家路へ2025年05月31日 10時45分55秒

4月13日付けの直前の記事で、自分がひどく鬱っぽいようなことを書きました。たしかにそれは嘘ではなくて、自分が定年を迎えたという事実が、有無を言わさず私の心を陰鬱な方向に引っ張っていたのです。

ふつうに考えると、定年を迎えたといっても、そのまま同じ職場で再任用となっているわけですから、表面上は何も変わらないし、責任のない立場になって、かえって気楽になったんじゃないの?と言われればそのとおりなのですが、そこには老耄と頽落に対する不安と恐怖もあって、やはり気楽一辺倒とはいきません。

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でも、記事が中断していたのはそれだけが原因ではありません。
鬱の気分を振り払うため、しばらく旅に出ていたからです。

旅といっても、例によって脳内の旅ですが、自分がこれまで知らなかった世界――古典籍や古写経、あるいは古裂(こぎれ)や料紙なんかの世界――を覗いて回っていたのです。和骨董への関心は元からありましたから、自分はそれらを既に知っている気がしたのですが、実際に覗いてみると、自分が何も知らなかったことに気づいて、大いに驚きました。それらはまことに刮目すべき一大世界です。でも近時においては顧みられることの少ない世界でもあり、そこがたぶん今の自分と重なって感じられ、少なからずシンパシーをおぼえたのでしょう。

そして、これぞ旅の効用でしょうが、こうして新しい世界に触れたことで、古血はふたたび鮮血となり、脳髄のシナプスも放電を始め、こころは自由を取り戻しました。こうなれば旅もひとまず終わりです。

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しばらくぶりに家に帰ってみれば、spamコメントが埃のように堆積しており、なんじゃこりゃ…と思いましたが、これも己の不徳の致すところ。まずは掃除機をかけて、コーヒーを一杯淹れてから記事を再開することにします。