ある大望遠鏡の問わず語り2026年08月08日 10時41分16秒

アドラー・プラネタリウムのステレオ写真といっしょに、こんな品も手にしました。


何かがグルングルン回っています。最初見たとき、古典的錯視図形である「フレイザー錯視」を連想しました。どう見ても渦巻模様なのに、実は同心円というやつです。

(フレイザー錯視の例。ウィキペディア当該項より)

冒頭の写真は本当の渦巻き状で、同心円ではありません。でも、その存在の奇妙さは錯視図形さながらで、しかも「見る」ことに深く関わるモノである点も同様です。


「メルボルン望遠鏡を覗き見したところ」

メルボルン望遠鏡は、「グレート・メルボルン望遠鏡」とも呼ばれます。
これはその巨大な筒先を覗き込んで写した一枚で、鏡筒は風の影響を避けるため、かご状になっています。生れはアイルランドのトーマス・グラブの工場で、その後、オーストラリアに運ばれ、1868年にメルボルン天文台に据え付けられました。ちょうど日本が明治維新を迎えた年のことです。

(1880年撮影。英語版wikipedia「Great Melbourne Telescope」の項より)

フレッド・ワトソン著『望遠鏡400年物語』(長沢工・永山淳子訳、地人書簡、2009)は、この望遠鏡に特に1章を設け、「第13章 悲嘆の種―南天大望遠鏡」の章題を付しています。原著ではずばり「Heartbreaker」。当時、南半球最大を誇ったこの大望遠鏡は、とかく人々の心を曇らせ、傷心をもたらす存在でした。その産みの苦しみに比べて、成果があまりにも乏しかったからです。


鏡筒の底で光り輝く主鏡。

この主鏡は、当時主流となりつつあった「ガラス鏡」ではなく、旧来の「金属鏡」です。これがそもそもの悲劇の始まりでした。絶えざる再研磨が必要な金属鏡は、メンテナンスコストが膨大で、もはや時代が求める水準に達しなかったからです。

そして、撮影者の顔がぽっかり抜けていることが、この写真をいくぶん謎めいたものにしていますが、この穴も悲劇と関係しています。

主鏡中央部に穴が開いているのは、この望遠鏡の光学系が、当時一般的だった「ニュートン式」ではなく、「カセグレン式」だからです。それによって、ニュートン式の大望遠鏡では避け難い、高所での観測作業にともなう危険性を大幅に減らしてくれましたが、一方で長焦点化という問題をもたらしました。カセグレン式は今でも現役ですが、何せメルボルン望遠鏡の場合、その焦点距離は50.6メートル(166フィート)という途方もないものでしたから、そこで得られる暗い星像は、当時急速に進歩していた天体写真の撮影にも、分光観測にも役立たなかったのです。

要は「無用の長物」…と言っては望遠鏡がかわいそうですが、そこには「時代に遅れた者の悲劇」が色濃く漂っていました。

この望遠鏡は、その後、キャンベラ郊外のストロムロ山天文台に、ほとんど捨て値で売却された後、1959年に金属鏡からガラス鏡に換装されたことで、ようやく息を吹き返しました。しかしそれも永続きせず、2003年に襲ったキャンベラ大火で無残に焼け落ち、現在はボランティアによる修復作業が進められているとのことです。

 「金属鏡の望遠鏡は、最後に前章で登場したほとんどすべての人々を巻き込んだ一つの事業で、ほろ苦さを味わう典型的な例を演出した。その事業は、〔…中略…〕その立ち上げのときから論争と非難があり、そして結局私たちの時代にまで続く、異常にもつれ合い、盛り上がったドラマを生むことになった。」 (ワトソン前掲書、p.241)

フレイザー錯視のようなステレオ写真の向こうに、望遠鏡がたどった「異常にもつれ合」ったドラマを思わないわけにはいきません。


ちなみに例の「顔のない写真師」には、やっぱり顔があって、向かって左の写真を拡大すると、こんな顔の人です。

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