へびつかい些談(5) ― 2025年01月05日 08時43分32秒
へびつかい座とアスクレピオスの結びつきが当初は弱かったとすれば、「じゃあ、あの蛇遣いのそもそもの出自は何だろう?」というのは当然気になるところです。普通に考えると、ギリシャの星座体系の母体であるバビロニアの星座に、その元があったのでは…とは誰しも思うところでしょう。
それを実際に跡付けたのが、『Babylonian Starlore』(2008)を著したGavin Whiteで、彼によるバビロニア星座の復元案が下図です。
(Full Reconstruction of the Babylonian Star-Map. © Gavin White 2007)
左手のさそり座の北、図では向かって右に「Sitting Gods(坐せる神々)」と「Standing Gods(立てる神々)」がいて、これが現在のへびつかい座とヘルクレス座の付近に当たります。
私はWhiteの原著は見ていなくて、同書を紹介している近藤二郎氏の『星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』(誠文堂新光社、2010)を通じて間接的に知るのみですが、近藤氏の解説によると、以下のような次第だそうです。
「『ムル・アピン』粘土板文書の星表の「エンリルの道」の21番目と22番目には、「Ekur(エクル)の立てる神々」と「Ekur(エクル)の座す神々」と並んで記されています。この神々とは、元来はヘビの神々を表すものです。イラク中部のエラムとの境界付近に位置したデール(Der)市では、ニラフ(Nirah)というヘビの神が崇拝されていました。ニラフ神は、ニップル市にあったエンリル神殿では、中バビロニア時代(前16世紀初~前1030年ごろ)まで崇拝されていました。このエンリル神殿は、「山の家」の意味を持つエクル(E-kur)という名でよばれていました。つまり「エクルの立てる神々」のエクルは、ニップルにあったエンリル神殿を表していたのです。」
(近藤上掲書pp.93-94。引用に当たって漢数字を算用数字に改めました)
(同p.93掲載の図。キャプションには「図3-11 ヘビの神々。足の先がヘビになっている。アッカド時代の円筒印章の部分。(ブラックとグリーン著、Gods, Demons and Symbols of Ancient Mesopotamia, Austin, 1992)」とあります)
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へびつかい座にも前史があり、メソポタミアの蛇身の神がそこに隠れている…。もちろん、これまた仮説にすぎないとはいえ、こう鮮やかに説かれると、なるほどと頷かざるを得ません。
星座ロマンはギリシャ神話で打ち止めではなく、その向こうにさらなる悠遠の歴史があり、それらをひっくるめて「星座ロマン」なのだと思います。
(この項おわり)
へびつかい些談(4) ― 2025年01月04日 08時35分01秒
(前回のつづき。今日は2連投です)
では、「蛇遣い=アスクレピオス」説が、最初に登場するのはいつか?
これまた英語版wikipediaを参照すると、ローマ時代のヒュギヌス作とされる『アストロノミカ』(AD2世紀)に、その記述があるといいます。同書は『ポエティコン・アストロノミコン』の名でも知られますが、 Mark Livingston によるその英訳本(1985)がネットに挙がっていたので【LINK】、それを見てみます。
(ヒュギヌス『ポエティコン・アストロノミコン』、1549年バーゼル版より)
英訳本だと、45頁から48頁にかけて、へびつかい座についての記述があり、あの蛇遣いはいったい誰なのか、諸説が開陳されています。曰く、あれは奸計によって善竜を殺したトラキアの王カルナボンの姿である。曰く、あれはリュディアで大蛇を退治したヘラクレスである。曰く、テッサリアの悪王トリオパスである。いや、トリオパスの息子、英雄ポルバスである…と諸説紛々の中、最後の方に「多くの天文学者は、あれがアスクレピオスだと信じている」と、ようやくお馴染みの説が出てきます。
(Giovanni Cinico による星座図(部分)。羊皮紙に彩飾、1469年、ナポリ。出典:George S. Snyder, MAPS OF THE HEAVENS. Abbeville Press, 1984)
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ここでウィキペディアを離れて、昨年11月に邦訳が出たばかりのマニリウス(マーニーリウス)の『アストロノミカ』(竹下哲文訳、講談社学術文庫)を開いてみます。『アストロノミカ』は、AD1世紀に成立した占星術の古典です。
「大きな蜷局(とぐろ)と捩(よじ)った身体で身体に巻きつく蛇を
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
ここにもアスクレピオスの影はなく、むしろ両者は互いに力を尽くして戦っているというのですから、こうなると蛇を悠々と使役するどころの話ではありません。紀元後のローマ世界でも、「蛇遣い=アスクレピオス」は決して自明のことではありませんでした。
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これまでのところを整理すると、古代ギリシャ時代、少なくとも『ファイノメナ』が書かれた紀元前3世紀頃には、既にへびつかい座は空にあったわけですが、その頃はへびつかい座とアスクレピオスの物語は、まだ明瞭に結びついていなかったか、アスクレピオス信仰の強い土地で語られる地方伝承に過ぎず、汎ギリシャ的な共通理解には至ってなかったのではないか…と想像されるのです。「蛇遣い=アスクレピオス」の物語は、その後時間をかけて徐々に整えられ、人口に膾炙したものと思います。
これはへびつかい座に限らず、他の星座神話だって深掘りすれば異説も多いでしょうし、そもそも大元のギリシャ神話が異説だらけなので、プラネタリウムで語られる星座物語を、何か輪郭のかっちり定まったものと考えると、間違うことも多いだろうなあと、改めて思いました。
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ところで、素人考えに屋上屋を架して恐縮ですが、ローマ時代以降「蛇遣い=アスクレピオス」説が力を得たのは、アスクレピオスとローマの固い結びつきによるのかもしれんなあ…とも思いました。これは紀元前後の人であるオウィディウスの『変身物語』に出てくるアスクレピオスの物語を読んで、ぼんやり感じたことです。
それは遠い神話時代の物語ではなく、もっと後の話です。
ラティウムの地(イタリア半島中部)に疫病が流行ったとき、ローマ人がエピダウロスからアスクレピオス神を勧請したことがあったのだそうです。ローマを救うためアスクレピオスは大蛇の姿に身を変え、故地・エピダウロスを後にし、イタリア船で威風堂々と進む姿を、オウィディウスは感動的に描いています。以下、中村善也訳 『変身物語(下)』(岩波文庫)より。
「女も、男も、あらゆるひとびとが、彼を迎えるために、ほうぼうからここへ駆けつけた。トロイアから迎えたウェスタ女神の、その聖火を守る巫女たちも、そのなかにいる。みんなが、歓呼の声をあげて神にあいさつする。快速の船がさかのぼってゆく河の、その両岸には、つぎつぎに祭壇が設けられていて、香がぱちぱちと音をたて、かぐわしい煙であたりをつつんでいた。〔…〕
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
アスクレピオスはギリシャ生まれの神様ですが、同時にローマを救った英雄にして「おらが神様」でもあり、ローマ人にとって蛇とアスクレピオスは一体不可分でしたから、「あにその雄姿、天空になかるべけんや!」というわけで、空に浮かぶ蛇遣いにアスクレピオスを重ねることは、ローマ人にとっていちばんしっくり来る解釈だったんじゃないでしょうか。
(この項つづく。次回完結予定)
へびつかい些談(3) ― 2025年01月04日 08時28分17秒
へびつかい座とアスクレピオスの物語はいつ結びついたのでしょう?
(Giuseppe de Rossi による17世紀の天球儀の複製)
こういう考証は文献の森に分け入らないとできないので、素人のよく成し得るところではありませんが、ウィキペディアを眺めただけでも、いくつか有益な情報が得られたので、メモ書きしておきます。
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まず英語版「Ophiuchus」の項【LINK】には、へびつかい座に言及した最古の文献は、アラトス(315/310-240BC)によるもので、アラトスはエウドクソス(BC4世紀の人)の今では失われた著作を参照して、それを書いた…とあります。
アラトスの著作、「ファイノメナ(天象詩)」は、前回の記事にもちらっと出てきましたが、ローマ時代にラテン語訳され、「アラテア(アラトス集)」の名を得て、後世大いに流布しました。伊藤博明氏がそれを邦訳されているので(グロティウス「星座図帳」千葉市立郷土博物館、1993)、へびつかい座に関する箇所の訳文をお借りします。
(上掲・グロティウス「星座図帳」より)
「膝を折り曲げた、不幸な星座[ヘルクレス座]が頭を上げている方向に、<蛇つかい>[へびつかい座]があるだろう。あなたは、まず最初に広大な両肩を、そして次に残りの部分を見いだすだろう。これらの部分では光が減じているが、他方、両肩は、月の半ばの満月のときでさえ、十分な輝きを保っている。<蛇つかい>の手は光が弱く、その間を滑っていく<蛇>[へび座]は、彼の両手によってつかまれ、彼の胴体に巻きついている。彼の両足は<蠍>[さそり座]に達しているが、左足は<蠍>の背中に押しつけ、右足は宙に浮いている。彼が手で支えている重さは等しくない。というのは、彼は右手で<蛇>のごく一部を持ち、左手でその全体を支え、そしてこの左手によって、<蛇>を<冠>[かんむり座]へ達するまで持ち上げているからである。<蛇>の顎の先端にある髪の毛のような星は、天の<冠>[かんむり座]の下で輝いている。」
これを読んでただちに分かるのは、ここに星座の形や星の配置は書かれているものの、アスクレピオスの名も、それらしい神話物語も一切出てこないことです。まあ、他の星座も全部そうなら、「そういうもの」で済むのですが、『ファイノメナ』にはちゃんと星座神話の書かれた星座もあるし、むしろその方が多いので、なんだか不思議な気がします。
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では…と、今度はギリシャ神話そのものに注目してみます。
古代における最も体系的なギリシア神話集とされる、アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(高津春繁訳による邦題は『ギリシャ神話』、岩波文庫)を見ると、そこにはアポロンと人間の女性との間に生まれたアスクレピオスが、ケンタウルス族のケイロンによって育てられ、医術を学び、ついにはゴルゴンの血を使って死者をよみがえらせる技を編み出したため、ゼウスの忌避に触れ、その雷霆に撃たれて死んだ…という伝承が書かれています。でも、ここには蛇と関連する記述が何もないし、彼がその後、天に上げられて星座になったという肝心のことも書かれていません。
まあアポロドーロスが、星座神話に一切口をつぐんでいるなら分かるのですが、おおぐま座の有名な物語――アルテミスの女従者カリストが、ゼウスによって星に変えられ、「熊」と呼ばれるようになったこと――なんかはちゃんと書かれているので、これまた「うーむ」という感じです。
(長くなるので、ここでいったん記事を割ります。この項つづく)
へびつかい些談(2) ― 2025年01月03日 10時16分26秒
星座絵で蛇遣いが抱えているのは、ニシキヘビみたいな大蛇ですが、そもそもヨーロッパに大蛇はいないんじゃないでしょうか。
アスクレピオスの蛇のモデルとされるのが、ヨーロッパ原産のZamenis longissimus、英名Aesculapian snakeで、和名のクスシヘビ(薬師蛇)もアスクレピオスにちなんだ訳語です。
(クスシヘビ。荒俣宏『世界大博物図鑑』第3巻「両生・爬虫類」編より)
属レベルで異なるものの、日本のシマヘビやアオダイショウと同じナミヘビ科に属します。体長は大きいもので2mちょっと、普通は1.1~1.6mぐらいだそうなので、「大蛇」という感じでは全然ないですね(それでもヨーロッパでは最大のヘビだそうです)。
(ローマ時代のAD150年頃、より古いギリシャ彫刻を模して作られたファルネーゼ天球儀【参考LINK】の18世紀における模写図より。出典:Ian Ridpath’s Star Tales: The Farnese Atlas celestial globe)
現存する最古の天球儀、「ファルネーゼ天球儀」に刻まれた蛇も、まあ大きいといえば大きいですが、それほど大蛇感はありません。
(紀元前3世紀のアラトスが著した『天象詩(Phaenomena)』のラテン語訳註解を書写した、通称「ライデン・アラテア」(複製)より)
上の9世紀の古写本に描かれた蛇もずいぶん細くて、ある意味リアルな描写だと思いますが、当時のヨーロッパの人がイメージするヘビは、まあこんなものでしょう。
16世紀以降、へび座が大蛇化したのは、大航海時代を迎えて、ヨーロッパの人が実際に大蛇に触れる機会が増えたからかもしれません。
…というような、どうでもいい話を枕に、次回は本題である蛇遣いとアスクレピオスの関係について考えてみます。
(この項、さらに続く)
へびつかい些談(1) ― 2025年01月02日 15時44分39秒
年明けの話題は自ずと蛇になります。
蛇の星座といえば、うみへび座(Hydra)や、みずへび座(Hydrus)もありますが、海蛇にしろ水蛇にしろ、蛇界ではマイナーな存在なので、ここでは普通にへび座(Serpens)とへびつかい座(Ophiuchus)を採り上げます。
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へびつかい座は夏の星座で、さそり座を踏みしめ、ヘルクレスと背中合わせに立っています。今の季節だと、ちょうど近くに太陽があるので、その姿を見ることはできません。
(日本天文学会編『新星座早見・改訂版』(三省堂、1986)より)
上の星座早見に描かれた線画は、星座絵でおなじみの蛇遣いの姿そのままで、星座の中でも、へびつかい座はわりと「名」と「体」が一致している部類でしょう。
(恒星社版『フラムスチード天球図譜』より)
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ところで「蛇遣い」というと、ピーヒョロ笛を吹いて、かごの中からコブラを誘い出す「インドの蛇遣い」を連想します(あれをネタにした東京コミックショーの記憶が私の中では強烈です)。でも、星座の蛇遣いはどうもそんな風でもないし、あの人は大蛇を抱えていったい何をしているのか?
もちろん、星座神話の本をひもとけば、あれは古代ギリシャの医神アスクレピオスが天に昇った姿で、彼は蛇の絡みついた杖を携えていたことから、蛇が一緒に描かれているのだ…と書いてあります。でも星座の蛇遣いは杖も持ってないし、古代のお医者さんだって、薬草を調合したり、瀉血術を施したりするのがメインだったはずで、大蛇を抱えていては治療がしにくかろうと、なんだか釈然としないものを感じます。
(アスクレピオスの石膏像(AD 160)。後期古典期のギリシャ彫刻をローマ時代にコピーしたもの。エピダウロス考古学博物館蔵。ウィキメディアコモンズより)
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そもそも「へびつかい座」という和名が、あんまりよくないんじゃないか…と思います。原語の「Ophiuchus」にしろ、その異名である「Serpentarius」にしろ、本来の語義は「蛇を手にした者(Serpent-handler、Serpent-holder)」であり、何か積極的に蛇を使役するイメージはありません。
(Serpentariusと記されたへびつかい座。BC1世紀の著述家・ヒュギヌスの作とされる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』のヴェネチア版刊本(1485)複製より)
明治43年(1910)に出た日本天文学会編纂の『恒星解説』では、「蛇遣(へびつかひ)」となっていて、現行の名称はこの頃定まったものと思いますが、それ以前は「提蛇宮」とも訳されていて(※)、語呂はともかく、意味としては「提蛇座」とした方が原義に忠実という気がします。
(※)明治35年(1902)刊・横山又次郎著『天文講話』。ただし直接参照したのは明治41年(1908)第5版。
(おせちを食べつくした重箱の隅をつつきながら、蛇遣いの話を続けます)
羊飼いの見た星 ― 2024年12月18日 11時14分06秒
前回の話題から横滑りして羊飼いの話。
今や一種の都市伝説といっていいのかもしれませんが、野尻抱影由来の「カルデアの羊飼い」をめぐる言説があります。今、われわれが使っている星座の起源は、古代カルデアの羊飼いが生み出したものだ…というのがそれです。
抱影の事実上の処女作である『星座巡礼』(1925)に、すでにそれは見られます。
(野尻抱影『星座巡礼』(第7版、1931)より)
「星座(Constellations) 〔…〕空を斯く初めて星座に区画したのは、天文学者では無くて、紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼です。彼等は長い夜々寂しい丘に羊の群を戍(まも)りながら、大空に移る星の位置で時刻を判断する習慣になってゐる中に、目ぼしい星を連ねて、其処に地上の動物や物の像(かたち)を空想し〔…〕」
これは欧米ではとうの昔に顧みられなくなった古風な考えらしいのですが、日本では抱影が自著で繰り返し書いたために、いまだに「準定説」として生き残っています。
この問題をめぐっては、竹迫忍氏の「古天文の部屋」【LINK】の一コンテンツとして、その詳細がまとめられており、私も大いに蒙を開かれました。以下が関連ページです。
■迷信「星座の起源・カルデア人羊飼い説」の成立と伝承
あらましを述べれば、抱影は「黄道12星座をはじめとする西洋星座の起源は、紀元前3000年頃、バビロニア(※)に住んだカルデア人の羊飼いたちが天に思い描いたもの」と説きましたが、ここには現代の通説と異なる点が多々あります(その一方で正しい点もあって、正誤がキメラ状になっています)。
まず正しい方を述べれば、星座の起源が紀元前3000年頃のバビロニアに遡るということ、また黄道12星座や高度な天文知識を有し、それをギリシャに伝えたのは、「新バビロニア王国(カルデア王国)」を興したカルデア人だったこと、そして彼らは本来遊牧の民だったという事実が挙げられます。
一方、事実と大いに異なるのは、そもそもカルデア王国ができたのはBC7世紀のことで、紀元前3000年のバビロニアとはまったく時代が異なるし、古代バビロニアの文明を興したのは「シュメール人」であって、カルデア人ではありません。それにシュメール人は灌漑農耕民であって、「羊飼い」ではありません。そしてまた古代バビロニアの段階では、まだ黄道12星座のシステムは存在しませんでした。
こうした事実と事実誤認のごたまぜ状態が抱影説だ…ということになりますが、これは抱影の創案というよりも、抱影の目に触れ、手にした資料が、新しいメソポタミア学によるアップデート前のものだったからのようです。
★
それにしても、抱影の誤りが明瞭に指摘されても、依然として世間に「カルデアの羊飼い」が流布しているのはなぜでしょう? たぶん根本的な問題は、平均的日本人にとって、オリエンタル世界はヨーロッパ以上に遠い世界だからでしょう。つまり、「カルデアもシュメールもおんなじようなもんでしょ?そう目くじらを立てなくてもいいじゃない」…というふうになりがちだからだと思います。
たとえて言うならば、平安時代のドラマに裃を着た人が出てきたら、我々は直ちにおかしいと思うでしょうが、欧米の人には、そのおかしさが伝わらない…みたいなものかもしれません。
その点では、私も抱影を責める資格は全くないのですが、それでも過ちは過ちとして認め、より正しいことを語るにしくはありません。
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(※注)バビロニアといい、メソポタミアといい、何が違うんだろう?というぐらい私自身知識が乏しいのですが、ウィキペディア曰く、地方名でいうと下のような区分になるんだそうです。さらにここに「民族名」や「王朝名」が覆いかぶさってくるので一層ややこしいですが、少なくとも地理的にはこうなるらしい。
酷暑と克暑 ― 2024年07月06日 12時26分10秒
猛暑到来。やるせないほど暑いですね。
夏の酷暑を英語で「Dog days」と呼び、これはおおいぬ座のシリウスが「ヘリアカル・ライジング」、つまり日の出前のタイミングで東の空にのぼることに由来し、遠く古代ローマ、ギリシャ、さらにエジプトにまでさかのぼる観念の由。
(1832年出版の星座カード『Urania’s Mirror』複製版より、おおいぬ座ほか)
夜空にシリウスが回帰することは、エジプト人にとってはナイルの氾濫と豊作のサインでしたが、人間や動物にとってはいかにも苛酷な時期ですから、Dog days には退嬰と不祥と節制のイメージが伴います。
(同上拡大)
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ただし、そこはよくしたもので、今は地球が太陽から最も遠い時期に当たります。
今年、地球が太陽から最遠の「遠日点」に達したのは、ちょうど昨日でした。昨日、地球は太陽から1.017天文単位〔au〕(1auは、地球と太陽の平均距離)まで遠ざかり、これから楕円軌道に沿って徐々に太陽に近づき、来年1月4日に0.983au の「近日点」に至ることになります。
(Willam Peck『Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より、水星~火星の軌道図)
ごくわずかな違いのようですが、太陽に対する垂直面で考えると、遠日点にあるときは近日点にあるときよりも、受け取るエネルギーは約7%も少ない計算で、これは結構な違いです。これぞ神の恩寵、天の配剤と呼ぶべきかもしれません。
それを思うと、近日点と夏が重なる南半球の人はさぞ大変だろうなあ…と同情しますが、そのわりに暑さの最高記録が北半球に偏っているのは、あちらは海洋面積が北半球よりも圧倒的に広く、水が大量に存在するためでしょう。これまた天の配剤かもしれません。
【おまけ】
星座早見をくるくるやって、シリウスのヘリアカル・ライジングを探してみます。
秘蔵の<紀元2世紀のアレクサンドリア用星座早見盤>で試してみると、シリウスの出現は、7月上旬で午前5時頃。そしてアレクサンドリアの日の出もちょうどその前後ですから(今日の日の出は5:02)、今がヘリアカル・ライジングの時期ということになります。
でも、これは緯度によっても大きく変わります。
試みに戦前の三省堂星座早見をくるくるすると、シリウスが東の地平線上にのぼるのは、今の時期だと午前7時すぎで、当然肉眼では見えません。あとひと月半もすると、午前4時半ぐらいになるので、日本でもようやくヘリアカル・ライジングを迎えることになります。
『星座の書』 ― 2024年05月05日 10時14分47秒
そういえば…なのですが、以前アル・スーフィの『星座の書』の写本のファクシミリ版(複製本)をエジプトの人から購入しました。
全編アラビア語で、解説ページめいたものもないので、書写年代や原本の所蔵先等は一切不明です(手書きのアラビア語の中にそうした情報が埋もれているのかもしれませんが、そのこと自体判然としません)。星座絵の描写は素朴というか、非常に粗略なので、絵に関しては素人の手になるものではないかと想像します。
で、アンドロメダ座とアンドロメダ銀河の一件から思いついて、手元の本をパラパラやってみました。
その姿形から、おそらくこれがアンドロメダ座なのでしょう。『星座の書』では、一つの星座について、地上から見上げた星の配列と、その鏡映像(天球儀に描かれるのはこちらです)の2枚が対になって描かれており、手元の本でもそのようになっています。
イスラム世界の描写なので、アンドロメダ姫は見慣れた半裸ではなく着衣姿で、囚われの姿を意味する手鎖も描かれていません。
この絵を見ると例の魚の姿がないんですが、手元の本には上の絵とは別に、下のような絵も載っています。
アンドロメダ本体は黄色、魚は赤で星がマーキングされており、ここでは両者が別の星座と認識されているのかな?と思いましたが、でも別の個所にはこんな図↓もあって、なんだかわけが分かりません。
…と思いつつ、ウィキペディアの『星座の書』の項を見たら、
「星座絵の中には、東洋化しただけではなく、アラビアの伝統的な天文学の影響を受けて、さらに変化した星座もある。例えば、「鎖に繋がれた女(アンドロメダ座)」には、『アルマゲスト』由来の標準的な星座絵の外に、脚に「魚」が重なった姿、胴に二匹の「魚」が重なった姿、と三通りの星座絵を描いている。」
とあって、ようやく得心が行きました。
さらに、この巨魚だけを独立させたらしい絵もあって、
その口元というか、鼻先に赤い小円が描かれており、これが「小雲」、すなわちアンドロメダ銀河だと想像されます。
★
ちなみに、アンドロメダ座の脇に2匹の魚が控えている…というと、「うお座」との異同を気にされる方もいると思いますが、うお座はうお座で独立した星座として描かれており、アンドロメダに密着しているのは、やっぱりアラビア独自の巨魚座です。
またアンドロメダと巨魚といえば、アンドロメダ姫を呑み込もうとした海の怪物、すなわち「くじら座」のことも連想されますが、くじら座もまた別に描かれており、巨魚座とは別の存在です。
★
Karen Masters 氏は、ペンシルベニアの名門ハバフォード大学で教鞭をとる天文学者/天体物理学者で、氏が著した『The Astronomers’ Library』は、天文学者の仮想図書館に置かれるべき本を一冊一冊吟味し、その内容を順次紹介しながら、天文学史について解説するという体裁の本です。いわば「本でたどる天文学の歴史」。
本書をパラパラやりながら、今日のような複製本も含めれば、結構わが家も理想のライブラリーに近づいてるんじゃないか…と慢心しつつ、でもそのほとんどは積ん読状態なので、こうして解説してもらえると、本当に助かります。それだけでも本書を購入した意味はあります。
読書の方はまだまだ続きます。
アンドロメダのくもは ― 2024年05月03日 18時15分47秒
草下英明氏に「賢治の読んだ天文書」という論考があります(『宮澤賢治と星』、学芸書林、1975所収)。その冒頭に次の一節があります。
「昭和26年5月、花巻を訪れて〔実弟の〕清六氏にお会いした折、話のついでに「賢治さんが読まれた天文の本はどんなものだったんでしょうか。貴方に何かお心当りはありませんか」とお尋ねしてみたが「サア、どうも覚えがありませんですね。多分貧弱なものだったと思いますが」というご返事で…」
草下氏の一連の論考は、「星の詩人」宮澤賢治の天文知識が、意外に脆弱であったことを明らかにしています。たとえば「銀河鉄道の夜」に出てくる「プレシオス」という謎の天体名。これは草下氏以降、プレアデスの勘違いだったことが定説となっています。こんな風に、賢治作品で考証が難航した天体名は、大体において彼の誤解・誤記によるものらしい。
もちろん、それによって彼の文学的価値が減ずるわけではありませんが、後世の読者として気にはなります。
★
…というのは、14年前に書いた記事の一節です(引用にあたって表記を一部変えました)。
■魚の口から泡ひとつ…フィッシュマウスネビュラの話
上の記事は、賢治が作品中で使った「フィッシュマウスネビュラ」という見慣れない用語について書いたもので、賢治の天文知識のあやふやさを指弾する色彩を帯びています。すなわち、賢治が今でいうところの「環状星雲」を「フィッシュマウスネビュラ」と呼んだり、天文詩『星めぐりの歌』の中で、「アンドロメダのくもは さかなのくちのかたち」とうたったのは、彼の勘違いであり、記憶の錯誤にもとづくものだ…というようなことを、草下英明氏の尻馬に乗って書き記したのでした。
★
例の「The Astronomers’ Library」を、晴耕雨読よろしく庭の片づけ仕事の合間に読んでいます。その中で、上の記事に関連して、「おや?」と思う記述を目にしました。そして、少なくともアンドロメダ銀河を賢治が「魚の口」と呼んだのは、やはり典拠のある話であり、それを賢治の誤解で片づけたのは、私や草下氏のそれこそ無知によるものではないか…と考えなおしました。
というのは、「The Astronomaers’ Library」は、ペルシャで10世紀に編纂されたアル・スーフィの『星座の書』を紹介しつつ、次のように書いているからです。
「この本のもう一つの注目すべき点は、アンドロメダ座――あるいはアラビア語でいうところの「巨魚座 Big Fish」 にある、(アラビアの天文学者には)よく知られた「小雲(’little cloud’)」に関する最初の記録であることだ。」
さらに上図のキャプションには、こうあります。
「ギリシャ星座のアンドロメダ座〔…〕は、またアラビア星座の巨魚座でもある。現代ではアンドロメダ銀河として知られる「小雲」は、魚の口のところに黒点の集合として示されている。」
(上図部分拡大)
巨魚の口にぼんやりと光るアンドロメダ星雲。
賢治がそんなアラビア星座の知識をもとに、あの『星めぐりの歌』を書いたのだとしたら、「賢治の天文知識って、意外にしょぼいんだよ…」と後世の人間がさかしらに言うのは大きな間違いで、むしろ並々ならぬものがあったことになるのですが、さてどんなものでしょうか?
【付記】
先ほど検索したら、この件は加倉井厚夫氏が「星めぐりの歌」に関する考証の中で、「また、アラビア星座の中に「二匹の魚」という星座があり、うち一匹の魚の口の位置がちょうどM31の位置にあたっていて、このことを賢治が知っていたかどうかも大変気になるところです。」と既に指摘されているのを知りました【LINK】。
ただ、アラビアの星図の中にそれが明瞭に描き込まれていることまでは言及がなく、そのこと自体あまりポピュラーな知識とは思えないので、今後の参考として書き付けました。
マッチ棒の星座 ― 2023年11月23日 07時47分44秒
マッチラベルに執着するようですが、手元の紙モノファイルをめくっていたら、こんな品が出てきました。
一瞬「?」と思いますが、マッチ箱にはマッチ棒の星座絵を…という至極シンプルな発想なのでしょう。見るからに愛らしいです。
天上で燃える星と、指先で燃えるマッチ。
星は巨大なマッチであり、マッチは極小の星だ――そんな連想も働きます。
モダンであり、同時にプリミティブな感じも受けますが、何でも「棒人間」というのは先史時代から描かれているそうで、人間が対象をとらえる際の基本的パターンとして、こういうスティックフィギュアは、ヒトの脳に古くから刻み込まれているのでしょう。こういう絵柄を愛らしいと感じるのも、そうした原始の記憶が刺激されるからなのかも。
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例によって、モノの素性についても付言しておきます。
このマッチラベルはドイツのA&Oマーケットの宣伝用で、ドイツ語版のWikipedia【LINK】を参照すると、A&Oはドイツの複数の食品卸業者が集まって、1953年に共同で設立したショップブランドだそうです。一時はドイツ国内にずいぶん店舗を展開したものの、徐々に勢いを失って、2016年に最後の店舗が閉店した由。このマッチラベルは、A&Oがまだ元気だった頃、1950~70年代に配ったものかな?と想像します。
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