夏こそ地史研究、「いざ掘らん」 ― 2026年08月15日 11時00分14秒
夏休み。自由研究の季節です。
自由研究の好伴侶となる本を見つけました。
■富士川 滋(著)
『地史研究 採集鑑定便覧』
昭和2年(1927)、厚生閣
ほぼ100年前に出た地質趣味のガイドブック。
ここで仮に「地質趣味」と書きましたが、この本の中身を一言で表現するのは難しいです。今だと、それに相当する語彙や概念がないからです。
外箱にはハンマーをふるう少年の絵の下に、岩石・鉱物から土器・石器・骨器に至るまで、本書の取り扱うテーマが列挙されています。
「凡例」に曰く、
「本書は中等学校の生徒諸君、高等学校の学生諸君、小学校並に中等学校の教員諸氏で、地理科、歴史科、鉱物科、地質科等の研究をせられる方々の為に、其の参考手引として編んだもので、殊に小学校、中学校の先生方で、其の郷土地誌研究を企てられる時には、最もよい伴侶であらうと思ふ。」(太字は原文のまま)
今では異なるカテゴリーとされる対象が――いや、当時にあっても、それは異なる学問領域と見なされたはずですが――「郷土地誌研究」という題目のもと、著者・富士川の中では統一的に考えられていたことを知ります。
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柳田國男によって、明治末年から「郷土研究」ということが唱えられ、それが昭和以降、日本的民俗学へと発展していきますが、地方の好学家にとって、自らの住む身近な町や村こそが興味深い研究対象と意味づけられたことは、まさにコペルニクス的転回。その結果、全国津々浦々で郷土研究に向けられた知的エネルギーの総量は、おそるべき量に達したはずです。野尻抱影による星の民俗語彙収集も、もちろんその流れの中で行われた仕事です。
本書もそのバリエーションで、富士川は博物学と地理学、そして歴史・考古学にまたがるものとして、「郷土地誌研究」を提唱したのでしょう。
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(目次冒頭)
上述のとおり、本書の内容は多分野にまたがり、それぞれがかなり詳細です。
地質巡検の用具と心得に始まり、地質調査の方法、地形図の作図法、岩石鉱物標本の採集と鑑定、石器時代の遺跡と発掘…等々に説き及び、さらに古生物分類表や、鉱物産地一覧、石器時代遺跡遺跡一覧など関係資料も非常に充実しています。
とは言っても、何せ100年前の本ですから、これを直接参考にして研究するわけにもいかないでしょうが、その旺盛な好奇心と創意工夫には大いに励まされます。
(高価な鉱物顕微鏡がなくても、身近な生物顕微鏡ひとつで十分面白い研究ができると説く章)
そして、ここに漂う博物趣味の香気と風趣。
まあ私の場合、何事も香気から入り、風趣で終わるのが弱点ですが、夏の午後に本書を開けば、心はただちに野山に飛び、古い理科室で研究に夢中になっている自分の姿が、まざまざと浮かぶのです。
(レタリングが洒落ています)
なお、著者・富士川滋については、残念ながら生没年も。詳細な伝も未詳。
国会図書館デジタルコレクションに当ると、1920年(大正9)の雑誌に「小学訓導」、すなわち小学校の先生として、その名が見えます。その後、文部省の中等教員検定試験(地理科)に合格し、本書出版当時は、東京府立第一商業学校(現・都立第一商業高校)の地理学科主任を務め、また地質鉱物学科をも兼担していたことが、本書の序文から読み取れます。
コメント
_ S.U ― 2026年08月16日 05時57分43秒
またまた無粋なコメントですみませんが、最近は法的なシバリが厳しくなったのでしょうか。自分の土地から自分が見つけたものでさえ、貴重そうな物は所有者不明物とか文化財にされて所有宣言はできないそうですね。ましてや、自然(他人の土地)にあるものは、立ち入りさえ制限され、立ち入り出来ても、地面に固定されているものは、採集もむやみに出来なくなりました。今は、貴重そうなものが出れば、触らずに地主か自治体に連絡なのでしょうか。昔は、地層から石を崩したり、粘土を採集したりしたものですが、昔のほうがおおらかでアマチュア研究もしやすかったでしょうね。
_ 玉青 ― 2026年08月16日 11時28分39秒
著作物もそうですが、今日び権利関係というのは、なかなか難しいですね。
NHKのドキュメンタリー系番組を見ていると、やたらに「特別な許可を得て撮影しています」という字幕が出てきますが、「特別な許可って何だろう?通常の許可と何が違うんだろう?」とか、「許可を与える人は、許可を与える権利をどうやって得たんだろう?」とか、いろいろ首をひねることが多いです。そもそも、大元の土地所有権にしても、国によって法体系(大げさに言えば法哲学)が異なるので、万国共通の理解というのはないのでしょう。いっそ「この世のすべてものは神様のものじゃ」みたいに言えると、スッキリするかもですが(笑)。
NHKのドキュメンタリー系番組を見ていると、やたらに「特別な許可を得て撮影しています」という字幕が出てきますが、「特別な許可って何だろう?通常の許可と何が違うんだろう?」とか、「許可を与える人は、許可を与える権利をどうやって得たんだろう?」とか、いろいろ首をひねることが多いです。そもそも、大元の土地所有権にしても、国によって法体系(大げさに言えば法哲学)が異なるので、万国共通の理解というのはないのでしょう。いっそ「この世のすべてものは神様のものじゃ」みたいに言えると、スッキリするかもですが(笑)。
_ S.U ― 2026年08月16日 17時30分22秒
>「この世のすべてものは神様のものじゃ」
以前にも似たことを書いたかも知れませんが、おそらく資本主義と帝国主義を例外として、基本はこれが正しいのではないでしょうか。古代や中世は、王様は自分が国土や資源を所有しているという意識はなく、神権を預かっていただけでしょうし、封建社会でも、領主は自分が地主という意識はなく、やはり、王様か天皇様の領地で、領主は農民一揆が起こると改易されるし、王や天皇も依然として神権を預かっているとしか思っていなかったでしょう。
そういう意味で、最近のやたらと警告が多くなってきた傾向は、資本主義、帝国主義の異常さ(間違いと言ってもよい)を多少でも修正する正常化と言えるのではありますまいか。
以前にも似たことを書いたかも知れませんが、おそらく資本主義と帝国主義を例外として、基本はこれが正しいのではないでしょうか。古代や中世は、王様は自分が国土や資源を所有しているという意識はなく、神権を預かっていただけでしょうし、封建社会でも、領主は自分が地主という意識はなく、やはり、王様か天皇様の領地で、領主は農民一揆が起こると改易されるし、王や天皇も依然として神権を預かっているとしか思っていなかったでしょう。
そういう意味で、最近のやたらと警告が多くなってきた傾向は、資本主義、帝国主義の異常さ(間違いと言ってもよい)を多少でも修正する正常化と言えるのではありますまいか。






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