掲示されている由。

冬来たりなば春遠からじ2024年12月14日 16時57分56秒

前回のおまけ。ケプラーの法則は地球にも当てはまるという事実を反芻していて、はたと気づきました。


地球の公転図として、真っ先に思い浮かべるのは上のような図ですが、本当は下のようであるべきだと。

(ただし遠日点と夏至点、あるいは近日点と冬至点はズレているので、この図はあくまでも近似のイメージです。【参考LINK:近日点の移動】

そして冬場の地球は、より短い経路を相対的に速いスピードで公転し、夏はその反対になるので、必然的に冬は夏よりも短いはずだと。

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実際に、今年から来年にかけての二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)の時期を分単位で確認してみます。

(国立天文台の2024年 暦要項および2025年暦要項より)

ここから、二至二分のインターバルを出せば下のようになり、


さらに「春分から秋分まで」の「夏の半年」と、「秋分から春分まで」の「冬の半年」を計算してみます。


なるほど、これまで等しいと思い込んでいた二至二分のインターバルにはずいぶん差があって、たしかに冬は夏より短いことが確認できました。

私もずいぶん長いこと生きてきて、毎年夏を送り、冬を送り過ごしてきましたが、この事実に気が付いたのは今日が初めてです。夏より冬が短いのは、何も長期休暇ばかりではありません。まさに「冬来菜葉、春唐辛子」。

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知っている人にとっては当たり前のことを、さも重大事であるかのように書きました。でも、この話の眼目は「冬は夏より短い」という事実ではありません。それ以上に重要なのは、「人間いくつになっても新たな発見をしうる」という事実です。これは声を大にして触れ回る価値があると信じます。

羊飼ひもすなる日時計といふものを…2024年12月15日 11時40分18秒

日時計といえば、最近こんな日時計を見つけました。

(頂部のつまみを含む全高は約24cm)

ロンドンのブルックブレイ社(Brookbrae Ltd)から1976年に出たものです。

てっぺんから横に突き出た真鍮製の「時針」が作る影で時刻を読み取るタイプの日時計で、その形状から「柱状日時計(Pillar sundial)」とか、「円筒形日時計(Cylinder sundial)」と呼ばれるものです。あるいは 「羊飼いの日時計(Shepherd's dial)」の別名もあって、これはピレネー山脈の羊飼いが、こういう形式の日時計をわりと近年まで常用していたことに由来するそうです。

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柱状日時計は。言うまでもなく日の出から日没まで、太陽の日周運動に応じて、影の長さと位置が規則的に変化することを利用しているわけですが、太陽の高度は季節によっても変わるし、緯度によっても変わります。

前者に対応するため、柱状日時計は時針の付いたパーツが可動式になっており、これをクルクル回して、その日の日付けに合わせて使います。


この日時計も、てっぺんが蓋になっていて、取り外すことも、かぶせた状態で回すこともできます。


日付け合わせは、本体下部の月名をたよりに行います(ここに見える「A M J J」は、April、May、June、Julyの意味)。厳密は期しがたいですが、まあ大体合ってれば用は足ります。

一方、後者の問題はにわかに解決することが難しく、個々の柱状日時計は、基本的に特定の緯度でしか使えません。この日時計はイギリス製なので、北緯41度用に作られています。

柱状日時計の便利なところは、普通の日時計のように盤面を南北に合わせる手間が不要なことで、その辺にポンと立てて、本体に影が落ちさえすれば、時刻を読み取ることができます。

そのための工夫として、同一時刻に落ちる影の先端の位置(それは日時計の置かれた向きによって変化します)を結んだ曲線(時刻線)が、あらかじめ本体に描かれているわけです。

(ゆるやかなカーブを描く時刻線)

この日時計には、いちばん下から午後1時、正午&午後2時、…、午前8時&午後6時、午前7時まで、計7本の時刻線が描かれています。まあこれも厳密は期しがたく、大体の時刻が読み取れるだけですが、羊飼いならばそれで十分なのでしょう。

なお、いちばん下の曲線は、太陽がいちばん高く昇り、影がいちばん(鉛直方向に)伸びる時刻ですから、本来「正午」の時刻線のはずです。私も一瞬「?」と思いましたが、これはサマータイム表示だからで、箱裏の説明書には「冬期には表示時刻から1時間引くこと」とちゃんと書かれています。


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(外箱のイラスト)

この日時計は、蓋をとれば筆立てにもなるという便利グッズですが、製造元のブルックブレイ社は、1973年から2016年まで営業していた日時計専業メーカーで、グリニッジの「ミレニアム日時計」を据え付けたのも同社だそうです。したがって、この品も単なるアクセサリーやお土産用というよりも、「まじめな」日時計なんだと思います。

(”Millennium Sundial”, Park Vista, Greenwich. Constructed by Brookbrae Ltd & Christopher Daniel (1933–2022). © Andy Smith / Art UK. 出典:https://artuk.org/discover/artists/brookbrae-ltd-active-19732016


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【参考】 「羊飼いの日時計」については、以下に非常に詳しい説明がありました。ヨーロッパ天文教育連合(European Association for Astronomy Education;EAAE)のサイトに掲載されたものです。

■Simón García("EAAE Summerschools" Working Group)
 The Pyrenean Shepherds' dials

羊飼いの見た星2024年12月18日 11時14分06秒

前回の話題から横滑りして羊飼いの話。


今や一種の都市伝説といっていいのかもしれませんが、野尻抱影由来の「カルデアの羊飼い」をめぐる言説があります。今、われわれが使っている星座の起源は、古代カルデアの羊飼いが生み出したものだ…というのがそれです。

抱影の事実上の処女作である『星座巡礼』(1925)に、すでにそれは見られます。

(野尻抱影『星座巡礼』(第7版、1931)より)

 「星座(Constellations) 〔…〕空を斯く初めて星座に区画したのは、天文学者では無くて、紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼です。彼等は長い夜々寂しい丘に羊の群を戍(まも)りながら、大空に移る星の位置で時刻を判断する習慣になってゐる中に、目ぼしい星を連ねて、其処に地上の動物や物の像(かたち)を空想し〔…〕」

これは欧米ではとうの昔に顧みられなくなった古風な考えらしいのですが、日本では抱影が自著で繰り返し書いたために、いまだに「準定説」として生き残っています。

この問題をめぐっては、竹迫忍氏の「古天文の部屋」【LINK】の一コンテンツとして、その詳細がまとめられており、私も大いに蒙を開かれました。以下が関連ページです。

■迷信「星座の起源・カルデア人羊飼い説」の成立と伝承

あらましを述べれば、抱影は「黄道12星座をはじめとする西洋星座の起源は、紀元前3000年頃、バビロニア(※)に住んだカルデア人の羊飼いたちが天に思い描いたもの」と説きましたが、ここには現代の通説と異なる点が多々あります(その一方で正しい点もあって、正誤がキメラ状になっています)。

まず正しい方を述べれば、星座の起源が紀元前3000年頃のバビロニアに遡るということ、また黄道12星座や高度な天文知識を有し、それをギリシャに伝えたのは、「新バビロニア王国(カルデア王国)」を興したカルデア人だったこと、そして彼らは本来遊牧の民だったという事実が挙げられます。

一方、事実と大いに異なるのは、そもそもカルデア王国ができたのはBC7世紀のことで、紀元前3000年のバビロニアとはまったく時代が異なるし、古代バビロニアの文明を興したのは「シュメール人」であって、カルデア人ではありません。それにシュメール人は灌漑農耕民であって、「羊飼い」ではありません。そしてまた古代バビロニアの段階では、まだ黄道12星座のシステムは存在しませんでした。

こうした事実と事実誤認のごたまぜ状態が抱影説だ…ということになりますが、これは抱影の創案というよりも、抱影の目に触れ、手にした資料が、新しいメソポタミア学によるアップデート前のものだったからのようです。

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それにしても、抱影の誤りが明瞭に指摘されても、依然として世間に「カルデアの羊飼い」が流布しているのはなぜでしょう? たぶん根本的な問題は、平均的日本人にとって、オリエンタル世界はヨーロッパ以上に遠い世界だからでしょう。つまり、「カルデアもシュメールもおんなじようなもんでしょ?そう目くじらを立てなくてもいいじゃない」…というふうになりがちだからだと思います。

たとえて言うならば、平安時代のドラマに裃を着た人が出てきたら、我々は直ちにおかしいと思うでしょうが、欧米の人には、そのおかしさが伝わらない…みたいなものかもしれません。

その点では、私も抱影を責める資格は全くないのですが、それでも過ちは過ちとして認め、より正しいことを語るにしくはありません。


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(※注)バビロニアといい、メソポタミアといい、何が違うんだろう?というぐらい私自身知識が乏しいのですが、ウィキペディア曰く、地方名でいうと下のような区分になるんだそうです。さらにここに「民族名」や「王朝名」が覆いかぶさってくるので一層ややこしいですが、少なくとも地理的にはこうなるらしい。


羊飼いの暦2024年12月19日 05時57分51秒

「羊飼いの暦」という言葉をネットで検索すると、真っ先に出てくるのがシェイクスピアと同時代の英国の詩人、エドマンド・スペンサー(c.1552-1599)の 詩集『羊飼いの暦』(1579)です。

しかし、今回話題にするのは、それとは別の本です。
学匠印刷家のひとり、ギー・マルシャン(Guy Marchant、活動期1483-1505/6)が、1490年代にパリで出版し、その後、英訳もされて版を重ねた書物のことで、英題でいうとスペンサーの詩集は『The Shepheardes Calender』で、後者は『The Kalender of Shepherdes』または『The Kalender and Compost of Shepherds』という表記になります(仏題は『Le Compost et Kalendrier de Bergiers』)。

マルシャンの『羊飼いの暦』は、文字通り暦の本です。
当時の常として、暦にはキリスト教の祝日や聖人の縁日などが細かく書かれ、さらには宗教的教訓詩や、星占い、健康情報なども盛り込んだ便利本…のようです。想定読者は文字の読み書きができる人ですから、その名から想像されるような「農民暦」とはちょっと違います(この「羊飼い」はキリスト教でいうところの司牧、迷える民の導き手の意味と思います)。

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暦や占星への興味から、マルシャンの『羊飼いの暦』を手にしました。

(1493年パリ版)

もちろん本物ではなく、1926年にパリで作られた複製本ですが、複製でも100年近く時を経て、だいぶ古色が付いてきました。


一般民衆向けの本なので、言葉はラテン語ではなく、日常のフランス語です。…といっても、どっちにしろ読めないので、挿絵を眺めて楽しむぐらいしかできません。我ながら意味の薄い行為だと思いますが、何でもお手軽に流れる世情に抗う、これぞ良い意味でのスノビズムではなかろうか…という負け惜しみの気持ちもちょっとまじります。


さて、これが本書の眼目である「暦」のページ。
読めないなりに読むと、左側は10月、右側は11月の暦です。冒頭の「RE」のように見える囲み文字は、実際には「KL」で、各月の朔日(ついたち)を意味する「kalendae」の略。そこから暦を意味するKalender(calendar)という言葉も生まれました。

(12月の暦よりXXV(25)日のクリスマスの挿絵。こういうのは分かりやすいですね)


これは月食の時刻と食分の予測図でしょう。


星を読む男。


占星学の基礎知識もいろいろ書かれていて、ここでは各惑星が司る事柄が絵入りで説かれています。左は太陽(Sol)、右は金星(Venus)。


何だか謎めいていますが、たぶん天象占い的な記事じゃないでしょうか。


身体各部位を支配する星座を示す「獣帯人間」の図。


これも健康情報に係る内容でしょう。


恐るべき責め苦を受ける罪人たち。最後の審判かなにかの教誨図かもしれません。

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印刷術の登場により情報の流通革命が生じ、世の中が劇的に変化しつつあった15世紀後半の世界。

それでも庶民の精神生活は、キリスト教一色だったように見えますが、庶民が暦を手にしたことで、教会を通さず自ら時間管理をするようになり、そして星の世界と己の肉体を―すなわちマクロコスモスとミクロコスモスを―自らの力で理解するツールを手にしたことの意味は甚だ大きかったと想像します。

その先に「自立した個の時代」と「市民社会」の到来も又あったわけです。

リンゴと望遠鏡2024年12月21日 07時22分13秒

もうじきクリスマスですね。

12月25日に降誕したのは、もちろんイエス・キリストですが、かのアイザック・ニュートン卿も、1642年の12月25日の生まれだそうです。もっとも、この日付はユリウス暦のそれで、グレゴリオ暦に直すと1643年1月4日だそうですが、イギリスは当時まだグレゴリオ暦の導入前で、イエス様だってグレゴリオ暦は使ってなかったのですから、まあ両者は同じ誕生日といっていいでしょう。

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(名刺サイズよりちょっと大きい64×104mm)

上は1900年前後に刷られたクロモリトグラフの宣伝用広告カード。
広告主は、アメリカ東部のロードアイランド州でケータリング業(パーティ用配食サービス)を営んでいた、「L. A. Tillinghast」というお店です。

(裏面は白紙)

単にかわいい絵柄だな…と思って買ったんですが、その時の販売ページを見直したら、売り手であるバーモント州の紙モノ専門業者は、かなりこだわった紹介の仕方をしており、私も何だかひどく絵柄が気になりだしました。

 「L. A. ティリングハーストは、ケータリング業者と書かれているが、この種の宣伝カードではあまり見かけない業種だ。リンゴ(?)の左側に「ソーダ」の文字があるが、どういう意味だろう?飲み物のことを言ってるなら、アップルソーダのことか?」


1900年前後というと、1892年にアメリカでボトルの王冠が発明され、炭酸水の輸送の便が生まれたことで、ソーダ水飲料が巷で大いに流行り出したころ…という背景がありそうです。

 「もしこの絵がリンゴだとして、それが天文学といったいどう関係するのか?ひょっとして1890年代の市民の目には、この絵の意味するものが明瞭だったのかもしれないが、私の目にはもはやその意味がわからない。」

なるほど、アメリカの人にも分からないんですから、日本人の目にはいっそうわけが分かりません。

 「この天文学者の服装は、魔法使いか道化師のもの?もし彼がリンゴを眺めているのだとしたら、いったいなんのために?カードにそう書かれているわけではないが、「〔ソーダが〕何よりも大事(apple of his eye)」ということだろうか。」


最後の一文、英語には「apple of one’s eye」という言い回しがあって、”My cat is the apple of my eye.”「うちの猫は目に入れても痛くない存在だ」のように使うそうで、そういわれると確かにそんな気もしてきます。

とはいえ、リンゴと天文学者といえば、誰でもニュートンの故事を真っ先に思い浮かべるでしょうし、地球と引っぱり合う存在である天体は、いわば「巨大なリンゴ」であって、それを小さな天文学者が望遠鏡で覗いているのは、大いに理にかなっています。

でも、それがケータリングやソーダ水とどう関係するのかは、私も売り手同様さっぱり分からず、ここはやはり1890年代のアメリカ市民に聞いてみるしかないのかもしれません。

(アップルソーダならぬアップルサイダーはクリスマスに付き物。Nicole Raudonis氏のApple Cider Christmas Cocktailのレシピはこちら。画像も同ページより)