家路へ2025年05月31日 10時45分55秒

4月13日付けの直前の記事で、自分がひどく鬱っぽいようなことを書きました。たしかにそれは嘘ではなくて、自分が定年を迎えたという事実が、有無を言わさず私の心を陰鬱な方向に引っ張っていたのです。

ふつうに考えると、定年を迎えたといっても、そのまま同じ職場で再任用となっているわけですから、表面上は何も変わらないし、責任のない立場になって、かえって気楽になったんじゃないの?と言われればそのとおりなのですが、そこには老耄と頽落に対する不安と恐怖もあって、やはり気楽一辺倒とはいきません。

   ★

でも、記事が中断していたのはそれだけが原因ではありません。
鬱の気分を振り払うため、しばらく旅に出ていたからです。

旅といっても、例によって脳内の旅ですが、自分がこれまで知らなかった世界――古典籍や古写経、あるいは古裂(こぎれ)や料紙なんかの世界――を覗いて回っていたのです。和骨董への関心は元からありましたから、自分はそれらを既に知っている気がしたのですが、実際に覗いてみると、自分が何も知らなかったことに気づいて、大いに驚きました。それらはまことに刮目すべき一大世界です。でも近時においては顧みられることの少ない世界でもあり、そこがたぶん今の自分と重なって感じられ、少なからずシンパシーをおぼえたのでしょう。

そして、これぞ旅の効用でしょうが、こうして新しい世界に触れたことで、古血はふたたび鮮血となり、脳髄のシナプスも放電を始め、こころは自由を取り戻しました。こうなれば旅もひとまず終わりです。

   ★

しばらくぶりに家に帰ってみれば、spamコメントが埃のように堆積しており、なんじゃこりゃ…と思いましたが、これも己の不徳の致すところ。まずは掃除機をかけて、コーヒーを一杯淹れてから記事を再開することにします。


コメント

_ りんごの樹 ― 2025年06月03日 19時26分33秒

ああ、戻って来てくださってありがとうございます。
このままブログが終わってしまうのでは、と危惧しておりました(私の勝手な思いですね)。
どの分野であっても再開されるのを楽しみにしております。

_ S.U ― 2025年06月04日 07時54分49秒

ご定年、お疲れ様でした。旅行もお疲れ様でした。
 私の例では、再雇用の終わりでしたが、職場の若い外国人の方から「Congratulations」と言われました。そういうものかと思いましたが、これは日本人向けに良い表現かどうかわからないので保留にします。年齢の近い日本人からは、「定年まで勤められたことはめでたい」と言われました。これはそうだと思いました。

今後ともよろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2025年06月05日 06時10分12秒

○りんごの樹さま

ご心配をおかけしました。
まあ逆にいうと、今はブログを書くぐらいしかやることがないので(笑)、当分筆をおくことはないでしょうね。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

○S.Uさま

ありがとうございます。お言葉、心に沁みました。
こういう場合、よく「第2の人生」と言いますから、まあ「2回目の誕生、おめでとう!」といった感じかもしれませんね。ちょうど還暦も同じような意味合いで祝いますから、これは日本でもやっぱり「Congratulations」なのかも。

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